56 ブラック勤務は辛いけど、配達先の幼女が癒し系すぎるっ! 青野 瀬樹斗様

 ブラック勤務は辛いけど、配達先の幼女が癒し系すぎるっ! 青野 瀬樹斗様


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054890739229


 配送業に従事する主人公、早川和は、先輩が辞めた穴を埋めるべく、配送先をまた一つ増やされてうんざりとしていた。


 こんな余裕を見せるとどんどん仕事を増やされる。残業なんて当たり前で疲労困憊だ。


 本当はこんなブラック企業なんて、辞めたい。


 人生自体に嫌気がさしてきそうな中、配送先でインターホンを押す。


「はーい。いまいきまーす」


 聞こえてきたのは幼い声色。


 そして出てきたのは






「いつもごくろーさまです」


「よしよ~し、がんばったね」


「おにーさんにかたたたきしてあげるね!」


 天然癒し系の小学一年生


 みなみあまなちゃんだった。


 幼女に慰められるから、辛い仕事もがんばれる!






 羨ましい(感想終了)












 もうちょっとなにか語っていかないと、


 お☆し☆お☆き☆


 しちゃうぞ(野太い声)








 なんか謎のオネェがでてきた気がするので、もうちょっと続けます(ガクブル)






 ブラック企業に疲れた青年が、癒し系幼女にひたすら癒される物語です。


 仕事って楽しいばかりでなく、やっぱり辛いこともあるんよ。


 自分が悪くなくても頭を下げなきゃいけない瞬間はある。


 自分の手柄を人に横取りされる時もある。


 相手は客だからと、理不尽な物言いにも平謝りしなければならないこともある。


 じゃあなんで働くかというお金のためで、つまりは自分が生活するためで、生きていくためには現代社会ではお金が必要だからです。


 お金のために自分を捨てる。それが魂にとってよくない生き方だとしても。


 金を稼ぐことは悪いことではなく、しかし金を稼ぐ過程には悪いこともある。従業員を使うだけ使って、傷がついたらとっかえひっかえする、そんな企業も残念ながらあるのです。


 現代人は疲れ切っている。


 酒に走ったりギャンブルに走ったり、虚構とも言えるものにすがる。


 ああ誰か助けてくれなんて思っても、みんな自分自身のことで精いっぱいで、人を助けられないのです。


 そんな社会の闇に対して、溌溂とした光を投じる。それがきっとこの物語でしょう。


 世界が導き出した希望。


 それが




 癒し系幼女です(晴れやかな笑顔)






 あまなちゃんはおそらく天使です。だってこんなに癒しをくれるんだもの。彼女の声が福音と言わずに、一体なんだというのですか!(突然キレる)


「おしごとがんばったね」って頭なでなでされたり、優しく肩を叩いてくれたり、一緒に遊ぼうと言ったら「おままごとしたい」って言う純粋無垢な存在なんです。


 まあでも、


 人に甘えることを自分に許せば、魂の脆弱さに繋がる


 と日々言っている私ですから(言ってないよ)、いくら天使のお誘いといえども、そのような甘言に惑わされなんてしないのです。


「わたしがおかあさんやくで、おにーさんがあかちゃん」










「ママ――――――――――――――――――――――――」







 仕事の疲れを癒し系幼女にひたすら癒される!


 というだけの物語ではないところが、おもしろいところです。


 彼女の親である、南天梨は、若くしてあまなを育てていました。


 あまなは、母親が高校生の時に授かった子供なのです。


 可愛くて純粋無垢なあまなですから、天梨はあまなのことを溺愛しており、配送の仕事をしながらあまなと仲良くなる和には、疑念をもって接します。


 父親は交通事故で亡くなっているので、より一層自分が守らなければという思いが強いゆえに、仕方のないことですね。


 初めは監視という名目で和に対して携帯の番号を交換して、あまなには接近しないようにと告げます。


 物語の醍醐味として、その天梨の態度がどのように変化していくかというところも楽しみなのです。


 子供心は純粋です。なぜ天梨は和のことを邪険にするのか、なんで和と仲よくしちゃいけないのか、あまなちゃんは大人には説明のしにくい疑問をぶつけます。


 あまな第一のために恋愛も碌にしなかった天梨があざけられると、和はそのことに憤慨し、天梨に味方します。


 幼女との癒しだけでなく、そういった積み重ねていくエピソードにドラマがあるのです。





 他にも特によかったところとして、ネタバレになるので書けませんが、あまなの出生には秘密があります。


 あまり最近物語を読んでいなかったせいか、自分の目は曇っていたなと、少し反省をいたしました。物語の中でわずかに主張する違和感に、気づけずにいたのですから。


 父親のいないあまなに、和は父親の代わりをしようなどの気持ちはあまり抱きません。でもただ、あまなに優しくされるだけでなく、自分自身もあまなの力になりたいという思いを抱きます。


 徐々に変化するあまなとの関係、天梨との関係。


 幼女に癒しをもらうだけのロリコンの物語というわけでなく、家族の在り方についても考えさせられる、ヒューマンドラマとしての一面もあったのです。


 ああマジで言いたい。けど言えない。


 ある意味よくある手法ではあると思うけど、それでも見抜けなかったところは悔しくもある。


 そして、確実に面白さは増したなあと思えたのです。





 なかなか楽しく読めましたが、強いて一つだけ希望を言うとしたら


 ドラマ的な側面が強くなりすぎて、あまなちゃんの癒しシーンが減っていることくらいですかね。


 たしか小学生にひたすら甘やかされる「とっても優しいあまえちゃん!」という漫画があったはずです。読んだことはないけど、ネットで話題に上がっていたことは覚えてた。


 おそらくこの物語って、あまえちゃんにひたすら甘やかされることと、バリエーションのある甘やかされ方を体験するといったコンセプトなんだと思います。


 一つのコンセプトをひたすら貫くタイプの物語も、またいいものです。


「からかい上手の高木さん」なんかは、クラスメイトの女の子に、あの手この手でからかわれます。


 消しゴムに好きな人の名前を書くと、恋が成就するという占いがあると主人公に高木さんが言って、自分の消しゴムを確かめさせるみたいな、ちょっとした駆け引きでひたすらからかわれる。


 むず痒いけど、その淡い恋模様に心が潤わされる。


 登場人物の多さ、物語の深さに傾倒していく物語ももちろん意義深い。


 けれども、掲げたコンセプトを貫き通して、最終的に甘やかされたりからかわれたりと、その手法や過程を楽しめることも、物語の意味だと思います。


 そんなわけで


 もっとあまなちゃんに癒してもらいたいと思います(真剣)












 親になるときって、一体どんな気持ちなんだろう。


 そんなもんなってみなけりゃわからない。


 そりゃ当然さ。


 でもなんとなく、想像をしてしまう夜もある。物語に触れた時、経験を聞いた時、その思いに触れた時。


 様々なきっかけは、ありもしない、もしかしたらを連想する。


 結婚をしている友人たちは、結婚とは魂の修行だと嘯く。


 お小遣い制になって、自分で使えるお金が減ったよ。


 子供の世話をしているとさ、自分の時間がなくなるんだよね。


 やっぱり結婚をすると窮屈だ。嫁とか子供とかに気を遣うことが多くなる。独身時代は良かったと思う時もある。


 既婚者たちは、結婚のデメリットについてよく理解している。


 俺のようにはなるなと、警告じみた矛盾を発する。


 ひたすら結婚すること、子供と暮らすことのマイナス面を強調しては、その後に言うんだ。


 で、お前はいつになったら結婚するんだ?


 それは一体、どういう意味なんだろうか。


 結婚をする仲間を増やして、一緒に魂の修行でもしようぜという、道連れの心境か?


 子供の世話をする時間を奪われることで、同じステージの不幸にでも陥れようとする魂胆か?


 そんな穿った見方が正しい可能性はあれど、でも本当は違うと思う。


 結婚して子供を産み育てる。苦労の先の楽しさを確かに感じているはずなんだ。


 とある友人は、家に帰ったらまず息子とマリオパーティをして遊ぶ。子供だからといって手加減はせず、全力で叩き潰す。父の偉大さを教えるように。


 とある上司は、どれだけ仕事が忙しかろうとも、子供が熱を出したら真っ先に家に帰る。「じゃああとはよろしく」と言って車に乗り込んで行ってしまう。あれほど仕事が好きなのに、それでも家族を優先する。


 旦那のことを嫌っている奥さんも、子供が悲しむからと離婚をしない。自分の幸せよりも子供の幸せ。人はまず、自分に優しくあるはずだ。でもどうやら、自分よりも大切なものがあるらしい。


 息子とドラえもんを見に行くために、ドラえもん休暇をとる主婦。子供の写真を常に持ち歩く元ヤンの先輩。双子が生まれると大変だと言いながらも、笑っていた先生。


 同い年の同僚は言う。自分の遺伝子を持った子がこの世に生まれてくるなんて、それはとてもおもしろいじゃないか。だから結婚はしたくないけど、子供は欲しい。


 俺はそうは思わない。羨ましいわけでもない。まだ自分でその感触を味わっていないのに、そもそも羨ましがれるわけがない。


 生命の誕生には遺伝子的な目的はあるだろうが、事実に伴う感動を与えるのは、人間側の都合であるというだけだ。


 子供をもったことがないから、少なくとも自分は親ではない。


 それでは、自分の親は、一体どうだったのだろうか。


 父親が亡くなった夜は、とても澄んだ空をしていた。感傷がそう思わせたのではなく、事実としてそうだった。


 思えば馬が合わなかった。物静かだが激情を秘めており、だからこそ意味のわからないところで怒り出す。

 そのくせ、口が達者なわけではないので、人を奮い立たせる言葉も、優しい嘘も、適切なコミュニケーションも、何もかもが自分の基準とは違い気に食わなかった。


 父親の葬儀の際も、絶対に泣いてなんかやるもんかって思った。自分自身の思い浮かべる父親像という幻想に、まるで見合っていない人などに、感情が動かされるなんてまっぴらごめんだった。


 それでも、初めてうっかり泣いてしまったことがあったのだ。


 妹から聞かされた、父親の思いというものを、ミスったことに思い出してしまったからだ。


「父さんは本当は出世して仕事に専念するって道もあったけど、家族のために出世コースを外れたんだって。それで出張だったり、忙しくなる仕事はなくなったんだって」


 その話が、本当のことかはわからない。ただのかっこつけだった可能性も否めない。


 それでも少しだけ、不器用なものを感じた。


 あまり物を言わない父親。良くも悪くも放任主義の母。マイペースな弟に引っ込み思案な妹。


 誰かを頼るわけにはいかなかった。わからないことを自分で考えて、失敗する痛みに耐えながら進んでいくしかなかった。家族を頼りにできないなら、自分でやらなきゃいけないと思った。


 愛されていたのだろうけど、その愛よりも現実のほうが大切だと思っていた。


 それでもようやっと、家族の思いを知ることができたのだった。


 見えていること、聞いていること、話したこと、触れ合ったこと。それだけが真実などではきっとなくて、目に見えないものというものが、きっと大切なのだ。


 大切なものは、目に見えない。


 それをなんと呼ぶかは、自分次第なのだ。


 少しだけ、思う。自分に子供ができたら、一体どんな子なんだろう。


 男か女かはどっちでもいいけれど、初めは女の子のほうがおもしろそうだ。


 もしかしたら親に似てしまって、妙に意地っ張りで文字を読んだり考え込んでしまったりするかもしれない。陽気なようでいて案外辛気臭くて、繊細さも隠し持っているかもしれない。それでも楽しいことが大好きで、時々突拍子もないことをしでかして、周囲を混乱させるかもしれない。


 まあでも、きっとどんな風でもいいのだ。


 わがままでも気弱でも、強気でも一風変わっていても、自分の子供なのだから。


 いきなり彼氏を連れてきて、父をやきもきさせるかもしれない。いきなり小説を書くとか言い出して、過去の傷や楽しさを連れてくるかもしれない。パパから父さん呼びに変わることで、さみしさも覚えるかもしれない。


 ふと、彼女が読んでいる声がする。それは言うまでもないくらいに幻想だ。訪れていないどこかの可能性から吹いてくる、目に見えないし聞こえない幻想。


 でも、父親であれば答えてあげなければいけない。


 俺は架空の娘に叫ぶ
























「ママ――――――――――――――――――――――――」(赤ちゃんゴッコ中)






















 このオチを書くためだけに、こんだけ書いた私は、自分のことながらマジでやべぇと思う(自覚



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