69 愛されイディの異世界観光 黒一黒様
通知マークに赤丸があって、とりあえず開いたら、新たなる発見がありました。
あなたのフォローユーザーがレビューをしました
え、フォローしている方がレビューした時の通知文って、2年前にあったかしら?
あったような気がするけど、いまいち思い出せない。うーん。
ただ一つ、レビューをするたびに、少なくともフォロワーにその事実が伝わるのであれば、レビューした物語が読まれる可能性は少しでも上がるだろう。
読まれる可能性を上げるためには、交流を増やしておいた方が+だろう。まったく知らない人よりも、知っている人の方が安心ができるはずだ。信頼している人と知らない人のレビューを見た時、おそらく知っている人のレビューを見た時に良いものだと思いやすいだろうし、そうすると人と人が数珠つなぎ式に飛び込んで読まれる可能性は高くなる。
ふーむ。そうなると、なんだか✰が貰いやすくなった気がする要因の一つは、カクヨムのシステムの拡充と、サイトの運営が長くなってきてコミュニティも形成されてきたことによる相乗効果もあるのかもしれない。
また何か変化があったら、考えてみよう。
愛されイディの異世界観光 黒一黒様
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884163349
月曜日よ、こないでくれ。
そう願う社会人主人公(28)は、ショタ神様の口車に乗せられて、異世界に観光をしにいくことになった。
異世界でバトルをしたり危険な目にはあいたくない主人公は、神様に条件をつけた。
危険な目には合わないし、バトルをしたりすることもない。死なないし安全な加護を挙げると言われて、ほっとしながら異世界へと繰り出した。
しかし異世界に降り立ったその姿は
犬耳を生やした白髪の愛らしい幼女となっていたのだった。
異様なまでに愛されて庇護される、本能に逆らえない系幼女(28)の、異世界観光が始まる。
見た目は獣人の幼女ですが、中身はおっさんの一人称です。
中身はおっさんなので、綺麗なお姉さま方に囲まれて嬉しい思いをする、かと思いきやですよ。
神様の加護により、愛らしい姿となってしまった上に、特殊な魅了のような魔法が随時発動しているため、異様なまでに愛される姿を楽しむ、異世界ギャグコメディといった感じです。
出会ったお姉さんに優しくされたかと思えば、どんどんテンションがおかしくなってきて、最終的に「あなたのすべてを管理してあげる」とばかりに、オムツを履かされそうになるなど、ちょっぴり危険な魅力を発しています←ちょっぴりどころじゃない。
モンスターに襲われたり、病気に見舞われたり等の危険はないのですが、魅力的過ぎるゆえに町の住人に追われたりしています。いや本末転倒じゃねえか。
ただそれだけでなく、追いかけてくるお姉さんもどうしてあんなに主人公のイディを可愛がろうとしたのだとか、登場人物の今までの歴史だったり流れはきちんとくまれており、ギャグテイストでありながらも、考えられています。
ただギャグとシリアスのギャップに、主人公は自ら「シリアスさんはどこいった」とツッコみます。というか、シリアスな場面でも脳内では面白いことを思っていて、作者様が展開を重くしすぎないようにといった配慮の現れであるのかもしれないと思います。
というか、今回なんだか白髪キャラ多いな。今のところ4人くらい白髪だった気がする。
確かに映えるよね白髪。破滅フラグのソフィアも白髪にルビー色の瞳だし、神秘的な魅力を持たせたいキャラって、白髪で描かれることが多い気がする。
でもそれを言ったら、一時期金髪ツインテールが流行りまくっていたもんな。そう考えると、これも流行りなのかもしれない。
全面的に関係のない脳内での考えが多く、ギャグに対する執念を感じるでももっとかっこよくなる方法もあるはずだ。もっと腕にシルバー巻くとかさ←こういうのだよ
正直言うと、前半は面白かった。タイトル通りに観光的な気持ちでお菓子大会を楽しんだり、オークの花嫁を貰う式に参列したり。種族による違いも考慮した上で、オークの花嫁に関しては攫っていくようなシチュエーションでありながらも、オークとしての力強さと種族特性によるものから、こういった式の形になるといった考察だったり、光る部分は多々あります。
ただ、企画でなかったら最後まで読めなかったと思う。
理由はいろいろ探せばあるのだけれど、2つに絞ろうかな。
1つめは、元々は日帰りファンタジーに投稿された作品であるため、現代に帰る要素もある中で、現代の要素があんまり活かされていないと感じることです。
3年前くらいだったかな。2回目が開催されたかは知らないけど、2万字以内に、異世界に行きっぱなしではなく、現代と行き来する、日帰りファンタジーコンテストというものがありました。
あー懐かしい。作品だしたなーとか思い出に浸っていましたが、コンセプトは異世界と現代の両方の強みを生かした、新たなファンタジーの創設だった気がします。
別にこれはもう日帰りファンタジーの物語じゃないのだから、別にいい気はする。
けれど、転生ものもそうだけど、現代人の要素があるのであれば、そこで得られた知識だったり思いを活かした物語の方が、好きだなあというだけです。
社会人であることで、主人公が活かしているのは、土下座のスキルだったりします。なんだろう、とても悲しい気持ちになる。
現代に緊急脱出するようの呪文もあるのですが、一回しか出てこないですし。現代要素にも何かしらのドラマが欲しかったという気持ちもあります。正確にはあるけど、ちょっと薄いかな。味噌のない味噌汁というか←味噌汁じゃないやん
強いて言えば、主人公の思考内容が現代要素ですかね。もっと腕にしるb←もうええわ
2つめは、ギャグの思考に偏りすぎていることです。
文章をギャグに寄らせようとしているので、シリアスなシーンでも、けっこうふざけたことを考えます。平和主義な主人公の性格上、なんとか場を和ませたり収めたいという願望でもあるのでしょうけど、シリアスな場面でそうなると、どうにもそのシーンに集中できなくなります。
シリアスでなく、尻、assな感じになります←両方ケツじゃねーか
シリアスな展開と主人公のギャグと、一体どちらを重視したいのかの目的があいまいになっていることで、物語に入り込めないところはちょっと惜しいところですね。
渾身の告白シーンの時に、股間に白鳥を立たせたレオタード姿だったとしたら、きっと感動しないでしょう←ドリフか
普段からゲロ吐いたりラジオ体操でキャバ嬢の動きをしたりする銀魂ですら、ドシリアスシーンではギャグなく真剣に戦います。
むしろ、コメディタッチなシーンとシリアスなシーンのどちらもあるからこそ、コントラストが際立つのではないかと感じるのです。
しかし、これはあくまで型にはまった感想だなあと思うんだよね。
私はやっぱり全部を受け入れることはできなかったけど、シリアスなシーンでもギャグ的なテイストって、もしかしたら成功する可能性もあるよなあって思う。
あくまでこうした方がいいっていうのは、おそらく成功の確率の高い手堅いやり方であって、それによって個性がつぶれる可能性もあるわけで。
その個性を磨き上げた結果おもしろいものができるのであれば、こんな感想なんて無視してもいいと思う。
論語の中でも、孔子は言っている。
知っている者は、知らない者に勝る。
好むものは、知っている者に勝る。
楽しむものは、好むものに勝る。
何事も、自分が楽しく追及できるものこそ、モノになる可能性があるということだと思う。
アインシュタインが相対性理論にたどり着いたのも、きっと楽しくて仕方なかったんだろう。
エジソンが電球について発明したことも、楽しくて楽しくて仕方なかったんだと思う。
小説を書くことだって、書くことで有名になるでもいいし、書籍化して大金持ちになるでもいい。
でもできれば、それは目標の一部であって、楽しいから小説を書く。そういう気持ちでいて欲しいと思う。
最近の研究でも(詳細は知らなくてすいません)自分の長所を伸ばしていく方が、短所を補うよりも建設的だという。
苦手なことをいかにやらないで、得意なことをして生きて行く。
そうしていけば、一番自分が幸せな時間を持っていられる。そんな気がしてならないのだ。
約295万8千
昔に比べて、感想がマイルドだったり、真面目よりだったりするのはなんでかなーと思っていたけれど、まあまあ心当たりがある。
読むことに関しての情熱がないわけでなくて、あの時の自分にはおそらく、書く側の視点とこだわりがあったはずだ。だからこそ一人称で語る人がコロコロ移ったり、視点変更かなんかにあれだけうるさかったんだと思う。
で、今は書く側としてのこだわり部分がおそらく大分抜け落ちて、純粋に読む側だけの視点になっている。
視点変更があると「ん?」とは思うけど、正直ほとんど気にならないもんね。文章の技術的な部分やおかしな言葉も、ほとんど気にならない。いやあ、人って本当に変化する生き物なんですねえ。
他にも明らかに読んでいないだろう感じなのに星を貰ったりしても腹がたたないし、レビュー内容が明らかに読んでいるよう感じのしない適当なものであったとしても、何か思うことがあるわけじゃない。ふーんで終わる。
今の自分は、どんな手を使ってもいい。おもしろい物語を読ませてくれい。
書く側の視点がないから、なんていうかこんなシンプルな希望のみで読ませていただいているんだあと思う。
でも、ぶっちゃけ昔の感想文読んでる方が、こだわりとか不安定さとかが垣間見えて面白い←ぶっちゃけた
書く側のこだわりがあったからこそ湧いてきた文句や改善点なんて、ほとんど浮かんでこないんだよなあ。
で、かといってこの事実に絶望して企画をやめようなんて気もないのである。
人を選びすぎてあまりにもオススメできないけど、パスカルは「パンセ」でこう言っている。
「モンテーニュは活発さと毅然さは歳とともに私たちのうちで衰えると言っているが、私はそれに同意したくない意地悪な気落ちを自分のうちに感じる。私はそうあってほしくないのだ。私は自分自身に嫉妬している。二十歳のときのあの私はもはや私ではない」
今の自分が、昔の自分い負けているなんて思いたくない。自分自身が衰えて、生きて行くうちに衰退していくなんて信じたくもない。自分自身への嫉妬。
2年前の自分と今の自分はあらゆる意味で同一ではないけど、それが老いているなんて思いたくはないのである。ただ、違うだけだ。
面白さや幼さ、エンターテイメント性であれば、あの頃の自分の方が上であるだろうけど、それはそれでいい。
今の自分には、今の良さがあれば、別にいいのだ。
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