109 世界がもっと優しかったなら… あやまるねこ様
今朝の七時頃のことだ。
お酒の勢いで10時間くらい眠れたので、ボーっとはしているけれど、最近では一番頭がクリアになっていた。
朝焼けは収まって、雲が7割ほど空を支配している。
日差しがあまり届かないこともあってか、肌に触れる風に涼しさを感じた。
まだまだ日中は暑いけれど、大分涼しくなってきたんだな。
そう感じた時、夏の終わりの寂しさもあった。
けれど、快感の伴う風の味わいに、この上ない幸福感を抱いた。
ただ単によく眠ることができて、涼しかっただけで、こんなにも気持ちがいい。
忙しさの中で、ふと忘れてしまう自然の移ろいは、心にも良い物なんだなあと思った。
世界がもっと優しかったなら… あやまるねこ様
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891036232
幼児期~思春期に寄り添い、友達のいない子供たち、友達がいらない子供たち、困っている子供たちにも読めて、大人にとっては子供たちの不安や葛藤に気づき、向き合うきっかけやヒントになるような小さな物語が書けないかなぁ、とトライしてみます。
物語に出てくる『天才の卵』たち。彼らは何を感じ、どう育っていくのでしょうか。
作品の紹介文より引用
発達障害と言われるものやアスペルガー障害の特徴を持つ子供たちの小話集です。
とても優しい寓話のような書き方で、とてもすんなりと読めてしまう。子供でも大人でも読めるようにとの配慮であるという。
おそらく専門的に児童支援をされている方なんだろうなあと思えるほど、その特徴をよく捉えていて、とても興味深かったです。
限局的なこだわりから、周囲からは奇異な目で見られる子。
イマジナリーフレンドを持っていて、周囲から受け入れられない子。
不注意や多動性が目立ち、じっとすることができなかったり、自身を危険にさらしてしまうような子。
ある程度タイプはありますが、似たような状態となっている子はこの世の中でも多数います。
そして、タイトルにもある通りに、そんな子たちが抱える生きづらさについて、少しでも理解をしてあげて欲しいと願っているように感じる。世界がもっと優しかったならと。
この物語の中には共通のスタンスがあります。
この子たちは何も悪くないんだ、ということ。
そうやって生まれて、そのような生き方をしているだけなんだ。
うんうん。よくわかるよ。
そもそも僕が主に対象としているのは精神障害者の方々だし。
精神障害を持っていて、おそらく発達障害も併発しているだろうなあと思われる人は、ものすごくたくさんいる。
まあ、発達障害の人が障害者手帳を取る時は精神障害者手帳が対象となるのだけど。
発達障害というカテゴリに当てはまる方々に、障害という言葉を使うこと自体にどうなのかという意見もある。
障害という言葉に当て込むことで、本当に障害者というレッテルを張られてしまうから。
確かにそれはどうなんだろうと思わなくもない。
かといって、全くのデメリットばかりというわけでもない。
手帳を持つことで、医療費負担が軽くなったり、公共料金が無料となるところもあったり、サービスを受けられたりといったことで、生活の質を向上させることも期待できる。
それに、落ち着きがないのは自分のせいじゃない。障害のせいなんだと、努力ではどうしようもない部分について、きちんとした理由をつけられる。努力が足りないんじゃない。自分自身の心がダメなわけじゃない。
ただそういった脳や神経や身体の使い方であるだけの話なんだと、自分自身の努力とか能力の不足といったところから別の理由に転換できる。
そのことで、救われる人も多数いるらしいということは事実らしい。
正直な話、どちらの方がよりいいことかなんて判断は、僕にはできない。
使えるものは満遍なく使えばいいと思うし、使わないことを選択しながら生きることも、発達障害という枠にハマらないで生きることも好きにすればいいと思う。
タグの中に、「多分あなたも発達障害」とある。
うんうん。マジでその通りだと思う。
自分も含めて、家族全員が発達障害に当てはまると思う。
父親も母親も口下手で、こだわりが強くてたまにわけのわからないところで怒りを露にしていた。世間と馴染むことより、自らの世界でひそやかに暮らしていくことを望んでいたように思う。
弟なんか一番それっぽくて、限局的なこだわり、奇異な言動のチョイス、他者に対して好き嫌いが激しくて人間関係も限定的。空気を読むことが苦手で、他者の言葉をそのまま受け取る傾向が強い。仕事に関しても黙々とかつ自身のペースでこなし続けるタイプのものが得意。ただ、ストレスはため込みがちで他者に対して自身の要求を伝えることが苦手。
それでも、きちんと仕事をこなしてはいるし、綺麗なお嫁さんまで頂いている。なんだかんだ言いつつ、彼は彼なりにしっかりと生きている。というか、コロナあけたら早いとこ甥っ子に会いに行きたい。おじさんがなんでも買ってあげるよ(溺愛)
妹もそうだが、彼女はけっこう頭が良いから、なんだかんだでやっていけている。
僕自身もそう。こだわりが強くて興味が限定的で考え方が独特なようで新しく始めることについては弱くて、注意力散漫気味だから車の運転は苦手で(でも好き)、手先は不器用だしタイピングは速くてもめちゃくちゃ間違える。人付き合いについては考えすぎてめんどくさくなるタイプだし、思考の回路や思考は世間一般とは違っているように思う。けっこう自閉的だなって思う。自閉スペクトラム症。
まあでも別にそれでいいし、そんな自分が案外好きだからやっていけるのだ。
発達障害という概念が自分にもたらされた時に「あっ。これは自分のことだな」って思わずニヤリとしたものだ。
元主任でイケメンのIさんやHさんもADHD気味だし(Hさんに至っては自分で「発達ですから」と公言している)Nさんも発達傾向はあるなって思うし職員だけでも「ん?」と思う方はいっぱいいる。
色んな方々が言うように、これだけいるということを加味しなくとも、個性の一環なんだろうと思う。
世間ではその個性という範疇から飛び出してしまった部分を、障害と呼ぶんだろうと思う。それは周りが言うからか、自身で思うからかは知らないけれど。
さて、ここからがとても難しいところだと思う。
発達障害が個性だということで、じゃあその個性を受け止められない他者だったり学校だったり社会だったり世界だったりの、一体誰が悪いのだろうか。
発達障害は個性だから、それを受け止めてあげてねと、発達の傾向を持たない方々に強要することは、どうなんだろうかと思う。
愛を感じたくて、わざといたずらだったり酷い言葉を繰り返したりする人もいる。
それは発達障害の特性です(本当にそうかどうかは微妙)。この子にとっては、このやり方が最大限の愛情表現なんです。理解して、受け止めてあげてください。
正しいけれど、正しくないと思う。
それがきっと特性であり、個性であることは疑いようもない。
だけど、彼や彼女ではない他人ができることって、どこまでなんだろうか。
構って欲しいから。愛が欲しいからと他者に付きまとい続ける人に対して「理解して受け止めてあげて」という言葉はどこまで効果的なんだろうか。
まあ作者様はそう言っているわけではないことは間違えないで欲しいなあと思います。これはあくまで僕が勝手に書いていること。
きっと人によって受け入れられる幅は違う。キャパシティも違う。能力も違う。発達障害と言われないような方々にだって個性は当然のごとくある。
そのどちらも尊重される方がいいなあと思う。
ただし、理解することと受け入れることとは別問題だ。
「あなたのことはなんとなくわかった。けれども、受け入れられない」
そういった答えは、別に罪でも非道でもなんでもない。
受け入れられることも、受け入れられないことも個性だ。
狭量だとか、わからずやだとか表現できるかもしれない。でもそれは悪口ではない。そういう人なんだろうきっと。
罪を憎んで人を憎まずというように、その人を憎むんじゃなくてその人からもたらされる行為や言葉が憎らしいことの、どこが間違っているのだというのだろう。
障害と人格は別物だ。
障害と呼ばれるものは当然あるのだけど、そのベースとなる人格までもその障害があるからといって無条件で尊重しなければならないというわけではない。
障害があることで生きづらいと考えている人はごまんといる。実際にそうだろうし、余裕もないだろう。かといって、ベースの人格とは別問題だ。
全ての人々を無条件で受け入れて、無条件で優しさをもたらさなければいけないなんて道理はないんだろうなあと感じる。
結局のところ、何も悪くないのだ。
個人も、学校も、会社も、社会も、世界も。
ただこういった形で存在するだけだ。
だからこそできることがある。
悪くはないのだけど、もっと良くしていくことはできる。
昔に比べたら、何物の情報を手に入れることは非常に容易になっている。
漢字を調べるのに、わざわざ漢和辞典を開く必要はない。スマホで変換すればいいだけだ。
旅行に行くのに、雑誌を買う必要はない。インターネットでもグーグルストリートビューでもいいから簡単に検索したりそこに行ったような気にもなれる。
障害やら病気やらについて調べても、ものすごい量の情報を瞬間的に得ることができる。
ということは、今の時代の良いところは、情報については容易に入手できると言うことだ。
そうなると、発信することも簡単だ。メッセージを伝えて、実情を伝えて、一人でも多くの誰かに正しい情報を、生身の情報を伝えることができる。
受け入れられるかどうかはその人に任せるとして、理解を得られる可能性と機会を増やしていくことは容易に行える。
だから僕も、あんまり役には立たない記事で思いを伝えようと思う。
ぜひとも、この物語は読んで欲しい。
読んで何かを感じて欲しい。
感じなくてもいい、理解して欲しい。
理解しなくてもいい、ただの情報として処理してくれてもいい。
それはお任せする。
ただ単に知るだけでいい。
知ったことで、その情報の貯蔵があなたの人生にどのような影響を及ぼすかまでは知らない。
優しさを発揮できるのかもしれないし、やっぱり理解はできないと、いつものようにご飯食べて、いつものように眠るのかもしれない。
それでいい。
わかりあえなくたって別にいいんだ。
ただそういった人々もいるんだって、脳の容量のほんのちょっぴりの部分を占めるだけでいいのだ。
世界に優しくなって欲しいなんて、僕は別に思わない。
世界はただそうやってあるだけで、そこには優しさも厳しさもない。
だから僕は、世界に優しさなんて期待しない。
一般人と呼ばれる方々のことをよく知ることができるように、なかなか知られていない方々がもっと簡単に知られるようになればいいと思う。
社会制度だったり、あり方については不平等だけれども、情報的にとりあえずイーブンになればいい。
それから世界が、優しいと言われる形に変化していくのかは、それはまた別の話だから。
前にもLGBTのことでも書いたように「君って笑顔が素敵だね」と同じようなニュアンスで「君って発達障害だよね」と言える未来が来てもいい。
それだけで、世界は優しくなくても、優しいと勝手に感じることはできるのかもしれないのだから。
約779万5千
ZONEのDEEP DIVE味を飲んだ。
完全にカルピ〇ソーダ。
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