127 僕の愛した天才 宇野 紬(うの つむぎ)様
カラオケに行こうにも密の神が怖いので、家で楽しめないかと模索していた。
ふと思い出した。
どっかのアナウンサーの密着ドラマで、家で防音マスクみたいなものつけて歌ってたことを。
ということで、Amazonで買った。なんかラバーカップみたいなのついた、口元覆って音漏れしにくくするウタエットとか言うやつ。
とはいえ、機械類はなにもついていない。おもちゃみたいなもの(君がいなくなった日々も
こういったものがなくても歌えるわけだし、勢いで買ってしまったのはもったいなかったのかもしれない(このどうしようもない気だるさも
約5000円をはたいたのは、早計だったのかもしれない(心と体が喧嘩して
歌を歌うなんて別にどこでもできるわけだし……(頼りない僕は寝転んで
猫になったんだよーな 君は♪←歌うな
3時間くらい歌ってました。
僕の愛した天才 宇野 紬(うの つむぎ)様
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893210483
「なぜ人は生まれてくるのだろうか。」
そんな、この世で一番難しい問に挑み続けた天才がいた。物理学という学問と命と向き合う彼女の背中は誰よりも強く、気高く、そして孤独であるように見えた。
《あなたはなぜ生きるのですか?》
空を見上げればいつだって星が輝くこの世界に私たちが生まれた意味とは何なのだろうか。
これは僕が彼女に教わった『生きる』ということのお話。
作品紹介文章より引用
こういうの好き(初手結論
物理と哲学って、大好物やないか。
ジャンルがSFってとこも、さらに気になる。
がっちがちのバトルよりも、日常の中で光る出来事の方が、ただ単に好みだ。
主人公はまあ勉強のできるどこにでもいそうな大学生みたいな感じ。
天才と呼ばれるヒロイン。生きる意味を探している。西条
物語はヒロインの葬式現場から始まる。ということは、少なくともどういった展開を辿ったとしても、亡くなっているということ。
それは生きる意味を探した結果なのか。
生きる意味なんて見つからずに絶望に苛まれたのか。
その理由は当然わからない。
わからないからこそ、知りたくなる。追い求めたくなる。
過去の回想からそうやって始まる展開は、よく見かけるものだけど、嫌いじゃなかったりする。
最大級の欠点。もはやこれは誰も異論はないと思う。
完成させんかい!
気になるんじゃこっちは!(叫
いやまあ、生きる意味なんて特にないという答えを出した派だから、他の人の答えって興味深い。
なんらかの自分だけの真理(多分普遍的な真理だと信じるのかもしれないけど)を導き出して、どう物語に反映させるのかって、とても気になる。
ちょうど今、バタイユの『エロティシズム』って本を読んでいて、昨日は図書館でそのバタイユの『目玉のはなし』っていう小説を読んだことで、バタイユについての理解は深まった。
やっぱり小説の文体、とりあげるテーマ、反映された考えなどなど、物語に如実に現れるんだなって。
バタイユの話は機会があったらするとして、『目玉のはなし』を読んだから、『エロティシズム』の理解は少しだけ深まった。
小説にはやっぱり、作者の考え方や興味のある分野、理想、哲学などが色濃く表れる。今更言うことでもないだろうけど、本当にそう思う。
小説を読むことはある意味、その人間を知ることだと思う。
今は流行しているテーマを汲んだ物語がなんであんまり興味が湧かないのか、ふと思いついた。
そこには大抵、オリジナリティがない。作者の人格がない。
形だけあって、中で燻っている生命の奔流が見えないからだ、多分。
なんかスピリチュアルみたいなことを言ってる気がする……。まあ、いいや。
とはいえ、だからこそ哲学的な話が好きなんだ。なんらかのコピーや生き方の参考はきっとあったはずだ。
そんな前人たちの知恵や道標の果てに、どんな人間が今できたのか知りたい。だからきっと、小説を読んでいるのかもしれない。
というわけで、個人的に好きな要素がいっぱいあっただけに、ただ単に残念だ。
なんかの間違いでこの記事見てたら、ぜひとも完成させてくれい。
あなたの思う生きる意味とやらを、聞かせておくれよ。
あなたという人間を、聞かせておくれよ。
約965万5千
香水とか、Pretenderとか、猫とか、こと去年流行った曲について、ふと思った。
これらの曲に共通した要素に『失恋』を感じる。
香水は、数年ぶりに呼び出されたけれど、きっとまた僕がフラれる。
Pretenderは、運命の人は僕じゃない。
猫は、君は猫になったんだって、思うことにしている。
で、失恋をテーマにしている曲って一杯あるけど、なんらかの社会的な様子も加味された結果なのかもと、思ってしまう。
これらの曲の中から、『本当は叶えたいことを叶えられない、諦めのような気持ち』を感じる。
多く望んでも叶わないと信じ込まれている、社会情勢を反映していると、言えなくもないかもしれないと、ふと思う。
全部男性の視点で、もう一つ共通している感じがある。
女性に対する崇拝めいた感覚。
なんていうのかな、『君に僕は釣り合わない。とてもとても……』というようなニュアンスを感じる。だからこそ、崇拝。
自分自身への自信のなさって、おそらくずっと続いていた日本の病であるような気がするけど、なんとなく顕著に見える。
なんでもかんでも、大体わかるようになってしまった、世の中は。
給料は上がり続けない。
仕事を続けていれば家を買えて、家庭を持って幸せになれるなんて神話は、確かに崩れ去っている。
ニーチェはツァラトゥストラで言っている。
神は死んだって。
バブル以降の現実が重くのしかかっていて、情報が流れ込んでくるおかげで、若者もきっと嫌でも気づいちゃったんだろう。
裕福な幻想は死んだんだって。
先行きが見えないと思っている暗さがなんだか、ヒットした歌にも反映されている気がする。気のせいかもしれないけど。
景気のいい時の歌って、でも明るく強気だよね。
広瀬香美とか今になって歌詞を見ると、とても夢があって強気なことを言っている。
「性格良ければいい。そんなの嘘だと思いませんか」
今だったら多分、こんな感じの歌詞は書けないだろうなーと思う。
男性の強さみたいな仮面はきっと、幻想になりつつあるんだなーって思う。
男性だけじゃなくて、女性の方も。
脱コルって言葉を昨日初めて知った。
脱コルセット。
女性らしさ。細い人が綺麗。美人でなければいけない。愛想よくなどなど、ジェンダーバイアスから脱しようとすることらしい。
そのこと自体は、どうぞどうぞ推奨して欲しい。
男性らしさや女性らしさの強要は、好きじゃないし。
ただ一つだけ、この件に関してうーんと思ったことがある。
とある人が、脱コルについて友達に話した時に、こう返されたという。
「それはいいんじゃない。けど、それを強要しないよね」
と。
それに対して、本心では強要したいと言っている。みんなでやらなければ、意味がないと言っている。
それはまあ、効果を考えるんだったらそうなんだろうと思う。
けど、それを強要してしまうことって、結局は男性らしさ、女性らしさを強要していた今までの社会の在り方と、結局は変わらないんじゃないかって思ってしまう。
脱コルセットは選ぶことができる生き方であって、共用するものではない。
女性らしさの仮面じゃなくて、女性らしくない仮面ができるだけだ。
仮面だろうがなんだろうが、好きにつけ外しすればいいと思う。
化粧をしなくても、ヒラヒラした服を着なくてもいい権利。
化粧をしたり、ヒラヒラした服を着るという権利は同居する。
そしてついでに、他人に脱コルを要求する権利だって存在する。
それに対して、拒否する権利だってある。
それでただ単に、いいんじゃないかと思う。
許す権利とともに、許さない権利もあっていい。
だから、結局は特に変わらない。
本日もまあ、曇りはしたけど快晴である。
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