第百話 影の国
夜になって早々、俺は暗殺衣装に着替えて宿屋から出た。
気配を殺して闇に溶けたまま、シャドウム家の屋敷まで向かう。
相手がどこにどんな風にいるかわからないが、生きているなら屋敷近くだろうと話していた。そのため、まずは屋敷近くまで行ってから【闇への潜伏】を使うことにする。
屋敷の外壁まで回り込み、意を決して影の中へ入り込んだ。
「――……!」
入ってから、驚愕する。影の中に広がっていた光景は、今まで俺が見てきた味気ない景色とは一切違っていた。
黒い街が広がっていたのだ。
影で形作られたと思われる、荘厳な城。奥に聳えるそれを囲うように城下町が広がっていた。
……ただ、なんだろう。街と言っても普通の街とは少し違う気がする。
俺が入ってきた位置は家の屋根の高さぐらいだったため、降りて石畳を再現した通路に着地してみる。ちゃんと硬い感触が返ってきた。
街には黒で作られた人型が歩いている。騎士や魔術師など様々ではあるが、人の気配はしない。俺が気配を消していることもあってかこちらには無反応だった。ただそれぞれに魔力を感じる。見た目通り戦える存在ではあるようだ。
そうして街を眺めていて気づいた。街を歩く騎士などの人型、そして建っている家。それらが数種類しかないのだ。
例えるなら、ゲームで限られた種類のモノを配置して街を作った、みたいな。
俺は周囲を警戒しつつ、ただ一つ存在している人の気配の下へ向かった。
気配は街の中央、城の真ん前にある。気配の形からして女性、ミィア・シャドウムだと思っていいのだろうか。それ以外にあり得ない状況ではあるが。
影の国を通り、彼女のところへ。
街の中心にあったのは黒い庭園だ。その庭園で椅子に座り紅茶を嗜む一人の少女。と彼女の後ろに控えた禍々しい造形の黒い騎士。色があればさぞ優雅な光景であったことだろう。いや。ティーセットと紅茶には色がついていた。影で作ったわけではなさそうだ。
少女は黒髪に赤い瞳をしている。見た目の年齢は資料にあった通り十五歳くらいか。髪は長く伸ばしており、立てば膝裏ぐらいまでありそうだ。あまり日に当たることがないからか色白で、童顔だった。頬はしゅっとしておらず柔らかそうな印象を受ける。普段見ている三人は運動をするため細い方だと思うが、引き篭もりの彼女はそうではないのかもしれない。黒いワンピースはゆったりとしたデザインになっているため腰つきがわかりにくくなっているが、胸元のボリュームは大きかった。
「……」
彼女との距離は十メートルほど。庭園に足を踏み入れず立ち止まったが、向こうはこちらに気づいていない。影の国であっても【闇に溶けゆ】の効果は発揮されているようだ。
ただ、問題はここである。
『気配遮断』を解除して姿を現せば、突如現れた変な恰好の男に驚いて攻撃してくるかもしれない。正直に言おう、襲われたら勝てる気がしなかった。なにせこんな大きな国を作ってしまうほどの相手だ。俺では精々がテーブル一つくらい。魔力量なのか能力効果の差なのかはわからないが、この異空間において絶対的な格差がある。
息も続かなくなってしまうので、そろそろ解除して対面といこうか。最悪全速力で逃げ出そう。うん。
俺は意を決して『気配遮断』を解除、同時に【闇に溶けゆ】が発動しなくなった。これで相手にも知覚されるはず。
解除した途端彼女の傍にいた騎士が手元に長剣を呼び出して構え、こちらを警戒するように見つめてくる。……こわ。街にいた他の騎士と見た目からして違うしより強いんだろう。襲われたら終わりだ。
次いで件の女王様も俺の存在に気づいた。大きな瞳を更に大きく見開いて驚いている。
果たして、どう出るか。
俺の命運が懸かった緊張の一瞬。いつでも逃げられるように身構えてしまう。
しかし、彼女は俺の警戒を他所に笑顔を見せた。とても嬉しそうな笑顔だ。……うん?
「やっと来てくれたんだねっ」
にこにこと言う。……はて。そういえば母親は迎えが来ると伝えたそうだが。俺がその迎えとは必ずしも限らないのではないだろうか。
影の中でやり取りする可能性も考えて事前に用意してきた、筆談用の紙を取り出す。
“迎えに来た”
咄嗟に書けるかわからなかったので、言いそうなことは事前に書いてきてあった。
ミィアさんは書いてある文言を読んで顔を輝かせる。
「やっぱり! ……あれ? でもおにいちゃんは喋れないの?」
俺が筆談をしていることで違いに気づいたようだ。俺からすれば普通に喋って生活している様子の彼女の方がおかしいのだが。能力の違いというヤツだろう。
俺は頷きを返した。
「そっかぁ……。でもでも、おにいちゃんはみんなと違って入って来れるもんね」
若干しょんぼりした様子だったが、すぐ笑顔に戻る。コロコロと表情が変わる子だ。……ただなんだろう。家族を失った悲しみは感じ取れない。時間がある程度経っているからなのか、それともそもそも知らないのか。
“君を助けるように言われてここに来た。一緒についてきて欲しい”
息が苦しくなってきそうなので、率直に用件を伝える。
「うん! あ、でも、カゲさん達と離れ離れになるのはやだよぅ」
元気のいい返事はしてくれたが、カゲさんとやらと離れたくないと。はっきりとはわからないが、おそらく傍にいる騎士みたいなヤツらのことを指しているのだと思う。
俺はペンを取り出して文章を書く。俺の役目は影の中にいるミィア・シャドウムと会えるかどうか確認すること。そして会えたなら説得して連れ出すこと。
だから彼女を説得するための言葉を考えなければならない。
“この国ごと、移動させることはできないか?”
紙に書いた文章を見せる。
「う〜ん……。やったことないからわかんないよぅ」
“それならやってみて欲しい。少し外に出てくる”
そろそろ息が苦しくなってきたので、急いで書いた文章を見せてから地面を蹴って外へ繋がるグレーの箇所へ向かう。
「あっ! 待って!」
呼び止められたが、筆談は時間がかかるので息が続かなくなると困る。位置としては屋敷の真下に当たるので誰かがいないことを確認してから顔だけ外に出した。
明かりの点いていない部屋だ。賊はこの部屋の近くにはいない。落ち着いて呼吸を整えられた。
と思っていたら足に抱き着いてくる感触があった。柔らかい、が見えていないだけでこんなにもホラーになるのか。暗闇から脚にしがみついて引き摺り込まれそうな感じがする。いや、実際には引き留められているだけなのだが。
動揺してしまったが、改めて呼吸を整え直して顔を影の中に戻す。
予想通りと言うか、脚にしがみついたミィアさんの姿があった。
「行かないで! ミィアを独りにしないで!」
目にいっぱい涙を溜めながら、彼女は懇願する。一緒に行こうという話はしたのだが、置いていかれると思ってしまったのだろうか。
これまで影の中に引き籠もっていたそうだからてっきり外界との関わりを絶って生きていけるのかと思ったが、精神が幼いからか誰もいないとそれはそれで寂しいのかもしれない。
俺はどうしたモノかと悩んだが、とりあえず落ち着かせるために頭を撫でることにした。声が出せないので、身振りなどで伝えなければならない。どうにか伝わったようで、しがみつく力を弱めてくれた。
息継ぎがちゃんとできたので、ゆっくり彼女と向き合うことができる。
“話すために、一旦顔を出したい”
俺は書いた文章を見せる。
「うん、いいよ」
彼女は笑顔で頷いてくれた。ので一旦彼女の身体を抱え上げて抱っこする。そのまま屋敷の外の範囲まで一気に泳いだ。
「わぁ!」
大人しく抱えられるミィアさんは楽しそうだ。呑気なモノだと思うが、とりあえず救出だけならどうにかなりそうだった。
俺は屋敷の外の少し離れた位置で顔を出して、彼女を持ち上げ顔を出させる。ちゃんと俺の能力で開けた穴からでも顔が出せるようだ。彼女の持つ能力は俺と同じ系統だと言っていいだろう。
シャドウムという苗字と言い、なんていう因果なんだ。
あるいは、異世界に来た瞬間からなにかしらの才能に当て嵌められるからなのだろうか。
それにしても、苗字まで被らなくていいと思う。
「すごいね! 速くてぎゅんってなってた!」
開口一番、彼女はにこにこ笑顔でそう言った。声が大きい。様子からなんとなくはわかっていたが、やはり状況がわかっていないのか。
「……えっと、国は動かせそう?」
「えっ? わかんないよ……やったことないから」
「……ちょっとやってみて」
「う、うん」
俺は早速本題に入る。初対面の人と無難に雑談するなんて芸当はできなかった。
ミィアさんはまた影の中に入っていき、俺から少し離れる。腕を掴まれているが、俺が行ってしまわないようにだろうか。
顔を入れて中の状況を見ておく。影の国は下の方に出来ているので、全体が見渡しやすかった。
「どうしたらいんだろう……。えっと、こっち来てー」
自分で創った国だろうに、動かし方がわからないらしい。だがすぐに動いて、ミィアの下までやってきた。……マジか。意外とすんなりいったな。
「できた!」
彼女はこちらを見上げて弾けんばかりに笑顔を見せる。俺は声が出せないので頷きを返した。再び抱き着いてきたので、抱え上げて外に顔を出す。
「できた、できたよ! これでお兄ちゃんと一緒にいられるね!」
無邪気な笑顔で言ってくる。……お兄ちゃんて。いくら同じ系統の能力、同じ苗字だからと言っても会ったばかりの他人に対する距離感の詰め方じゃない。というか俺のイメージだと俗世を離れたみたいな感じだったんだけど。
母親の予知していた迎えが俺だと確信しているのか。そもそもこれまで影の中に入れる人がいなかったのだから当然と言えば当然なのかもしれないが。
「……なんでその、そんな呼び方を?」
「? お兄ちゃんのこと? お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ? お母さんが言ってたもん! 運命の人が迎えに来てくれるって!」
聞いたら不思議そうな顔をされてしまった。……ヤバい、なに言ってるか理解し切れない。運命の人が迎えに来る→俺が来た→お兄ちゃんとはならんだろ。
理屈じゃなくて感覚的なことになるようなので、他人が理解できるようなモノでもないのかもしれない。
だがこれだけ迎えが来たことを好意的に受け取ってくれているなら、今回の依頼はすんなり終えられそうだ。
「……それで、一緒に来てくれるか?」
「うん! みんなも一緒だからいいよ!」
肝心な質問にも笑顔で即答する。良かった、これでなんとかなりそうだ。
「あ、でもお母さんにお別れしないと……」
思い出したような発言で、やはりなにも知らないのだとわかった。ある程度覚悟はしていたが、俺が家族の死を伝えないといけないのか。
「……君の家族はもう、いないんだ」
「えっ?」
「……今あの家には悪い人達がいて、襲われたんだよ。だからもう……」
「……」
ミィアさんの表情が曇る。それからぎゅっと抱き着いて顔を胸元に埋めてきた。
申し訳ない気持ちはあるが、知らずのままというわけにもいくまい。
せめて落ち着けるまで待とうと思い、頭を撫でたまま時間が過ぎるのを待った。
「……そろそろ行くか」
「うん」
俺から声をかけることになったが、とりあえず落ち着いたようだ。俺は彼女を抱えたまま影の中を通って宿屋の方へ向かう。
……悲しんではいるようだったけど、泣きはしなかったな。
最悪の場合なんの悲しみもないケースが考えられたので、マシだったと思っておこう。ただ家族への情はあまりなかったようだ。元の俺よりはマシというくらいか。
これから、影の中じゃなくて外で楽しく過ごせるようになるといいんだが。
いや、そこも含めての救出、保護依頼か。
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