94 白い人形が不幸になれば、世界は救われます 星の狼様
先日、育休中の職員さんが赤ちゃんを連れて職場にやってきた。
殺伐とした(誤解を生む)職場に赤ちゃんがいるというだけで、とても和む。
ええ、子供は好きです(どういう意味で?)
まだまだ世界の全てが新鮮なんだろう、めちゃくちゃ目を見開いて凝視してくるので、僕も負けじと目を見開く。0歳VS3〇歳の大人げない戦いが始まる。
で、きちんとアルコール消毒液を3プッシュして、身を清めたので膝に乗せさせてもらった。
目の前のノートパソコンに興味深々のようだった。
押すとボタンがへこむ、音が鳴って感触も連動する。そういった変化が楽しいのか、ポチポチとパソコンをいじりはじめた。
うんうん、微笑ましいなーと見ていたんだけど。
徐々にヒートアップしてしまいまして
がーんがーん。
押すを通り越して叩き始めました。
「いやああああやめてええええせめて保存させてええええ」
僕は焦った。編集中の書類データを開きっぱなしにしていたし、仕事用に職場が購入したパソコンなので、壊れてはいけないと思ったからだ。
慌てる僕に、上司が介入します。
てっきり、優しく諭すように止めてくれるんだと思いました。
「いいぞいいぞー壊せ壊せ―!」
むしろ赤様(敬称)の行為を全肯定しました。
煽るな!
「ちょ、もしこれでパソコンが壊れたら、自腹なのか会社負担なのかだけ教えて下さい!」
上司は最後まで答えてくれませんでした。
壊したパソコンの分だけ、強くなれ、赤様よ。
白い人形が不幸になれば、世界は救われます 星の狼様
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887375351
私は白い人形ノルン。
か弱く、一人では歩くこともままならないくらいに弱い存在。
12の星は壊れ、星を依り代とした神々は堕落神となり、封印をされてしまった。
世界を救う鍵となるのがノルンだと言うが、世界を救うことよりも、大切な願いがある。
時を操る女神は今、狂ってしまい悪魔の女神と化した。
それが私のお母さん。
たった一つの願いは、優しかったお母さんと一緒に暮らすこと。
そのようなささやかな願いすら、聞き入れられないと言うのでしょうか?
霧の人形でも、希望の女神でも、天の創造主でもなく、ただ、ノルンとして母親と一緒にいたい。
けれど、そのようなささやかな願いすら叶えられない。
だって、世界が救われるには、白い人形が不幸になる結末でしか、訪れないのだから。
世界を巡る、たった一つの願いの物語。
壮大。
この一言で終わらせようかと思ったくらい(思うな)壮大な物語だった。
しかもまだまだ続いていくらしい。
最初に愚痴だけ言ってしまおう←感想文で愚痴ってなんだ?
序盤の文章構成が悪いというわけでなく、僕の文章を理解する脳処理方法にめちゃくちゃ合わなかった。
一般的な小説の書き方というよりは、詩を読んでいる感じ。
おそらく、叙事詩的な書き方なんだろうと思う。
.hackというゲームで黄昏の碑文というものが出てくるけれど、
波"に蹂躙されし麦畑に背を向けて
影持つ娘のつぶやける
"きっと、きっと帰るゆえ"
されど、娘は知らざるなり。
旅路の果てに待つ真実を。
彼女らの地の常しえに喪われしを
みたいな。
叙事詩を短く読むのなら物語の雰囲気を感じて好きだけど、長編となるときつい。
なんというか、ダンテの『神曲』を読んでいる感じ。
ちなみに3ページで断念しました←コンティニューしますか?
とはいえ、この物語は叙事詩と小説の中間的な感じがする。
小説的な体を保ちながら叙事詩的というか、好きな人はとことん好きになると思う。
大量の情報を一個一個吟味と想像をしながら読まなければいけないタイプの物語は、さっと撫でるように読んでいって、断片的に得た情報をつなぎ合わせて読むタイプにとっては、非常にきつい!
情報量が多すぎる!
もっとゆっくり読めばいい話だけども、ゆっくり読むのがまどろっこしくてできない。
これは物語の問題というよりは、ただ単に相性が悪かっただけだと思う。
読み終わるのにこれ一カ月くらいかかるんじゃないかと本気で思ったけど、第3章からはグッと読みやすくなった。
雰囲気重視の一人称(三人称らしきものも混じるけど)に変わったのだ。
あ、あれ?
と思ったら、今までの物語には改訂版とあった。
まさか……元々は一般的な書き方だったのを、叙事詩的に書き直しているのだろうか……?
この情熱に、乾杯。
で、もう一つ。情報量の多さには、物語の壮大さのためではあるけれど、更に理由もある。
一人のキャラクターに対して、状態や立場によって、呼び名が変わるのだ。
霧の人形、希望の女神、青のお嬢様、まだあった気もするけど、主人公のノルンだけでこれ。
母である悪魔の女神も、時の女神と呼ばれる時もあれば、ノルフェスティと名前の時もある。
女神の影にも種類があるし、しかも物語の構造上、現実だけでなく、夢の世界もでてくるし12の星々(6つは壊れているけれど)に、時まで操れるものだから世界線が別れた状態もでてくる。
もうね、ものすごく混乱する。
しかも、命というものが死ねば終わりといったものではなく、魂が存在する限りは存在自体は消えないといったものであるらしく、退場したキャラクターが別の体に乗り移ったり、操られているキャラクターまでいるものだから物語展開がものすごく複雑化している。
頭がおかしくなりそうだった←最近のお前の頭はおかしくなってばかりだな。
ついでに(ついでに?)壮大で複雑な状態は作者様も自覚がある上のようで、今は誰が主眼となっているのかについて、ご丁寧に教えてくれる。
私は〇〇
みたいな感じで始まるから、今は誰の視点であるのかについてはわかる。
そして、忘れられないように特徴までご丁寧に書いてくれるのだ。
それはいいのだけど、さすがに何回も出てくると「わかっとるちゅーねん」と方言でツッコミが出てしまう。
非常に事象が絡み合っているので、これから読まれる方々は、複雑な物語だと言うことは覚悟しておいた方がいいかもしれない。
しかし、霧の人形、希望の女神、青のお嬢様などの呼び分けに非常にこだわっていることには、流石に意味があるんだろうなあと思って読んでいた。
というか、もしこれで意味なんてなくて気分による使い分けだったりしたら、それはもうキレる。
きちんと意味があって、良かったと思う。
やっと愚痴が終わった。
ちなみに60万字超えている物語だ。
企画では全部読むことにしているけど、今までの経験上、物語で最初に抱いた印象は、9割以上変わらない。
最初にあまり気持ちが入れなかった物語は、どれだけ読んでも入れないままで終わることがほとんどだ。
この物語に関しては、最後まで読んで良かった。
物語の全体的な構造が見えてきて、一つ一つの事象の意味合いがなんとなくわかってきたことで、やっと面白くなってきた。途中で読みやすくなったというのもあるけれど。
何から語ればいいか多すぎてわからないけれど、七つの大罪の保持者が烙印という力を使うというところは、割かし設定的にありがちだと思う。
傲慢、強欲、嫉妬、暴食、憤怒、怠惰、色欲
これは色々なところで語られていると思う。
あまり語られることのない、七元徳による力の発現というところは良いと思う。
正義、愛、希望、信仰、勇気、節制、知恵
力の細かな能力についてまでは正直あまり覚えてないけれども(オイ)、何が良いと感じたかと言うと、世界観的には七つの大罪は罪と呼ばれるものであるから、避けなければならないし、断罪されなければならないようなものとして認識されているように感じる。
けれど、どうやら作者様の考えとして感じるのは、『七つの大罪だからいけないものだ』『七つの元徳こそが至上のものだ』というような価値観ではないように感じる。
大罪を宿した人物も、元徳を有した人物も、それぞれに立場があり、世界のためや自分のために、できることをやっている。単純に、大罪が滅ぼされて元徳こそが世界の正義だ、なんて物語ではないのだ。
誰も彼もがわかりあうことはできないけれども、目的のために時に協力したり、争いあったりする。
そこに、多様性を感じるのだ。
何が良くて悪いのかというわかりやすさではなく、複雑さがあり、案外好みだったりしたのだ。
少しだけネタバレとなるけれど、今のところの物語としての目的は、天の創造主を打倒し、世界を救うことが目的だ。
時の女神に光の女神。天上に神々がいるといった設定は、北欧神話がモチーフとなっているっぽい。きちんと読んだことはないけれど。
天の創造主というのが神の中の神。全知全能。
全知全能という言葉は聞いたことがある人が多いと思う。ただたんに全てを知っているという表現でも伝わるかもしれないけれど、全てって、どこまで全て?
文字通り、全てだ。
哲学書などで神についてを語る時に「永遠の相」という言葉がある。
この世にある全てだけでなく、過去や未来すらも全てを認識しているというもの。キルケゴールの「死に至る病」で知った。
というか、調べてみたら、元はスピノザだったのか……「エティカ」最近買ったけど、まだ読み切れてないや。難しいんだもんこの本。
ともかく、現在だけでなく過去や未来すらも全て認識をしているというのが、全知全能たる神というものなのだ。
全知全能の概念は出ているけれど、重要なのは欠損しているということ。
全知全能の神ですら、見えないものがある。
それが、希望の女神たるノルンの未来。
物語をどのような結末で終わらせるかは、彼女にかかっている。
彼女ががんばれば世界が救われてハッピーエンド!
という単純な話でもないところが、おもしろいところ。
物語の構造として面白いところは、彼女が世界を救ったとしても、それは彼女の願いが満たされることと同義ではないところだ。
世界を救いたくないわけではないけれど、彼女の願いはたった一つ。
優しい母親と一緒に暮らしたい。それだけなのだ。
今のところ、天の創造主を倒すために辿る運命を見てみると、彼女の願いは叶えられない。
運命として確定している部分では、必ず彼女にとっての不都合が生じる。
どれだけがんばっても、どれだけ願っても、叶わない。
だから、白い人形が不幸になれば、世界が救われるのだ。
あとはノルンと、双子の妹というか神聖文字の化身というか、ともかくルーンという白い瞳をした人形についてかな。
始め、ルーンはノルンの意識の中で同居しているといった状態ではあるけれど、分離して別々の道をたどる。
お互いを思うからこそ、お互いに出来ることをしているのだけど、出来ることをすればするほどすれ違いもする。
そのすれ違いというものが、感情に訴えかけるものがあると思う。
それにしても、ノルンとルーンという名前には、どういった関連があるのだろうか?
疑問に思って考えてみた。
ノルンとルーンという言葉の並びに、何か共通的なものを感じた。
ノルン。ノ……ルン。 ノ ルーン。
物語の展開で、二人は分離する。元は一つであったものが分離。
ノルンからルーンがいなくなり、別々、の道を歩む。
No Rune
二人は一つで完全体なもので、ノルンからルーンがいなくなったことで、ある意味ルーンが生まれた。
悪魔の大厄災で世界は一度滅亡している。命に対しては儚く脆いものといった世界観。
その中で、ルーンという片割れの消失。
それが、さらに先の展開へ行ったときに、ノルンに訪れる運命なのではないだろうか!?
この説明に納得しかけた方がいたとしたら、騙されないでください(お前が言うな)
気になって調べたら、北欧神話に登場する運命の女神をモチーフにしたっぽい。
ルーンというのは確か文字を表す言葉だったよな、とルーンについて調べたら、ゲルマン人の用いた文字だというのだ。
ゲルマンってことはドイツ方面だから北欧神話との関連はあるのか……などと疑問に思いながらさらに調べると、北欧神話はスカンディナビア神話とも呼ばれていて、ゲルマン神話の一種であるということだった。
なるほど、そう考えると、整合性はバッチリなのか……
No Runeとか何を言っているのだ。アホなのかな?←自己批判
そもそも英語とゲルマン諸語が混じっている時点で設定にこだわる方ならおかしいってなるよね。
まあ何が言いたいのかというと、色々なところからモチーフを拝借しているっぽいけれど、ある程度のモチーフに対する忠実さはあるのだろうし、よく練られた世界観だなあということなのだ。
これは全く関係ない話だけど、宗教としてその星の聖神を祀る宗教もあるのだけど、司教にミトラという人物が出てくる。
たまたま今読んでいる本に出てきちゃったよ!(偶然)
「若い読者に向けた宗教史」って本。おもしろいよ。
おそらく、ゾロアスター教での太陽神。聖なる雄牛を殺して、その血で大地と生き物を造ったとされる。
この物語上では愛をもって世界を救おうといった聖人君子のような扱いではあるけれど、宗教上では随分とこれまた血なまぐさい。
改めて様々なモチーフがあるのだなあと、感心した。
物語上のミトラと、ペルシャ人にとっての宗教上の太陽神ミトラと、北欧神話的世界観がモチーフとなっているところの整合性については、僕も詳しくはないので語らない。
語り得ないことについては、沈黙するしかない。
長くなってしまったので、そろそろまとめよう。
細かな展開についての理解には及ばないし、なんとなくの願いと目的と行うことしか、正直把握していない。
僕の読み方ではそれが限界だ。
けれど、そうだとしても結構楽しめた。
人物たちに願いがあり、目的があり、思惑がある。
全知全能の神を倒そうと言った、一見不可能に近いことを成し遂げようとする醍醐味もある。
そして、どれだけ壮大であろうとも、核となるのはたったちっぽけな願い。
母の愛と娘の愛。
その二つは強すぎるが故に、かみ合わない。
壮大なテーマにあるちっぽけな願いを尊いと思った時、物語が胸にさす光は満ちていくものだと、思えてならないのだ。
(けど、タイトルに『涙腺注意』と書かれるのだけは違う。そう書かれると「泣いてなるものか」と反発心が湧く。泣きたいときに泣くわい)
約651万3千
この前上司と別部署の人と、とある所へあいさつに行った時、なんかお偉いさんっぽいおじさんも名刺をくれた。
事務次長の方だった。
驚いた。
何に驚いたかというと、ただの一事業部署の人間が挨拶に行っただけで、お偉いさんが出てきたということだ。
どういう意味を感じたのかと言うと、それだけ自分たちにこれからもお付き合いをお願いしますといった信用と信頼を感じたのだ。
それもひとえに、上司もそうだけど別部署のMさんの努力が実を結んでいる。
仕事に大切なのは実績はもちろんだけども、結局のところ信頼関係の構築なのだ。
仕事柄様々な場所に訪れるMさんは、当事者に直接会うのが仕事ではある。
けれど、当事者への話の倍以上、担当者との会話に費やすという。
合う回数、時間が増えれば、それだけ信頼関係を構築できる可能性はあがる。
くわえて、そこから持ち出される無理難題をさばけばさばくほど、実績は積みあがってさらに信頼が増す。
そんな、僕の知らなかった影のストーリーを感じたから、大層驚いたのだった。
で、なぜか僕の思考はカクヨムに繋がる。
僕たちは面白い小説を読みたいという欲望や、面白い小説を書きたいという欲望、ただ自分のものを読んで欲しいという欲望などがあると思う。
タイトルだけで読むようなものは、ただ面白そうだから読む。
でも、そうじゃないこともある。
なんというか、この人が書いたものだから読む、というものもある。
過去に読んでみて面白かったから、人格的に信頼がおけるから興味が湧いて、逆にむかつくから読んで批判してやろうだとか、なんらかの思いに基づいていると思う。
ちょっと逸れたけど、営業を繰り返していたMさんを思い起こすと、「読んでください」って言うことって、別に悪いことではないんだよなあ、という思いが更に強くなった。
アピールだとか営業だとか、そういったらなんだか嫌な意味にとられるかもしれない。
けれど、初めは拭い去れないうさん臭さも、関係するたびに薄れていくと思う。
あなたの作品だから読みたい、と言えるまでに信頼を獲得するためには、やはり関係を作っていくことも大切なんだろうなあと、関連付けることができた。
相手のことを認識するには、なんらかのアクションを起こすしかないだろう。
更新することで、ハートを送ることで、自主企画を開催することで、レビューをすることで、コメントを残すことで。
それに、今ではツイッターでの告知もできるらしいし。
あらゆる手段を使って露出を増やしても、別にいいのかもしれない。
「他ならないあなたに読んで欲しい」
なんとなく嫌悪的だったアピール行動のように思えたことも、そう考えると、悪いことではないのかもしれない。
あらゆる出来事を考察した時、自分の認識が広がっていき、世界までもが広がっていくということを、改めて知ることができた。
世界とは、自分を映す鏡だ。
自分が少し優しくなれば、世界も優しく笑いかけてくれる。
そんな気がする。
まあ僕は当分やらないと思うけど(振り出しに戻る)
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