129 最弱レベルの鍛冶屋(ブラックスミス) 八剱蒼弓様

 空気というものは、守るものと破るものに大別される(適当


 ちょっと理由があり、久しぶりにHさんと一緒に仕事をすることになった。


 ふざけてはいるけれど、しっかりとした芯を持っている。他人を変えることはできないし、したいとは思わない。


 だからこそ、今のその人のままで成長するためには、といった観点で仕事を行っている人物だ。


 その考え方にはとても共感ができて、アプローチは違えども、目指す場所は僕と一緒なのだ。だからやりやすい。


 ただ、どうしても違う部分がある。


 真面目な話をしている時にも関わらず、彼は大体おふざけのセリフをぶち込むのだった。


 Hさんが実習生に対するアプローチについて話をした時だったと思う。


 実習生の書いた文章を読んで、実習生自身の文章表現として、「気づいた」という言葉についての正確な意味合いは、ただ単に「知った」というパターンで使っているようだと発見した。


 ただ単に「知った」ということと、自らの考えの結果として「気づいた」という表現では、非常に意味合いが違う。


 それで、彼の理解度を把握するために、こちらが誘導的に話すことではなく、大枠だけ伝えた上で自由に語ってもらうということをしてみてはと、Hさんが提案した。


 遠藤「なるほど。それは名案ですね」


 僕がそう言うと、Hさんの瞳は細くなり、口端は吊り上がる。


 あっ、これは来るなと僕は思った。


 いたずらを思いついた子供みたいな顔だったからだ。


 H「その名案が――明暗を分けたってことですね!」


 腹立たしいくらいのどや顔だった。


 で、実際に腹立たしかった。


 そのまま適当な言葉で流すという選択肢もあった。


 しかし、そうやって流すこともなんだか嫌だった。


 絡めとってくるようなコミュニケーションに、逃げているように思える。


 自分自身の対抗心が湧きだした。


 僕は選択した。


 真正面から受けて立つことを。


 遠藤「いや、明暗を分けてないです」


 ただ単純に否定した。


 今思えばだけど、この返しは別におもしろくなかった(……


 けれど、おもしろかったのはHさんだった。


 Hさんは、机に拳を置きながら、心底悔しそうに言った。


 Hさん「そっかー。明暗分けて欲しかったんだけどな~僕は明暗を分けて欲しかったんですよ!」


 いや知るか。


 というか、何を言ってるかわからない。


 明暗を分けるって慣用句に対して、分けて欲しかったとか懇願するほうがおかしい。


 とはいえ、僕としても気が変わってきた。


 よくわからないことで悔しがるHさんに対し、なぜだか気の毒な気持ちが湧いてきたのだ←本当になんでだよ


 僕はほんの少しだけ、譲歩することにした。


 遠藤「わかりました。しょうがないので












 今回だけ明暗を分けることにしましょう」(譲歩


 Hさん「明暗を分けることにしましょうって表現初めて聞きましたよ」


 僕だって初めて言ったわ!


 こうして、無事に明暗を分けることができたのだった。


 えっと


 なんの話?






 最弱レベルの鍛冶屋(ブラックスミス) 八剱蒼弓様


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885316617


 伝説の勇者が使用した聖剣セラフィムを手にしてしまった少年ルーク。

 なのに「俺は親父を越える鍛冶師になる」と断言。

 果たして聖剣セラフィムは輝きを取り戻すのか?勇者の再来は?


 作品紹介文より抜粋






 勇者じゃなくて鍛冶屋が戦うという、少し王道から外すことを意識したであろう作品。


 で、タイトルの最弱「レベル」ってとこがおそらく肝で、


 本当に最弱というわけではなく、ギルドに所属していない以上、一般人としてはレベルは1という扱いになる。


 故に、どれだけ強かろうが最弱レベルなのだ……っていう話。


 以上終了



















(だめですか? そうですか)






 正直な話、意外と楽しめはしたんですよ。


 世界が救われた後に元勇者の剣がサビだらけになって、剣に宿る精霊に泣き疲れて、伝説の剣を鍛えなおすというのが主旨となる。


 主旨だったり目の付け所は悪くない気がする。


 それで、文章は非常に簡潔でとても読みやすい。


 読みやすいは誉め言葉になるのかとか思ったけど、今の時代だと誉め言葉になると思う。


 というか、昔のラノベも非常にライトな文体のものもあったし。


 小説ってカテゴリで考えると、読みやすいはバカにした表現になるのかもしれないけど、ラノベっていう立ち位置を考えると、読みやすさも重要に感じる。そういうものなのだ。


 ラノベの文章は軽いとか適当とか言うのは別に意見としてはいいと思うけれど、僕はもうそういうものだと思う。


 読むことでストレスがかからないって重要だよ。


 ヘーゲルの精神現象学とかヤバいもん。哲学書に序文は必要か? とか序文で書いているけど、その序文120ページ以上あるからね。ヘーゲル流の自虐プレイかと思ったわ。


 というか、ちくま学芸の翻訳は本当に素晴らしい。おそらくだけど、これ原文とか昔の翻訳で読んだら、多分10ページ読めない。理解のしやすい訳を提供して頂き、本当に感謝致します(小説に感謝しろ


 さて、問題点としては、特に目新しさという点では見当たらない。


 というか、やっぱり出尽くしかけてるんだろうなあと思う。


 勇者が救った後の世界だったり、最弱(というなんらかの理由あり)が活躍する物語って。


 まあそもそも、レベルって概念以外は最弱でもないからなあ。


 一定以上は面白さを感じても、一線は画さない。


 もう今の時代、既視感に囚われないものはなかなかないのかもしれない。


 性格設定も頭が切れるちょっとやれやれ系の主人公、巻き込む系幼馴染、語尾を伸ばす系甘えた感じの精霊と、属性のみ感じるこの感じ。


 勇者が救った後の世界としてのフィールドをもうちょい活かしてもいいのかなあと、漠然と思った。


 なんにしても差別化が望まれるのかもしれない。


 アイデアのみに全振りした物語で、有名になった物は多々あるのだろう。


 けど、その一点特化したアイデアこそが、絞り出すのが難しい。


 一定の力を付けた後は、アイデアをひねり出すことに尽力してもいいのかもしれない。






 約980万2千






 SさんがHさんに「その優しさは保身ですよね」ってズバッと言われたらしく、本当の優しさとは何か、人として成長することは何かとか、真剣に考え始めたようだった。


 確かに、Sさんの課題は自己肯定感だと思えるので、改めて自身の行動や思考の流れに着目するのはいいのかもしれない。


 で、Sさんは新たなことを学んでいくために、僕に質問をしてきた。


 S「遠藤さん。GIVE&TAKEって本を読んだことありますか?」


 調べてみると、アダム・グラントっていうアメリカの教授で、ビジネスにおいて人を三種類に分類したようだ。


 ひたすら与える人「ギバー」


 ひたすら他者から奪う人「テイカー」


 損得勘定で動き、相手と自分の利益を五分五分ぐらいのバランスに保とうとする「マッチャー」


 大まかに、この三種類に分類されるらしい。


 その中で、世の中で最も生産性の低い底辺の人間は、どういったタイプが多いのか。


 みなさんも、一瞬だけ考えて欲しい。





 なんとなく想像がついたと思う。


 一番損をしている最底辺にいるのは、「ギバー」の人たちが一番多いらしい。


 で、話しはここで終わらない。


 一番生産性が高く、社会的に成功をしている人間のタイプで最も多い人たち。


 それもなんと、「ギバー」の人間だというのだ。


 では成功するギバーと失敗するギバーとは……といった内容を心理学や統計などのエビデンスを用いて説明する本だった。


 やっと本題に戻るけど、読んだことはなかったから、その通りに答えた。


 遠藤「読んだことないですけど、どうしました?」


 僕が聞くと、Sさんは快活に言い放った。


 S「与える人こそが成功するっていう本らしいのですが、僕も与える人になりたいんです。なので……








 もしこの本を読んだら感想を教えてください!」








 自分で読まんかい!







 まあ読んだんだけど←読んだのかよ。


 明日、感想を伝えようと思う。

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