59 タイム・ラブ KMT様
仕事終わりの時間に、他の職員の仕事状況を確認していた時に、新人ちゃんに聞かれました。
「私の姉に興味あります?」
「ない」
0.5秒でした。
タイム・ラブ KMT様
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889894483
現代に生きる男子高校生の満は、84年後の未来から“タイムマシン”に乗ってやって来たという女子高生の真紀と出会う。タイムマシンが故障し、元の時代へ帰れなくなった真紀を、満は何とかして助けようとする。そこから二人の奇妙な共同生活が始まる。
というお話。
タイムスリップからの恋愛物。
時空を超える愛というものは、それだけでドキドキが増すのでしょうね。本来生きる時代と違う人間と恋をするということ自体が、タブーを生み出すのですから。
タイムスリップ物には王道の展開で、タイムマシンの故障によって帰れなくなってしまいます。
今回の作品は、他にもたくさんあるタイムスリップ物の中でも、あんまり深刻な雰囲気はありません。
ここが案外なかなかなかったところだと思っているのですが、ヒロインだけだなく、両親も一緒にタイムスリップしてきているところは、ある意味おもしろいところだと思います。
1人ではなく、家族と一緒なら希望も潰えませんし。
戻れるか戻れないかの不安定な要素が軽減されることで、初恋というテーマの方に集中できているのかなといった感じがしました。
時代の違う二人が結ばれることが、なぜいけないのか?
そういった問いについては、恋愛をすることがいけないというより、いずれ元の時代に帰ってしまった時に、離れ離れにならなければいけない運命が待ち受けている。
それはいいとかいけないといううよりは、辛いものであるように感じます。いや、その時代の事象を引っ掻き回すことがいけないという、タイムスリップにおける倫理的な配慮もあるのでしょうけど。
で、考えられているところというのは、時代の違う二人を再び結ぶ方法についてですね。
この物語に関しては多少ネタバレ気味でなければ語れないので言いますけど、
84年という時間の設定が、肝ですよね。
主人公の満は高校生です。
84年後にどうなるかというと、吸血鬼とかエルフじゃなければ普通に年をとりますよね。
特に現代の日本は長寿社会です。
100歳ぐらいであれば、なんとかがんばれば生き延びてしまえそうですよね?
この物語で伝えたいことっていうのは、目的のために、恋愛のために生きることなんでしょうね。
人を長生きさせるための一番の方法は、生きる意志と目的を持てることだと思います。
るろうに剣心では、死の淵まで追い詰められた剣心は、諦める寸前にいろいろな思いが去来しました。
生きる意志は、何よりも強い。
死はきっと死んだときに死ぬのではなく、
生きることを諦めた時に、死ぬんだと思います。
(こいつなに言ってんだ)
うーーーーーーーん
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん
非常に悩ましいと思ってしまうことがありましてね。いや、人によってはおそらくそこが感動のポイントだと思うのです。
恋のためにせよなんにせよ、生きるということを際立たせるためには、どうすればいいでしょうか?
色々な答えはあると思いますが、生きることと対比させることも一つです。
生の対比とは死、ですね。
色々な展開から、狙いから、意図から、理不尽な出来事から、どのような理由かは問いませんが、死はどのような時にも訪れます。
それは別にいいのですが、あまりにも悲劇が唐突すぎて受け入れがたかったなあというところですかね。
実際は見てなくて申し訳ないのですが、ドラマの「4分間のマリーゴールド」と同時期にやっていた、すごいできる社員がどうして病院にいるのかみたいな始まりがあったドラマがあるそうです。
で、どちらも交通事故が唐突に起こります。
今まで真剣に見てきた視聴者たちは、きっといろいろな予測を立てていたはずです。
人間関係によるものとか、知らなかった悲劇的な病とか、なんらかの説明を求めることのできるような、納得はできないけど理解ができるようなものを想像するはずです。
でも、なんの伏線も存在せず、ただただ偶然というものに弄ばれたかのように感じてしまう物語には、なんだか拍子抜けを感じてしまう気持ちもわかってしまいます。
一体今までの苦労はなんだったんだよ。
とか、そんな気持ちになってしまうことも、なんとなくわかります。
ただ誤解しないで欲しいのは、自分は唐突感のある展開には首を傾げたけど、これがいけないというわけではない。
人生には説明のつき、明確な流れを説明できることのほうが珍しいように思います。
そもそも人の死なんてもともとは理不尽に荒らされるものだったのです。コロナウィルスで世界で30万人亡くなっていますが、ペストや天然痘で亡くなった人たちは、2000万人を超えています。当時の一国の人口の1/3を亡くならせるくらいに、病原菌の影響は強大だったのです。
でも今は、小児死亡率がどんどん下がり、ちっちゃな子供でも、死んでしまうことのほうが稀な出来事となりました。
現代人と古代人で、命の価値に差なんてあるのでしょうか?
本質的にはないのかもしれませんが、感情的には、差があります。
今の時代であれば、もっと生きられるはずだったのに死んでしまったのであれば、その人の人生を短すぎるように感じます。実はどうにかなるかもしれなかった命のように感じます。
本来、命をどうにかしようなんて、できるはずもないのにね。
昔の人は貧乏でも子供を多く産みました。お金持ちで子供を多く産む方が理にかなっている気がします。経済力があり、育てられる可能性が上がるのですから。
でも、実は貧乏でも子供を多く産むことはおそらく合理的なのです。
だって、子供が健康な成人になれる可能性が、今より格段に低かったのですから。
多少貧乏な生活となるかもしれないですが、いっぱい子供がいたら、誰かが生き残ることができるかもしれないという戦略が働いているのかもしれないです。
今の子供たちは、大人になれないことのほうが稀です。
なので、多産多死時代の大多数の命よりも、1人の命のほうがまるで貴重なもののように感じる。気がする。
だからこそ、死は悲劇となりうる。
特に大切な人のものであれば、なおさらのことだ。
物語の効果をあげるための手法であったと考えられるため、別にそれはそれでいいのだと思いました。
でもやっぱり、人が作る物語なので、現実的な理不尽よりもなんとなくでも説明がつくもののほうが好みだよねー(裏切り)
約125万4千
タイムスリップものかー。そういえば過去に書いた書いた。
久しぶりに自分で読み返してやっぱり泣いたけど(自給自足)、それでも自分で物語の欠陥が今となっては前よりもよく見える。
意見としてはあったところがその通りで、序盤がつまらなさすぎる。
あと、物語を短い言葉で説明しようとしたときに、おもしろそうなウリが特にない。
やっぱり今度何か書くときは、わかりやすくおもしろい要素が単発的にも必要だし、そもそも人が読むことを考えたら大事なのは最初だ。最初っから世界観を知ってもらうために説明を繰り返しているだけで、誰が読むねん。
もしなんか書くときは、きちんとそこを意識しよう。
だが、特に予定はない。
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