おまけ 本を読むのって楽しいんだよ

 今回はおまけ




 後輩に、どんな本を読んでいるんですかって聞かれたけど、一体なんて答えればいいんだろう(初手苦悩)


 なんでそんなことを聞くのか尋ねた。


「遠藤さんってHさんと同じくらい語彙力があるじゃないですか。だからどうすればもっと語彙力があがるのかなと思って」





 それは褒めているのだろうか?(疑心暗鬼)


 いや、H氏は常識を知っている変態だけど、知識や考え方は自身流に確立されている、とてもすごい奴なのです。だからたぶん褒められているはず。


 うん(自己解決


 でもなあ。語彙力を上げるっていう目的は、本質を違えている気がする。知識を得たら脳のいろいろなフォルダに納入されるけど、それを引き出していくことですんなりと出てくるようになると思う。


 あと、言葉から言葉への連想が繋がっていく様は、知識の多さ+知識を統合させる能力というものの必要な気がする。ただ言葉を覚えたいだけなら「百科事典でも読めい!」と言えばいいだけの話。


 歴史で学んだ流れを現実に当てはめてみる。社会体系の内容を知ることで、その時代の哲学はどうしてそのような考えに至ったのかについて推測する。


 知識はきっと単品の宝箱でなく、連なった細胞のようなものだ。


 となると、知識と智慧を磨くためには、より多くのものとジャンルに触れることが、遠回りのようで近道な気がする。


 なんの本を勧めようか迷ったけど、少し箸休めも兼ねて、ここ一年くらいで読んでみて特に良かった本を思い出す意味も込めて、7冊限定で簡単に紹介しようと思う←お前はまず作品を紹介しろい





 1.歎異抄をひらく 高森顕徹


 日本で一番読まれている仏教書とも言われる歎異抄。その解説書です。


 親鸞聖人の教えを書き記した前半、親鸞聖人の言葉をもとに異端説について言及した後半。仏教を学ぶにはこれだけでは不十分でしょうが、この世界を生きていくためには、たった一言の教えで十分です。


「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」


 善人ですら浄土に生まれるのだから、悪人であればなおさらだ。


 という意味。でも普通、逆じゃないかと思うわけです。


 阿弥陀如来が救おうとしているのは、善人ではなく実は悪人であるというのが弥陀の本願であるという。


 そうなるともしかしたら、善人が救われないなんて不公平だという思いを抱かれる方もいるんじゃないかと思う。


 けれど思う。


 本当に自分が善人であると思っているのだろうか?


 日本人の多くを魅了する本ではありますが、海外にすらも影響があります。「もし私がキリスト教でなく歎異抄を先に読んでいたら、私は日本語を勉強していた」と語った哲学者すらもいたほどです。


 この言葉の真意について知りたくなったら、ぜひとも開いて欲しい一冊です。





 2.サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ


 人類総合学と呼べるのかもしれない、人類の歴史についてを幸福といった観点から考察した書です。


 ホモ・サピエンスとは賢い人という意味です。


 我々は賢いんだと傲慢な呼び名をつけてしまったのはなぜかというと、所謂「ヒト」族というものは古代にたくさん存在してしまいました。


 北京原人にジャワ原人。ホモ・エレクトスにホモ・デニソワ。それは一体的に進化して今の人類になったわけでなく、交配説もあるのですが、実はホモ・サピエンスが他の人種を結果的に滅ぼしたのかもしれないという。


 平和だの人権などを語っているホモ・サピエンスは、実は世界中の生物の最も多くを絶滅させた、「世界で最も危険な種」であるようです。


 生物学の視点に経つと、人類の次に成功をしている種はなんでしょうか?


 そんな指標は本来はないのですが、ただ単に数が多いという意味であれば、人間の次は牛や豚や羊などの家畜です。


 様々な戦略の結果、数の多さという意味では、家畜は人類の次の成功者だそうです。


 でも、本能を抑えられ、動きを抑制され、いずれ食物として殺される動物たちは、幸福という観点では、果たして成功と言えるのだろうか?


 人類の歴史構造と幸福。この二つの観点から人間社会を眺めることは、この上ない刺激となります。





 3.銃・病原菌・鉄 ジャレド・ダイアモンド


 上記のサピエンス全史よりも以前に発売されている、地理的条件や歴史的事実に基づいて、なぜこの人類社会はこうなったのかを考察している書です。


 地理条件や気候条件により、どうしてヨーロッパが中世から世界をリードしていったのか、それは銃・病原菌・鉄を持っていたからだということから、このタイトルになっています。


 食糧生産が始まった地域は、世界でわずか5地域からである可能性が高いとのこと。人間が食べられ、成長速度や栽培難易度の簡単な種類が多く生息していたり、


 適切な日光やたっぷりの水源があったり、


 険しい山々やカンカン照りの砂漠など、移動の制限が少ない地域だったとか、


 様々な条件が折り重なった上で、文化の発展が起こってきたという歴史を教えてくれます。


 農耕を始めなかった人と農耕を始めた人。


 支配をした人と支配をされた人。


 そのような違いを、様々な条件から考察された本書は、人類の道筋をより明確にしてくれるはずです。





 4.夜と霧 ヴィクトール・E・フランクル


「心理学者、強制収容所を体験する」


 ナチスドイツ時代に行われた、ユダヤ人に対する迫害を実際に体験した著者の体験記であり、強制収容所における人間の心理、反応、生きる意味について心理学者として考察された一冊です。


 毎日に絶望して、神に祈りを捧げながらただ助けてくださいと祈る。


 そんな光景をイメージするのかもしれないが、人は慣れる生き物だという感想に異質さも感じる。


 収容所の中で歯磨きすらできないのに歯茎が荒れることもなければ、傷だらけの手をなんの治療をほどこさなくても化膿することはなく、明らかにビタミンは不足しているのに、以前の健康状態に比べて明らかにいい面もあったということ。


 そう考えると、日本でぬくぬくと暮らしていて、肌がちょっぴり弱くて「赤切れができて毎年痛くて」と言っている人も、そんな状態には陥らないかもしれない。人間は自分に必要なものを無意識的に選択しているのでしょう。


 さて、毎日強制労働に課せられて、次々と仲間が体力の限界や病に倒れていく。死体は無残に積み上げられ、廊下に横たわっていることもあります。


 仕事をできなくなったり弱音を吐いたりすると、看守から鞭で打たれたり罵られます。


 そしてそんな出来事に、心は何も反応しなくなります。


 そんな悲惨とも言える非日常は、繰り返される日常に溶け込んでしまう。


 そしてついには、看守から暴力を奮われることよりも、看守に無視されるように存在すら軽んじられる方が、心底屈辱だと感じたのだというのです。


 人に傷つけられるよりも、傷つける価値もないと判断される。


 人間とは何かを知る、いい一助になると思います。





 5.利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス


 古代の生物は、何かの間違いか何らかの奇跡で、自分と同じものをコピーする、自己複製の技術に目覚めた。


 人間が生きる目的というものではなく、たった一つの小さな遺伝子が生きる意味について。


 遺伝子が世界で最大限に広がっていく。自分の遺伝子をただただ広めていくこと。それこそが目的だという風な前提があると、この書物を解釈しました。


 なぜ親は子供を守るのか。


 なぜ男女の恋愛に戦略性があるのか。


 生き残っていくために最適な遺伝子の戦略とは何か。


 色々な人間のとっている行動や思惑の背景には、遺伝子が生き残るための戦略であったということらしいのです。あくまで、遺伝子が生き残るためであって、人間が生き残る為ではないというところがミソです。


 親の子に対する子育ては、投資である。子供が大きくなって親となった時により健康的であれば、多く子供を産み、育て上げられる可能性は高くなる。


 利他的な行動というものは、遺伝子がより多く生き残っていくための利己的なものであるというのです。


 この本を読んだことで「生きることの意味を見失ってしまった」という意見がけっこう押し寄せたらしいけど、僕はそうは思わない。


 そんなもんもとからないし、欲しければ自分で見つけんかい、と思ってしまう。


 遺伝子はあくまで設計図であり、設計図通りに作られた人間という器には、選択ができるのである。


 いくら設計図に示された機能が遺伝子による利己的行動であったとしても、それに意味を見出したり喜びを見出したりするのは自分勝手にできる。


 脳内物質の分泌による幸福感というものはあくまで反応であるだけかもしれない。自分自身で手に入れたものなんて、実は何もないのかもしれない。


 けど、それでもいいと思う。


 人間社会が生み出した新たなる自己複製子ミームというものを、本書では語っています。


 人間が複数で協力するための幻想。それは宗教とも、ルールとも、法とも呼ばれる。しかしこんなものは、もともと遺伝子にはないのである。


 ただ利己的に数を増していくだけの遺伝子に、唯一対抗できるのが人間であると、著者は語っている。


 世界の中で生きて、器として生きて、遺伝子の赴くままに生きている中に、個人として生きることができる。


 あらゆる冷たい真実に温かさを見出せるのが、人間なのかもしれない。





 6.自省録 マルクス・アウレーリウス



 かつて権勢を奮ったローマ帝国における黄金期。五賢帝と呼ばれる偉大なる賢人たちが統治していた時代。その五賢帝最後の人物、マルクス・アウレーリウスによる日々の自分に宛てた自省の記録です。


 おごることなく、誠実で生き続けた賢帝の、自分に対する反省文といったものです。


 ストア派と言われる学派の影響を強く受けた彼は、日々自分自身が間違うことのないように、怒りや感情に捉われてしまわないように、自問自答を繰り返します。


 たとえば


「自分は損害を受けた」という意見を取り除くがよい。そうすればそういう感じも取り除かれてしまう。「自分は損害を受けた」という感じを取り除くがよい。そうすればその損害も取り除かれてしまう。


 物事を主観で感じ、感じたままにして放っておいてしまい、その悪影響に振り回されてはならない。人生は主観であり、宇宙は変化し続ける。そのようなものに取りつかれていて、果たして幸福な人生を送れるのだろうか。


 いずれ人は死に絶え、今まで気にしていたことも過去のものとなってしまう、といった自然の摂理を誰よりも理解していました。物事の些事に捉われるのでなく、自分自身を誇れる人物として守り続けられるように、自分自身に対して時に励まし、時に喝を送ります。


 こうした自己研鑽の様子を見ていくことで、自分自身の人生をより豊かにできる考え方を身に着けることが、できるのかもしれません。





 7.論語と算盤 渋沢栄一


 人間の善性を信じ、良き人格者が指導をすることで国は豊かになり、国政も安定するといった思想を持つ論語。


 経済活動について数値として捉え、資本主義発展の基礎となる算盤。


 人格と経済といった一見不格好な両者の視点を組み合わせた書物です。


 近代日本資本主義の父とも称されるほどの人物である渋沢栄一の「利潤と道徳を調和させる」という一大理念が記されています。


 企業はただ設けるのではなくて、それを社会貢献につなげたり、人々の便利さや利益とならなければならない。


 金儲けをしてはいけないのではない。自分たちのことだけを考えて、他者を踏みにじっていいわけではない。


 経済活動と道徳的行動は一致するというのです。


 自分自身がなぜ働くのか、利潤を追求するというのは、どういうことなのか。


 読んでみて思うことは、社会人であればこれは必読の書にしたほうがいんじゃないかと思うくらいでした。


 それぞれの正義と自由がはびこっているからこそ、お金を稼ぐことに対する正しい認識を得ることは、自身の人生にとっても利益をもたらす。そう思う。


「まっとうな富は、正しい活動によって手に入れるべきものである」








 ふう。


 とここまで書いたところで自分への復習にもなったし、いい機会だったと思う。


 それで本題に立ち戻るのだけれど





 一体これ、どれから勧めるべきなんだろうねえ?(知るか




 まあ社会人としての考え方を構築するのであれば、論語と算盤が最初になるかなあと思うわけですよ。


 上司がいつも言っている、上にたつ人間に必要な資質


 人格がある者に、人は従いついていきたくなるものなんだ


 本当に最もだと思う。


 1人の力はとてもちっぽけだから、他の人と協力しなければろくなことができない。


 自分自身のために、人格を涵養し、結果的になんらかの他者にも成果がいきわたればいいなと思う。


 そうだなあ、人格の完成のためにまずやることは














 小説を読み終えますか(本筋に戻る)


 次は10万字くらいで(疲労)。

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