81 キャプテン・フック みりあむ様

「戦闘なんてくだらねぇぜ。俺の歌を聴けえええええ」


 今更になって、マクロス7を全話見た。


 バサラマジでかっけえええええええええ。


 敵と戦い、苦労しながらも仲間と協力して打倒する、というのが物語の醍醐味の一つだと思う。


 けれど、バサラがファイヤーヴァルキリーを駆り、戦場に飛び出してやることは、ひたすらに歌うことなのだ。


 戦闘を止めようだとか、歌が人の気持ちを変えるだとか、そんなもののために彼は歌っているんじゃない。


 ただ単に、歌いたいから、俺の歌を聴いて欲しい。


 ただのワガママにも見える、そんな思いでひたすら歌っているのだ。


 戦争も、種族の違いも、思いのすれ違いも、何もかもくだらないとのたまい、ただひたすら歌を聴かせるのだ。


 どれだけ理解されなくても、否定されようとも、戦場で歌い続けるその姿は、見ていてとても爽快だった。


 20年以上も前のアニメだから、作画が動かない場面があったり、戦闘シーンなんかで使いまわしがあったりと、今のアニメに比べたらクオリティが低いところは多々ある。


 けれども、伝えたいことや情熱なんていう、数値じゃ測れないものが心を揺り動かすのだ。


 魔法陣グルグルでも、キタキタおやじはひたすら自分の踊りを見せつける。主人公のニケも「俺に注目してくれい」というただのワガママでかっこいいポーズを打ったりする。


 みんなワガママで、好きなようにやればいいんだ。


 そんな自由で無邪気な心。社会にもまれるにつれて忘れてしまう、ただこうしたいという思い。


 大事なものができるたびに、昔大切だと思っていた物は上書きされてしまう。


 それも別に構わないけれど、たまにこうして思い出したりする。


 ただ単に楽しくて、くだらなくて意味もない、自分がやりたいという思い。


 ただそれだけのために、生きていくことが、充実した人生というものなのかもしれない。




 俺の歌を聴けば


 簡単なことさ


 2つのハートをクロスさせるなんて


 夜空を駆けるラブハート


 燃える想いをのせて


 悲しみと憎しみを撃ち落としていけ


 お前の胸にラブハート


 まっすぐ受け止めて デスティニー


 何億光年の彼方へも


 突撃ラブはあああああああああああああああああああと





 キャプテン・フック みりあむ様


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054887256534


 俺の名前はキャプテン・フック。

 約束は守る男だ。


 ピーターパンに連れられて、ネバーランドの住人になった。


 毎日冒険して、子供だけで楽しむ、最高の世界だ。


 けれど、子供だけしかいない世界なんて、奇妙なものだ。


 人はいずれ大人になる。でもなんで、ネバーランドには子供がいないんだ。


 それは、ピーターパンは大人が大嫌いだからだ。


 声変わりして、考え方も大人みたいになってしまった奴は、どうなるか知ってるか?


 それはな、ピーターパンに、始末されちまうのさ。





 トリビアの泉のピーターパンの話を見ていたかどうかで、たぶん物語の印象がガラリと変わる。


 見てましたよたまたま。


 ピーターパンの真実みたいな話があって、ネバーランドに大人がいないのは、ピーターパンが大人になる子供を始末しているからだっていうトリビアがやっていて、それはもう衝撃を受けたものだったことを覚えている。


 実際に殺しているみたいな明言ではないらしいけど、そう思わせるような文章がある様子。


 子供だけの素敵な国。大人になる煩わしさもない、無邪気で冒険をずっとしていられる、そんな永遠の夢の国。


 その側面も、こういった解釈が加わることで、物語の印象がガラリと変わる。


 この物語は、その解釈の中でキャプテン・フックがどのように生まれ、どういった役割を担っているのかについての一つの夢物語だ。


 彼は本当に、ただの悪役なんだろうか。


 大人になることって、悲しいことなのだろうか(このセリフは違うゲームだ)。





 さすがだと思う。語り口は軽妙で、読みやすくも引き込まれる。フックの一人称はぶっきらぼうな感じで、彼の想像のキャラクターをとても良く表現している。


 本来のピーターパンの物語であれば、彼は悪役という位置づけだ。


 子供たちのヒーローピーターパンを付け狙う、海賊であり悪の王様である。


 けれど、一つの解釈が物語を希釈した時、フックの立ち位置は新たな意味を得る。


 ピーターパンは無邪気に、子供の国という名で偽った、自分のためのおもちゃをただ調達しているだけだとしたら。


 フックは、ピーターパンのやり方に疑問を感じた。


 仲間だと思っていた奴らが次々と大人になるにつれて、どんどん消えていく。


 そのことに対して、気づいているけれど声を挙げられない。ピーターパンが怖いから。


 そりゃあ、フックがピーターパンを憎むことも、当然のような気がしてくる。


 仲間を殺され、右腕を切り落とされ、ワニに食わされたりするのだから。


 正義と悪の話ではないけれど、どっちが正義かなんて、わからなくなりますよね。





 子供であることが素晴らしいって、案外無条件に信じている人もいるように思う。


 物事を真っすぐ見つめられるし、純粋で核心をつくような正しさを持っている。


 大人になると、そういったものを忘れてしまうと人は言う。


 大人になるにつれて、知らなかったことが知らされる。


 愛を説く大人は浮気をし、仕事の情熱を語る上司は横領している。誠実さが大切だというサラリーマンもギャンブルでぶちぎれる。


 この世は矛盾ばかり。


 快楽に染まり、正義という武器で他者を叩いて、論理と倫理を振りかざして弱気をくじく。


 余裕がなくなると、人に優しくすることはできない。


 誰もが自分のために生きて行くだけで精一杯。背負っているものがあるから。


 家族だったり、恋人だったり、部下だったり、会社だったり、様々なものを持たなくてはならないから。


 綺麗なことをしてばかりはいられない。


 だから子供でいたいというのかもしれない。






 けれどなんていうか、大事なことを忘れていると思う。


 色々と汚いものを知って、辛い現実を感じて、艱難辛苦にくじけそうになる。それは誰しもあるだろうけど、どうして綺麗な大人になろうとしないのか。


 余裕がないのであれば、余裕がでるように生きることを選ぶことができるだろう。


 まあこれは理想論だけど。


 子供と大人のどちらがいいかみたいな、子供大人戦争の側面がこの物語にある。


 ピーターパンが正しくないとは思うけれど、かといってフックが正しいわけでもないというのが、まさしくこの物語の肝だと思う。


 信念をもって、悪の道なりの美学を見出す物語を、ダークヒーローものっていうのかもしれない。この物語は、カテゴリ分けしてしまうとそういった類の物語だ。


 うん、とても面白いよ。


 二次創作に当たるだろうから、ある程度設定や詳細について原作で出来上がっている。


 そういった物語をどう解釈し、アレンジするかというところが、二次創作の面白いところだろう。


 トリビアの泉でこの解釈を見たことがあったから、それほどの衝撃はなかったけれど、フックの存在する意味、彼が彼となるまでの物語を、与えられた材料でくまなく調理出来ているところに、とても完成度の高さを感じる。


 後は余談だけれども、物語の締め方はとても好みだ。


 最初の何気ないことが、最後に帰ってくる。


 構図として表してしまえば単純だけれど、物語を見て、最後に帰ってくることで、言葉一つに壮大な意味が込められる。


 このクールさは、ぜひとも見習いたいものだと思う。





 約461万





 二次創作ものと言えば、「メロスは激怒したけれど、俺も大概キレている」っていう走れメロスのパロディがカクヨムであったけど、これはマジで笑った。


 ところどころ原作の仮名遣いで書いて文学っぽくなっているところが笑いを誘うとかほんと卑怯。


 タイトルに一文字足して台無しにしてください、みたいなお題がネットにあった。


 サザエさん

 ↓










 サザエ許さん










 台無し(笑)

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