付与術
船のマストの上、見張り台に上がったミーナは腰につけていた剣を抜き去り、正面に構えると目を閉じて魔法の詠唱を始めた。
「……大気に漂う風の精霊よ。我が呼びかけに応えよ」
言葉が紡がれるにつれ、刀身が淡く光を帯び始める。
「偉大なる風の力の一端を、我が眼前の敵を切り裂く力を貸し与え給え!」
力ある詞と同時に風を纏った剣をミーナは一振りしてから再び構えた。剣の切れ味を向上させる、剣士用の付与魔法だ。
「いつでもいけるぜ!」
船の周囲を旋回しているシーサーペントを見下ろしながらミーナは下にいる二人に向かって叫ぶ。
それを聞いたマユに視線を送られたフロートは黙ったまま大きく頷く。
シーサーペントは船に張られた結界に突進を繰り返していた。その衝撃に耐えつつフロートはじっとタイミングを待つ。体当たりが有効でないと判れば、シーサーペントは巻き付き攻撃を仕掛けてくるはず。フロートはその攻撃を待っていた。
──そして。
シーサーペントが大きく首をもたげ、旋回しながらボール状の結界を押し潰そうとするかのように身体を浮かせて巻き付いてきた。準備はすでに整っている。フロートはすぅっと息を吸って声を上げた。
「……エンチャント……パラライズッ!」
詞が響いた瞬間、巻き付いていたシーサーペントが弾かれるように仰け反る。
ミーナが使用した付与魔法と同じように麻痺効果がある法術を結界の表面に追加付与したのだ。シーサーペントはそのまま身体を痙攣させながら海面を叩きつけ、大きな水飛沫とそれにより発生した波が船を襲う。
それと同時に船を包んでいた結界がフッと消えた。……フロートの法力はもう空っぽだった。
「……後は……お願いします!」
「よくやったわ。任せて」
荒い息を吐いているフロートへ短く労いの言葉をかけ、マユは弓を大きく引き絞って海面に横たわるシーサーペントへと照準を合わせる。
狙うは――首。
「弓術……凍牙!」
マユの声と同時に放たれた矢は狙い通りに首に突き刺さり――バキバキと音を立てながら刺さった箇所を中心にして海面ごと身体が凍りつく。麻痺効果で動けなくなっていたシーサーペントを凍らせる事で確実に固定させたマユは見張り台の方へと顔を向けた。
「……ミーナ!」
「判ってるって!」
こちらを見上げてきたマユに対しニヤリと笑みを返した後、見張り台の縁に足をかけてそのままシーサーペントに向かって跳んだ。空中で体勢を整えながらミーナはくるっと一回転して――凍りついた部分に向かって剣を振り下ろす。
「これで……終わりっ! 剣技・烈風っ!」
ミーナの叫びと共に振り下ろされた剣は凍結したシーサーペントの首を砕くように切り裂き、再び高く上がった水飛沫と波に船は弄ばれるように大きく揺らぐ。
……そして、揺れが収まった頃には。
頭を切断されて動かなくなったシーサーペントと、その身体から流れ出た血で赤く染まった海の上に漂う船の姿があった。
「……ぷはっ!」
海面にぶくぶくと泡が立ち、少し間を置いてからミーナが水中から姿を現す。
「これに捕まって下さい!」
「おー、サンキュ!」
甲板から投げ込まれたロープ付きの浮輪にミーナが捕まると船員達は少しでも早く引き揚げるために取手を素早く回す。……海において、流れ出た血とその臭いは新たな海獣を呼び寄せる。再び海獣がやってくる前にこの場所から離れなければならなかった。
「……急げ! さっさとここから離れるぞ!」
「はい!」
船員達によって甲板にミーナが引き揚げられるのを横目で見つつ、マユは蹲っているフロートの元へと向かった。
フロートは俯いたまま肩で息をしており、頬を伝って落ちた汗が甲板に染みをつけている。
「頑張ったわね」
膝をついたマユは動く力も残っていないらしい少女の肩に手を置いて改めて労いの言葉をかけた。
通常のバリアーでさえ法術を追加付与するのはかなりの技術と法力を必要とするというのに、フロートは高等法術であるフル・バリアーに対してやってのけた。探索者になる目前の……卒業試験中の学生なのだから、探索者と同等の力を持っていたって本来はおかしくないのだが、それにしたってこの少女の力には目を見張るものがある。
……卒業したら一気に名を知られる法術士になるのではないだろうか。
そんな事を考えていたマユに対し、少女は緩慢な動作で顔をそちらへ向けた。
「……あの、マユさん」
「何?」
小さく消え入りそうな声にマユは聞き洩らさぬよう少し身を屈める。フロートは呼吸を整えるようにぐっと息を呑んだ後、懇願を含めた視線を彼女へと送った。
「……出来れば……私のペア、あんまり責めないで下さい。あれは……私が……」
法力を使い果たした疲労か、海獣を倒した安心感からか、それとも両方か。
懇願の言葉は最後まで続かず、フロートはその意識を手放した。遠くなる意識の中でマユが自分の名を呼んでいたが、それも最後まで聞こえない。
……マユさんはともかく、ミーナさんはレヴィス君に食ってかかりそうだな――
薄れゆく意識でそう思った後、フロートは完全に気を失った。
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