特に読む必要のない小説の書き方講座
前回『わたしを離さないで』のネタバレ感想を書くと書きましたが、結果書いていないのである。
ネタバレを挟んだ上で、「あの展開はこういった思いを表しているのではなかろうか」とか物知り顔で語ろうと思ったのだけど、やめたのだった。
感想が自由だから別に好き勝手書いてもいいことではあるけれど、時間が経って思った。なんとなくクールじゃないと。
こういった解釈や解説が出来るぞアピールで書いてるんじゃないのか? とデビルパイセンに囁かれて『そ、そうかもしれないでしゅ』と全面降伏してしまったのだ。いやデビルパイセンにはいつもお世話になっております。
で、今回のタイトルですが、小説の書き方講座と書いてあるけれど、そんなことを書く気はないのです←じゃあただの詐欺じゃねえか。
だいたいカクヨム内では色々な方々が書き方講座だったり、日本語の使い方だったりと何かしらの理論に則った素晴らしいものを書かれているので、もし成長や勉強を望むのであれば、そちらを参考にすればいいと思う。そういったものをそもそもカクヨム内では読まない僕には語ることなど特にないのである。
もういっそ何人かのエッセイスト様たちと協力して、カクヨム初(だと思う)エッセイ集とかをなんらかの形で金にならないかと目論んでいるわけですが、別に小説を書かないわけではないのです。
それで今何をしているのかと言いますと、過去作品の改稿中です。新作のプロットまで書いたのに、やっているのは思いつきの改稿ということで、基本的にその場のノリで生きているなあと苦笑してしまいます。
あれです。カクヨムに登録した際、最初に投稿した『後の祭り』ってやつを改稿しているのです。
小説を高校生頃に書いたものの一年経たずに辞めて、しかもそっから特に書かなかったくせにいきなり書き始めたものがこれなのです。書き始めはおそらくちょうど一年前くらいですね。
アニメ『エロマンガ先生』を見ていた時に、ムラマサ先輩が言っていました。面白い小説が読みたいから自分で書いていると。
そっか、読みたい話を自分で書けばいいのかと感銘を受けてなんか書き始めたのだった。きっかけなんてそんなもんである。
で、たまたまどこかのサイトの記事で見た異世界転生禁止とか成人主人公でと条件を出していたノベルゼロコンに、ノリで応募しちゃおうと目論んだら今に至っちゃった。異世界とかいう単語に拒否反応が出ていたっぽいですね。なんて極端な(他人事)。
やりたいようにやって、書きたいことを書いていたのでとても楽しく書き上げた覚えがあります。
で、それを最近読み直してみたのですよ。
感想は二言でした。
ウザくて
くどいんです。
一年前の自分自身にバックドロップを決めたい気分です。
あの頃に出来る最善を尽くして、精一杯書き上げたことは間違いないのです。そして異世界も魔法も奇跡も禁止し、誰かキャラを亡くしたり極端に辛い過去とかで感動を誘うの禁止と、縛り条件を課しまくった中で書き上げたことは評価しましょう。
そうわかっていてもウザい! 特に地の文。なんか社会に対する憂いとか思いとかを乗せたり、やたら異世界とか魔法とか大きな出来事はないということを強調しているところがさらにウザい。
そう思えるようになったことが、果たして成長なのか、はたまた変容なのかはわかりません。でも、確実に一年前とは違う感想を抱いていることは事実です。
過去の自分の文章を見て、「うわぁ……」とか思うことありませんか?←今日一番言いたかったこと。
なんというか、言いたいことを断片的にまとめて、それを小説という形にしただけという感想です。いや多分、実際にそうなのです。
これはこれで一つの形であるので、特に問題はないっちゃないのですが、過去の自分への挑戦も込めて改稿することにしました。
今の自分が、果たして少しは見れる小説という形に出来るのかどうか。
で、ぶっちゃけ改稿を舐めてました。ベースはあるんだから、ある程度直すだけでいけるだろうから、そんなに時間もかからないだろうとタカをくくっていました。くくりまくりました。ククリと言えば魔法陣グルグルでした可愛い。
完全に書き直しになっています。
おかしいだろ!
骨組みだけ残して、あとは様々な肉付けをしたりするだけ。そう思ってたのですが、右腕の関節を股関節に接続したりしているような感覚です。全然違うじゃねえか。人体バッキバキやぞ。
好き勝手書いただけあって、設定だけならすごく好きで輝くものもあるだろうということで書き直すと、ほとんど新作を書いているような労力です。騙されたぜ←何にだ。
あまりにも独自性を出そうとした感じが強すぎる過去の文章。大事ではあるんですけど、やりすぎてる。
読むだけで面白い文章って、僕はとても重要だと思います。森見登美彦先生とか、ほんのりユーモアを交えつつ様々な解釈で世界を表現する力がとても素晴らしいです。
他には貴志悠介先生とか、ものすごく引き込まれる。けっこうクドめだけど、堀を埋めて埋めて埋めまくる説明や設定があるからこそ、物語が進んでいくともう読む目が止まらない。
西尾維新先生とか完全にウザいレベルの書き方だと思う。それでも、そう書いても許されるだけの面白さが同時にある。小説の魅力の一つは、そういった作者の拘っているウザい部分が響くかどうかというところもあると思う。人が思っているけどあえて表現しない視点に目を向けたりとか、少しひねくれた問題の捉え方をしたりする視点が面白いんだろうなあと感じる。
逆に文章的魅力をあえて無くしているのが東野圭吾先生だと思う。文章は淡白。マジで文学的な表現がない。読みやすさと設定の力で勝負していると思う。文章力はないって評価をたまに見かけるけど、ここまで淡白で簡素にできるのって、なかなかできないよ。ある意味個性や哲学を出そうとしすぎてしまう。そういった意味では職人だと思う。
改稿してると色々なことを考えるけれど、たった一年でも人は変わるってことです。あの頃は自信満々だった文章も批判的に見れるようになったし、改善になっているかはわからないけど、同じ話でも新しい書き方ができる。
この変化はとてもおもしろい。
記憶は連続していると思っているけど、今日の自分と昨日の自分が同一なのかどうかわからない。少なくとも細胞は入れ替わっているのだし、確実に老いてはいっている。一年前かけた文章をウザいと思ったり、逆によくこんな表現を思いついたなあと感心したこともある。
変わっていくことは止められないんだし、その瞬間瞬間の最善を、出来る限りだしていければいいなあ。そう思ったのだった。
今のところお金にならなそうな文章だなあ(ボソッ)。
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