今欲しいものは→知識です(もっと言えばマニーでs

 金が欲しい





















 いや間違えた。


 知識が欲しい(手遅れ)




 以前、いくつもの目標を掲げたおっさんの近況になんの価値があるのだろうと思いますが、書きます。


 目標の達成状況は、一個も守れてないですね(ドヤ顔)


 率直に思うのは、今はカクよりもヨムの時期みたいです。


 時折アイデアが思いついたり、形にしたいなという欲望は煙のようにもやっとするのです。でも生まれてくるのは形がいびつなモヤっとボールです。とげとげが痛い感じです。


 物語を進める勢いや情熱。それはとても大事なものですが、今の自分には以前ほどない感じです。心のマグマどこいった?


 まーそれはいいのです。ただ単に今は足りない。圧倒的渇望感。砂漠で水を望む遭難者よりも、切迫してはいないが切望しているようです。


 知識が圧倒的に足りない。そう思っているのです。


 10代の頃、とても勉強嫌いでした。勉強という言葉の並びからしてすでに嫌いでした。なんだよ勉って! なんだよ強って!


 どちらかといえば勉弱です。10分勉強したら、ご褒美に1時間ゲームをする子供でした。全然単位が合わない。

 女性とデートをするよりも、モンスターとデートをすることを欲していました。愛のやりとりより命のやりとり。遠藤です。


 ですが、生活環境が変わり、年齢の次元が一つ上の段階に上がってしまい(お察しください)、考え方も変わっていきました。


 今は少しだけ、勉強することが楽しく思います。


 知らないことを知ったとき、世界の形が少しだけ鮮明になります。新たに見えた輪郭は、創造よりもはるかに巨大であり、途方に暮れるような壮大さには息をのんでしまいます。希望の気持ちよりも、まだ何も知らないんだっていう絶望の気持ちです。


 謎が一つ解けるたびに、新たな謎が顔をだします。1~10までの数字を知ることで、その先にも数は続いていくんだという途方もない広がりに直面します。


 そしたら少しだけ、ワクワクしてきます。


 知らないことがいっぱいあるということは、これから先どうにも退屈しないで済みそうな気がします。







 なんか綺麗な感じで語っていますが、読む本のジャンルがめちゃくちゃ変わってきました。


 いやね、自分に言い聞かせるつもりで書きますが、別に本をたくさん読んだからって、なんか高尚っぽい古典の名著を読んだからって、それ自体が偉いと思い込むんじゃないぞ。

 そう改めて自分自身に刻みつけたいとこです。


 かといって、読んでおいて内容がまるで理解できない読書に、価値はない。


 そんな結論をするつもりもないです。別にわかんなくてもいいんです。


 ヒルティ、ラッセル、アランの三大「幸福論」を読みましたが、幸福についてはわかりませんでした。


「論理哲学論考」なんかはわけがわからず、解説書込みで一部が理解できました。


 ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」なんかは、本来書かれていなかった最終章が一番わかりやすく感じました。今までの難解なメタファーはいまいち心に響きませんでした。


 社会学における最も偉大な功績を挙げたとされる、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」については、全文読んでも一割も理解できていないことについては、とても自信があります!(自信の持ち方)


 知らないことの中から、ほんの一握りの理解や発見が得られれば、それだけでもなんだかうれしいのです。


 今は理解できなくても、脳が覚えています。脳はただのデータの貯蔵庫なんかではなくて、整理整頓に翻訳や解釈まで勝手にしてくれるコンピュータだと理解しています。


 内容を意識的に言えなくても、今の自分の考えが、実は過去に読んだ本や経験から得たものだと、後で気づくことがあります。


 昔の本をふと読み返すと、今の自分の考え方の基礎になっている文言が見つかったりするのです。実は自分の知らない間に、影響が今に繋がっていたのです。


 わからなくても読んでみれば、あとは脳が勝手にやってくれる。覚えていなくても、そんなもんだと経験上感じています。


 今は、自分の理想の物語を描くために、ひたすら知識を蓄える時間にしようと思います。


 それに、名作と呼ばれる著作っておもしろいのは、古典の名作ほどやっぱり時代が流れても読まれているものです。


 特にパスカル(ヘクトパスカルとかいう単位の人)の「パンセ」を読んでみると、過去から続く歴史の流れを感じます。聖書の話題が頻繁に出たりするということは、聖書を愛読しています(いわずもがな)。1600年代中盤の人物で、神様の存在を今の時代以上に信頼している様が見えてきます。


 何がおもしろいって、同じフランス人で有名なデカルトを時に批判しています。同じ年代の人物だと初めて知りました。


 で、今のエッセイという言葉の語源「エセー」を書いたモンテーニュに対し、時に心酔したり批判したりしています。めちゃくちゃ「エセー」に影響を受けています。


 誰かが誰かに影響を与えて、影響を受けた誰かがまた名を残して影響が連鎖する。こんなおもしろいことはない。


 他には16世紀に起きた宗教改革はマルティンルターの名前が挙がりますが、ここで分離したプロテスタントの存在が資本主義の精神を生み出したとして、1900年代初期にマックス・ヴェーバーが著作にて社会学の扉を開きます。めちゃくちゃ宗教の話とかピューリタンだとかルターの名前だとかが出てきます。ちょっと宗教の勉強をしてからでないと、理解がまるでできないと感じました。


 何がおもしろいって、そのほぼ同時期に自殺という行為を個人な事象ではなく社会的な事象であると新たな社会学的観点を提唱したデュルケームの「自殺論」でも、カトリックとプロテスタントでは自殺率が違うということをデータと論理を使って説明したのです。ちなみに、プロテスタントのほうが自殺率は高いという統計です。


 ほぼ同時期に社会学者として数えられるべき人物が社会を発見し、プロテスタントというキーワードに光を当てたことは、とてもおもしろく感じます。


 ついでに言うと、ヴェーバーはひどい神経症に悩まされたらしいのですが、その症例がとある有名な先生が提唱した説に驚くほど合致したというのです。


 知ってる人は知っている、性的な夢診断の(こら)ジークムント・フロイト大先生の提唱した、エディプスコンプレックスです。


 めちゃくちゃざっくりいうと、男児が母親を愛して父親を憎む心を持っていることによる抑圧や葛藤です。


 母親に対する愛情から、父親から去勢されるのではないかという不安、母親を手に入れようとするには父親が邪魔だが、攻撃性も抑圧しなければならない。それも無意識で。


 オイディプス王の物語で、結果的に父親を殺してしまい、結果的に母親と結婚するといった物語があるそうで、そこからとったみたいです。


 まるでばかげているようなお話ですが、まあヴェーバーは自分のところに少し逃げてきた母親をかくまっていて、父親がそこに無神経に迎えに来たから怒鳴り散らして追い返したらしいのです。

 怒った父親は帰り、家族とは別に旅行に行ってしまうのですが、運悪く父親が亡くなってしまいます。


 意味合いは全然違えど、結果的に母親のことでとりあい父親を攻撃したことで、父親が亡くなってしまったという構図になってしまったのです。


 結果的に父を殺し母親と結婚したオイディプス王のように。


 くわしくはググってね!(他力本願


 で、ひどい神経症やうつに悩まされたからこそ、驚くことにヴェーバーは社会学史における名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を書きあげたのです。


 これと似たような話を最近知ったのでそれも書きます。


 前にエッセイで少し触れた、絶望の名人フランツ・カフカも、絶望の気持ちにいた時にしか小説を書かなかったそうです。


「私の人生において、一番幸福な時間だった」と言って田舎で療養していた期間は、一切小説を書かなかったそうです。


 生きている間に彼が評価されることはありませんでしたが、病的に絶望的だったからこそ、彼は現代に残る名作家となれた、のかもしれません。


 カフカの人生は1883年~1924年。世界大戦もあり、しかも年代はヴェーバーやデュルケームと被っている。なんだか暗いような感じは、まさにその時代に流れる空気だったようです。沈鬱は時代の病だったのではないかと、言えるのかもしれないそうです。


 できるだけすべての人が最大限幸福である、といった考え方。ジェレミー・ベンサムの功利主義といいますが、最大多数の最大幸福といった言葉のほうがなじみ深そうに思います。


 で、その弟子的な「自由論」の著作であるJ・Sミルは、幸福論などの著作のラッセル影響を与え、ラッセルに「哲学的問題を解決しましたぜ」とイキったのが「論理哲学論考」を著したウィトゲンシュタイン。


 また、ベンサムやミルを引き合いに出し、正義というものの考え方を著したのがマイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」。それを読んで正義の話とか書きたくなったのが遠藤。


 知ってるだけの話なんでほんの一部ですが、歴史や流れはこうやって繋がって、今の自分に反映されているのかもしれないと感じると、勉強ってめちゃくちゃおもしろい。


 今はいろいろな本を読んだりして、知識を蓄えたいと思います。


 そしてその暁には





















 めちゃくちゃ金になるものを書いてやろうと思います(結論のひどさ

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