第百二話 五人になった日常

 家に迎えた、新たな同居人ミィア。


「お兄ちゃんそれ食べたい!」


 基本的に甘えん坊で、よく俺にひっついてくる。そんなに影の中に入れる能力を持った者が恋しかったのだろうか。


 食事の時は大抵俺の上に座り、食べさせてもらいたがる。

 なんなら自分で食べる時でさえ、影に食べさせてもらっている。移動も食事も、どうやら入浴の時でさえも。彼女は能力を有効活用して過ごしていたらしい。


 流石に歩くことくらいはサボらないようにさせているが。歩行する筋力すらないと困る……ことは能力がある限りないのかもしれないが。

 ただまぁ本人がダイエットしたがっているので少しでも運動することは悪いことじゃない。健康のためにウォーキングする人もいることだし、日常生活ぐらいは歩いてもらおう。


 ただダイエットは難航しているようだったが。


「……疲れた」


 鍛錬場の庭で、動きやすい恰好に着替えたミィアがくったりとしている。


「ミィアはあれだね。普段運動しなさすぎて体力全然ないね」

「うぅ……」


 別に厳しい鍛錬を課せられているわけではない。腕立て伏せや腹筋など基本的な筋トレをしてみようとしたところ、一回もできないという結果に終わって疲弊してしまっただけだ。


「もう少し簡単なヤツでやるしかないねぇ」

「ミィア、今日は疲れたから今日休みする」

「今日の食事で摂取した分を消費しないなら……そうだね。明日は倍頑張ってもらうしかないねぇ」

「うっ。……ミィア、もうちょっとだけがんばる」


 人をやる気にさせるのが上手い。師匠が逃げを許すわけもないと思うが。


 ミィアは他人に甘えるが、なによりも自分に甘い。影を操る能力が俺よりも強く、また魔力量も物凄く多いからだろう。小さい頃から能力を使えば楽ができたから、面倒なことはそうやってこなしてしまう。

 箸より重いモノを持ったことがない、という表現がある。だが彼女は、スプーンやフォークすら持ったことがない。能力を使えば持つ意味がないからだ。


 ……これが元の世界なら引き籠もってポテチとか齧っているだけでかなりの……言葉を選ばずに言うなら肥満になっていただろう。この世界には元の世界ほど食べやすくてカロリーの高いモノがない。それが取り返すのが難しいところまで行き着くのを防いでいただけだ。


 まぁそれでも幸せならいいのかもしれないが、健康を害することになるからな。師匠がいる限り、心身の健康は維持させられるだろうと思う。


 その後は簡単な運動らしきことをしていた。腹部の脂肪を落とす運動らしい。散々運動能力の低さを語ってきたわけだが、そんなミィアでもできるくらい簡単な運動だった。

 もちろん日常生活を送るに必要なくらいの筋力はつけた方がいいだろうが、それは追々といったところか。


 師匠の頭の中では、既にミィアシェイプアップ計画が組み立てられていることだろう。


「今日はこんなところにしておこうか」

「やった! お兄ちゃん抱っこーー」

「汗臭いよ?」


 今日の運動が終わり、ミィアが笑顔で飛びついてこようとしていたが、師匠の一言でぴたりと停止する。


「さ、先にお風呂入ってくるね!」


 ミィアはばたばたと去っていった。軽快な動きとは言えないが、咄嗟に影を使わないくらいにはなってきているようだ。


「案外、素直な子で良かったよ」


 師匠は俺に近づいてきて笑う。


「……そうですね」

「あんたみたいに捻くれてたらどうしようかと思ったけどね」

「……」


 冗談混じりで言われてしまったが、こちらとしては言い訳のしようもない。かなりうだうだしてしまっていた自覚があるから。


「……師匠は行かないんですか?」


 だから、話題を変えた。


「うん? あたしはあれくらいの運動じゃ汗は掻かないけど……そうだね、入ってくるとしようか」


 なぜかちらりと俺の方を見て言った。特に深い意味はありませんが。というかマジで汗一つ掻いてないなこの人。


「シゲオは……鍛錬でもするのかい?」

「……まぁ、はい」


 最近実践の機会が減ってきている。災厄の龍という目に見える大きな脅威が現れたことで、世界に蔓延る悪人共も流石に形を潜めているようだ。

 というか今正に災厄の龍討伐作戦が実行されている頃だろう。勇者様は大変だ。


 ただ悪人自体が減っているわけではない。災厄が片づかなければ世界は滅びるが、災厄が解決したら消耗した世の中の隙を突いて暴れ始める者もいるだろう。

 そうなってからが暗殺者の本番であり、災厄が解決するまではぶっちゃけ暇だった。


「……いざ必要になった時に、鈍ってたら困るので」

「そうかい。まぁ、しばらくは出番なさそうだけどね。備えることはいいことだ」


 師匠はそう言ってひらひらと手を振りながら去っていく。


 災厄が終盤に差しかかったことで暗殺依頼はかなり減ってしまった。

 世界が大変なことになっているのに他者を虐げている暇などない、ということだろうか。


 中には災厄の到来を信じていなかった者もいるみたいだが、世界を悠々と泳ぐ巨大な龍を見て真実を突きつけられた。


 結果、内部事情としては平和になっている。いや、平和とは言えない状況だが。


 それにもし、今あの龍と戦っている勇者一行が敗北でもしたら、その時は世界ごと滅んでしまう。


 もしかしたら師匠達が協力して戦えば災厄の龍に勝てるのでは、と思ったのだが。どうやら災厄の龍は災厄の断片という力の欠片を持っており、それは勇者のみが扱える聖剣でしか破壊できないという。

 なので勇者以外は戦えても倒すことができないのだと。


 協力して事に当たっている人々は勇者が災厄の断片を壊せるよう動きを封じて隙を作るのだという。


 失敗すれば世界が終わるのだから師匠やフラウさんといったとんでも強い人達に協力の要請が飛んでこないのか、と思ったのだが。


「行くのはいいんだけどね。災厄の龍が倒されると、世界各地で大量の魔物が出現して街を襲うんだ。戦力を一ヶ所に集中させるのも良くないってことだね」


 とのこと。


 嘘か真かわからないが、師匠ぐらいの強さなら結構数がいるのでそういう人達の加勢はあるだろうとのことだった。


 俺としてはあんなデカブツ相手にできることなど一切ないので、倒してくれるならそれに越したことはない。

 刃が通る相手でなければどうしようもないのだから。


 『鍵開け』など基本的な技能の確認を行う。スムーズにできるまで、基本的なことを繰り返す。暇さえあればこうして鍛錬しているので、スムーズにいかないことの方が少なかった。

 最近は暗殺より戦闘の方が多い気がするし、次になにかあるとすれば魔物の大群が押し寄せてくる時。つまりまた戦闘だ。


「……戦う準備もちゃんとしないとな」


 どちらの方が気が楽か、で言えば魔物だ。魔物であれば魘されることはない。

 ただどちらが殺しにくいかと言われれば魔物だった。人間は急所がはっきりしているし、感覚も魔物よりは鈍いことが多い。なにより小さくて非力な生き物だ。


 戦いは苦手だが、逃げているわけにもいかない現状。


 ノルンとリリィが戻ってきたら、どちらかに手合わせを頼んでみようか。


 ◇◆◇◆◇◆


 そうして過ぎていく日々の中で、俺はミィアに影の中へ引っ張られた。


 リリィの言う通り俺が彼女をこちらに繋ぎ止めているのなら、俺が影の中で呼吸できないことはいいことだ。彼女の生きる世界が、影の中ではなく表の世界になることだろう。

 影の中に籠もることもあまりなかったのだが、珍しく彼女の方から招待してきたのだ。


 他者の内面に鋭いリリィが危ういと言ったので不安もあったが、


「あのね、お兄ちゃんのことカゲさん達に紹介してなかったから!」


 とのことだったので安心した。


 俺は影に潜りミィアを抱えて家の真下にある影の王国に降り立つ。ミィアに言われて広場の中央に向かった。


「みんなー! こっち来てー!」


 ミィアが元気良く呼びかけると、瞬時に影の軍勢が現れた。……息を止めているので声には出せないが、一斉に来られるとビビる。


 彼女がカゲさんと呼んでいる特別な騎士は彼女の正面に現れ、他の者は彼(?)の後ろに整列していた。こうして集合しているところを見ると軍隊のようである。というか数多いな。

 ざっと数百はいそうだ。


「この人はね、お兄ちゃん! ミィアのお兄ちゃんなの! みんな、お兄ちゃんと仲良くしてね!」


 なんの説明にもなっていないが、彼らにはそれで伝わるのだろう。影の者達は一斉に跪き、頭を垂れた。

 壮観だ。まぁおそらくだが彼らが俺の命令を聞くようになる、というわけではないのだろう。あくまで敵と認識しなくなるというだけで。


「今日はお兄ちゃんを案内するね!」


 ミィアはにこにこと言って、彼らを解散させ俺と手を繋いであっちこっちに連れ回る。その間もカゲさんはついてきた。やはり見た目だけでなく特別な存在のようだ。


 俺が途中で息継ぎに上へ行く時も、ミィアはついてきた。カゲさんは見送るに留めていたが。息継ぎに出るだけなのですぐに戻ってくるのだが。


 不思議に思いながらも影の王国案内ツアーを堪能する。


 ミィアのための、ミィアだけの国。


 生活感など人がいる雰囲気は一切ないが、確かに綺麗だ。元の世界にいた頃の俺ならきっと、ここを過ごす居心地のいい場所としていたことだろう。

 ただ今の俺にとって、ここは少し寂しい。


「お兄ちゃんがいてくれて良かった」


 ツアーが終わり地上へ出てきて、俺が喋れるようになってから彼女は言った。

 出てくる時の抱えられた恰好のまま、ぎゅっとしがみついてくる。


「カゲさんやみんなは、優しくてミィアのしたいことなんでもしてくれるの。でもね、お話はできないの」


 ミィアは少し悲しそうに言った。


「お母さんやみんなは、カゲさん達とずっと一緒にいるのは良くないって言うの。影の中に入れないから、ミィアの言うことわかってくれなくて。カゲさん達が怖いみたい」


 ミィアは少し寂しそうに言った。


「だから、お兄ちゃんがいてくれて良かった」


 彼女は嬉しそうにそう言った。


 ミィアについて一番わからなかったことは、俺に対する感情だ。

 なぜ彼女が初対面からずっとこんなにも好意的なのか、理解できていなかった。


 だが今の独白を聞いて、少しだけわかった気がする。


 俺が彼女にしたことと言えば、影の中に入ってミィアを迎えに行ったことだけだ。


 ただ、ミィアにとってはそれが大事なことだったのだろう。

 どちらかだけでなく、両方の世界を行き来できる者の存在が。


 俺はなんて声をかけてあげればいいかわからず、彼女の頭をできる限り優しく撫でてやることしかできなかった。


 物事の価値観には個人差がある。

 金、仕事、食事、人付き合い、趣味。なんであれなにを重要視するかは人それぞれであり、他人がとやかく言うモノではない。

 ミィアにとって、普通の人間でありながら影の中に入って自分の世界を共有できる者の存在は、それほど大きかったという話だ。


 俺が他人に声をかける時の難易度を高く見積もっているのと似たようなモノか。違うな。


「お兄ちゃん! 今度お兄ちゃんのお部屋も中に創ってあげるね!」


 ミィアは気を取り直して、にこにこと笑いながら言ってくる。俺は長時間中にいれないので部屋を持つ必要はないのだが。


「……ああ。楽しみにしてる。今度一緒に見に行こうな」

「うん!」


 彼女の好意を受け入れ、屈託のない笑顔を見る。


 俺が彼女にしてあげられることは、こちらの世界に引き留めること。そしてその間にいい変化があってくれればいいと思う。


 俺が師匠に拾ってもらったように。

 俺もミィアを導くことができればいいな。

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