船上での戦い

 船の旅を始めて二日が過ぎた。

 レヴィスに「お前のやり方は無茶苦茶だ」とフロートは小言を言われたが、定期的に食事を摂った上で酔う事が少なくなった青年の顔色は大分良くなっていた。しかしあまり長く起きていると酔い始める為、食事の時間以外はほとんど眠っている状態だったけれど。

 その日も食事を終えてレヴィスを眠らせた後、図書室で過ごすべく廊下を歩いていたフロートは後ろから声をかけられ振り返る。そこには探索者の女性が二人、笑みを浮かべて立っていた。


「ごめんね、いきなり声かけて。アタシはミーナ、こっちがマユって言うんだ。昨日船長に聞いたんだけどアンタ、アカデミーの学生で卒業試験中なんだって?」

 ペラペラと話し始めた栗色の短髪の女性は横にいた黒髪ポニーテールの女性を指差しながらにっこりと笑う。

 ミーナと名乗った女性はライトアーマーを着込み腰には長剣、マユと呼ばれた女性は動きやすそうな皮鎧で背中に弓を背負っていた。

「実はアタシらもアカデミー卒業生でさ……話聞いて応援したくなっちゃったもんで声かけたって訳」

「卒業生なんですか? 有難うございます。私はフロート=ティルルといいます」

 女性らが声をかけてきた理由に納得したフロートは笑顔を返す。

「フロートか、宜しくね! ……でもさ、卒業試験ってペアじゃなかったっけ? それとも今はやり方が変わった?」

「いえ、変わってないですよ。ペアの相手はいるんですけど……ちょっと今、体調崩してて部屋で眠ってます」

 流石に「船酔いするんで眠らせてます」とは言えない。若干ぼかした言い方を選び口にしたフロートに対し、ミーナとマユは少し憐れみを含んだ視線を向けてきた。

「試験のプレッシャーに負けてんの? そのコ。そんなので試験クリア出来る訳?」

「……まあ、ナイーブなコなんじゃないの……ミーナと違って」

「ちょっとマユ、どーいう意味だよソレ」

「はは……」

 呆れを隠さないミーナと何か察したようなマユの言葉に引きつった笑みを浮かべつつ、フロートは気を取り直して二人に向き直る。

「お二人は戦士コースの出身ですか?」

「え? ああ、そうだよ。アタシが剣士クラスでマユが拳闘……」

 フロートの問いかけにミーナがそちらに顔を向けて答えようとした時だった。


 ……ズズンッ!


「きゃあっ!?」

 突然船内に響いた轟音と衝撃にフロート達は壁に手を突く。

「な、何!? 暗礁にでも乗り上げた!?」

「落ち着きなさい、馬鹿」

 きょろきょろと周囲を見回すミーナに対し、マユは状況判断をする為に耳を澄ます。途端に船内が騒がしくなり、何人かの船員が慌てた様子で甲板へ向かい走って行くのが見えた。

「どうしたんですか!?」

 マユが声を上げると船員の一人が立ち止まって振り返った。

「海獣が出たんです! 皆さんは指示があるまで部屋の中に入ってて下さい!」

 船員の男はそう言うと再び甲板に向かって走り出す。その言葉にミーナとマユは顔を見合せ、それからフロートの方を向いた。

「わたし達は甲板に行って来るから貴女は部屋の中に入ってなさい」

「え……」

「学生の出る幕はないよ、大人しくしてな!」

 ニィッと口元を上げてそう言い、ミーナはマユと共にその場から走り去る。

「…………」

 その背中を見ていたフロートだったが、意を決したようにきゅっと口を結び、前方を見据えると彼女達を追って駆け出した。


「……!」

 甲板に出たフロートの目に飛び込んで来たのは乗っている船と同じくらい大きな蛇の獣――シーサーペントが身体をくねらせ、ミーナ達と対峙している姿だった。

「……くっそ、でかすぎだろ、コイツ!」

「この海域にこのサイズのシーサンペントがいるなんて聞いた事がないし……どこかから流れてやってきたんだろうけど……」

「……ミーナさん! マユさん!」

 向かって来るシーサンペントに悪態をつきながら剣で攻撃を加えるミーナとそれを弓で援護しているマユに、フロートは駆け寄りながら声をかける。

「ばっかお前、何で来た!」

「……今すぐ中に戻りなさい」

「私も手伝います」

 鋭い視線を向けてくる二人にフロートはにこっと微笑みを返してからシーサーペントを真っ直ぐ見据えた。

「この船沈んじゃったら、私もペアも一緒に沈んじゃいそうですし……大丈夫、実地訓練だと思えばいいんですよ」

「…………」

 一瞬ぽかんとした表情になったミーナとマユだったが、二人とも楽しそうに声をあげて笑った。

「お前面白いなー! でも、そういうの好きだ!」

「訓練じゃないけどね……まあ、そう言えるだけの根性がある事は認めてあげる」

「有難うございます」

 微笑んだままフロートは杖を手に持って構える。


 シーサーペントの攻撃方法は体当たりと身体を使っての締め付けが主である。今も船体に巻きつこうとしているようだが、その度にマユの弓矢で牽制され、ミーナの剣撃で弾き飛ばされるのを繰り返していた。今は船の周りをぐるぐると回り、隙を窺っているようにも見える。

 その動きに注意しながらフロートは法術の詠唱を始め――シーサーペントが船体から離れた瞬間を狙い、紡いだ詞を一気に発動させる為に声を上げた。

「フル・バリアー!」

 フロートの詞と同時に船体を大きな光の壁が包み込んだ。

 結界を張った瞬間、身を翻したシーサーペントがぶつかった衝撃を受けてフロートはよろめくが、何とか踏み止まると術を維持する為に意識を集中させる。

 一方、驚愕の表情でそれを見ていたのはミーナ達を含めその場にいた全員だ。

「おま……本当に学生か!? それ高等法術だろ!?」

「…………」

 信じられないものを見るようなミーナ達の視線を受けたフロートは「えへへ」と少し恥ずかしそうに笑った。

「アカデミーの学術図書館で閲覧出来る法術は一通り習得してるので……法力の使用量が半端ないから普段は使いませんけど……」

 その言葉にミーナ達はあんぐりと口を開けたまま動かない。


 ちなみに今フロートが使っている法術は広範囲に結界を張る術で、元々は建物などを守る為に開発されたものである。通常のバリアーが地面を基軸とした半円であるのに対し、フル・バリアーは完全な球体で下からの攻撃からも対象を守る事が出来る。だがそれ故に発動や維持が難しく使える人材は少ない。

 フロートが法術士クラスでトップの地位にいるのはこういう、非常に突出した術者であるところが大きかった。もちろん、これは本人の努力の結果だけれども。


「……そ、それより、シーサーペントをやっつける相談をしたいんですが……」

 フロートは苦笑いを浮かべつつミーナ達を見る。こうやって話している間も結界にシーサーペントが攻撃を仕掛けていて、その度にフロートは衝撃を堪え術が解除されないようにしているが、法力もどんどん消費しているので長く続くと術が持たない。

 それに気付いたミーナとマユは顔を見合わせて頷きあい、フロートに向かってニイッと笑った。

「オッケー、任せとけ」

「学生に負けてもいられないからね」

「有難うございます。じゃあ……」

 先輩二人の言葉にフロートは笑い、それから作戦を含めた自身の考えを述べる。フロートの話が進むにつれて二人の表情が若干険しいものへと変わり、話が終わると同時にミーナとマユが口を開いた。

「……それ、貴女の負担が圧倒的に大きいんじゃない? 大丈夫なの?」

「てか、ペアの奴は魔道士なんだろ? そいつにさせたらいいんじゃねーの」

「……それは……」

 こんな状態になっても姿を見せないレヴィスに……まあ、それは法術で眠らせているからなのだけれど、それに対して不快感を隠さないミーナにフロートはどう答えていいものか思案する。

(そりゃあ、本当はレヴィス君がいたら雷魔法とかで迎撃出来るんだろうけど……)

 ミーナ達を見ながらフロートは船室で寝ている自分のペアのことを考え――それから、ミーナ達や船員達にちょっと申し訳ない気持ちになった。確かに魔道士であるレヴィスがいれば戦闘はぐっと楽になるだろう。しかし彼を起こしても戦力になるかどうか判らないし、何よりあれだけきつそうだったレヴィスを起こして無理矢理戦闘に参加させるのも気が引ける。


「今は体調を崩してるので……大丈夫です、ちゃんと成功させますから」

「大丈夫って、お前……」

「……貴女が大丈夫ならいいわ。それでいきましょう」

「ってオイ! マユ!」

 言葉の途中で遮ってきたマユに対しミーナは声を上げるが、向けられた冷ややかな視線に口を噤んで黙り込む。

「こうやって話している間にも彼女は力使ってるの。言いたい事はあるだろうけど後にして、さっさと準備しなさい」

「……あー、判ったよ!」

 ミーナは不満そうに顔をしかめながら、背中を向けて走り出す。

「……有難うございます」

「礼を言われる覚えはないわ。時間がかかればかかるだけ成功率が下がるからミーナを急かしただけ。それに……わたしも色々と言いたい事はある」

「…………」

 目を細め真っ直ぐこちらを見据えたマユから威圧感を受けたフロートは何も言えない。

「準備が出来たら教えて。ミーナに合図するから」

「……判りました」

 視線をシーサーペントに移して発した女性の言葉にフロートは短く返事をして、それから法術の詠唱を始める。

 ……後のことは少し怖いが……とりあえず今は目の前にある問題をクリアしよう。

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