ハプニング

「ふー……」

 ゆったりと湯船につかりながら、レヴィスは大きく息をつく。

 ……こんなに落ち着いた気分でいるのも久しぶりだ。これまでは魔力が暴走しないように気を張っている部分があったけれど、今はそれをしなくても問題ない。あれだけ術を使ったにも関わらずだ。

 ……これもフロートが術をかけてくれたおかげである。


「定期的に術をかけ直す事」

 あの後、フォルテから聞かされた今後の注意事項だ。

 調律術は永久的に持続するものではなく、安定剤のようなもので効き目は少しずつ薄れていくという。持続期間は人によって違うため、効果が弱まったと感じたら早めに術をかけ直す事――……そうしないと、また暴走する危険性がある。要注意人物に逆戻りという訳だ。

「…………」

 レヴィスはお湯を両手ですくっては流しを繰り返しながら、小さく息をついた。


 ……定期的に術をかける必要があるという事は、当然ながらフロートに近くにいてもらう必要がある。しかしフロートは卒業後、実家ここの仕事を手伝うと言っていた。

 そうなるとレヴィス自身がユバルに滞在するしかないのだが……ロアドナがはたしてそれを認めるだろうか?

 国の監視を受けていたのは再び魔力暴走を起こして国へ損害を与えないようにする事が一番の理由だが、それとは別でレヴィスの力を上手く利用出来れば国としても大きな戦力になる――国の一部の人間がそう思っている事もレヴィスは判っていた。

 魔力暴走の危険性が低くなった今、これまでのような監視を受ける事はなくなるかもしれないが、これまで魔力暴走を恐れて大っぴらに言えなかった事を口にする人間も出てくるだろう。

 そうなった時、レヴィスがロアドナを離れてユバルに向かうというのは認められない可能性が高い。


 基本ロアドナにいて術をかけ直してもらう時だけユバルに行く事も考えたけれど、万が一その間に何かあればそこでお終いだ。

 ……レヴィス側からすれば一番楽なのは卒業後もフロートがロアドナに残ってくれることだ。……本音を言うと出来るだけ一緒にいたいのもひとつある。

 しかしそれは元々フロートが考えていた事を全て白紙に戻してしまう事でもあり……そもそも、こちらは国が決める事案に従うだけだろうと卒業後の進路を全く考えていなかったのだ。そんな人間の都合を少女に強いるのはどうにも躊躇われて、その話をする事が出来なかった。


「……はぁ」

 どうしたものかとため息をついて天井と湯気を仰いだ時。

 ――浴室の外、脱衣所の方で力の揺らぎと何かの気配を感じ、バッとそちらへ顔を向ける。


 魔力の揺らぎに似ていたがどこか違和感があった。揺らぎはしばらくすると無くなるが、気配はそこに残ったままである。

 レヴィスは険しい表情で湯船から出て、とりあえず横に置いてあったタオルを腰に巻いてからそちらへと向かった。

「…………」

 ドアノブに手をかけ、深呼吸をひとつした後、ゆっくりとドアを開けて脱衣所を覗き込み――中の様子を見たレヴィスはぎょっとした表情で声を上げた。


「――な、何してる⁉」

「えっ⁉ ……あっ!」

 そこにいた人物はレヴィスの声にビクッと肩を震わせて振り向く。脱衣所の中央、立っていたのはフロートだった。


「…………」

「あ、えっと……その……」

 何も言わずこちらを見ているレヴィスへフロートは言葉を返そうとするも、恥ずかしそうに顔を赤くしながら視線を逸らす。

 少女のその様子にレヴィスは自身が腰にタオルを巻いただけの状態だったと思い出し、棚に置かれている予備のタオルに手を伸ばした。

「……一応聞くけど、まさか覗きに来た訳じゃ……」

「ち、違う! こ、この状況だとそう思われても仕方ないけど、違うから!」

 言葉の全てを待たず、遮りながら否定したフロートの顔は真っ赤だ。

 彼女に背を向けて髪の毛を拭いた後、タオルを羽織るように肩にかけてから再び顔を向ける。……流石にフロートがいる所で着替えまでは出来ないし、これが最低限出来る事だろう。


「……もしかして俺、鍵をかけ忘れてたか?」

 それで気付かずに中に入ったのか――そう思って疑問を投げかけたが、当の本人は顔を赤くしたまま視線を泳がせている。質問も耳に入っていなさそうだ。

「なあ、フロート……」

「――ご、ごめん! お邪魔しました!」

 一歩踏み出したレヴィスに対し、フロートは弾かれるように脱衣所のドアノブを掴んでドアを開けようとする。

 だが鍵がかかっていたらしくガチッという音だけが響き。慌てて鍵を回し、ドアを開けて外へ出て行った。

 残されたレヴィスはポカンとした表情でドアを見ていたが、ある事に気が付いて首を傾げる。

「……そういや、ドアが開く音……してなかったような……?」

 当時の事を思い返すが、その時は考え込んでいて周囲の音がどうだったかがはっきりしない。

 服を着ながらしばらく考えていたけれど思い出せず、自分が聞き洩らしただけなのだろうと結論づけたレヴィスはそれ以上考えるのを止めた。


 一方、フロートは廊下を足早に歩きながら、自分の部屋へと向かっていた。

「……ああもう、びっくりした……!」

 熱くなった顔を手で押さえつつ、ぶつぶつと呟きを洩らすフロートの視界に右手首にはめた腕輪が入る。

「もう少し遅かったら、完全に鉢合わせしてたかも……うう、危なかった……」

 そう呟くフロートの脳裏に先程のレヴィスの姿が浮かび……それを振り払うように頭をぶんぶんと横に振った。

「――さっきのはなし! 何も見てない!」

 自分に言い聞かせるかのように声を発し、フロートは勢いよく部屋のドアを開けて中に入る。

 バタンと音を立ててドアが閉められた後の廊下は一気に静かになったが、耳を澄ませば部屋の中から小さく、布団を叩く音がしていた。

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