船の旅

 一つ目の遺跡を出発してから更に五日が過ぎた。イェルーダに渡る為に港へ向かう馬車の中、レヴィスは全く口を開かない。

「…………」

 フロートは胸の内で息をついてから馬車の外に目をやった。ガタゴトと揺れる動きに合わせて見える景色をぼんやりと眺めながら考えを巡らせる。元々レヴィスはアカデミーを出発してから口数が少ない。それでも遺跡を後にしてからの態度は明らかに質が変わっていた。

 ……あのエルフの青年と何があったのだろう。そもそもレヴィスとエルフの青年はどういった関係なのか……とはいえ、聞いてみたところで教えてもらえるとは思えない。

 この数日間、何度も繰り返した思考の渦にもやもやした気持ちを抱きつつ、ゆっくりと流れる風景をただ眺めていることしか出来なかった。

 

 しばらくすると、馬車の中にいても判るくらい磯の香りが強くなってきた。

「もう少しで到着するよ」

 御者の男がそう声をかけてきたのに反応して、レヴィスが何かに気付いたように顔を上げる。

「……港か」

「あと二十分くらいかな」

「……二十……」

 呟きに答えた御者の言葉を繰り返すとレヴィスは馬車の外を見る。現在森の中を走っているのだが、木々の隙間から太陽の光を反射している海が姿を見せ始めた。

「……そうか、船だった……」

 独り言のようだったが久しぶりに口を開いたレヴィスにフロートは慌てて向き直る。

「私、船に乗るのアカデミーに入学する為にこっち来る為に乗った時以来かも。レヴィス君は?」

「…………」

 にっこりと笑って話しかけたが、口を閉じて視線を逸らしたレヴィスの態度にフロートは再び胸の内でため息をつく……が、黙ってしまったレヴィスをよく見ると海沿いで風が強く涼しいにも関わらず額に汗を浮かべているように見えた。

「……?」

 そんな青年の様子を不思議に思ったフロートだが、その理由はすぐに判明することになる。


 ――船に乗って一時間後。船の甲板の上。

「…………」

 縁に突っ伏すような格好でぐったりとしているレヴィスと、それを介抱しているフロートの姿があった。

「船に弱いって事、早く言ってくれればミストゲートでの移動にしたのに……」

「……んなこと言っても……他の事で頭が回ってなかっ……うっ」

 背中を擦りながら声をかけてくる少女へのろのろとした緩慢な動作で顔を向けたが、言葉の途中で気持ち悪くなったらしくレヴィスは口元を押さえ、そんな青年の様子にフロートは苦笑いを浮かべていた。


 この世界の移動手段は基本馬車や船だが、大陸間の移動に限定して言えば船の他に『ミストゲート』と呼ばれる門を通り移動する方法がある。

 ミストゲートは『時空石』という石を魔力によって活性化させ、空間の歪みを意図的に作り大陸間を移動出来る装置の名称だが、ただし時空石は数えるほどしかない為、管理されている場所までは自分で行かなければならない。だが、かかる時間はほんの僅かで短時間の移動が可能となっている。

 その代わり維持費などのコストもあって利用料金は船よりもずっと高い。フロートが移動に船を選んだのもそれが理由なのだが……船に乗る度にレヴィスがこうなってしまうのでは考え直さなければならないだろう。


「これだから乗り物は嫌なんだよ……船といい馬車といい……」

「……もしかして、馬車でも酔ってた?」

 ぶつぶつと呟かれるぼやきを聞いたフロートが問いかけると、レヴィスは渋い顔で「少しな」とぶっきらぼうに答える。……二回目はともかく、一回目の移動の時にしゃべらなかったのはそれが原因だったらしい。何だ、とフロートが少し安心しているとレヴィスが咳き込んだので再び背中を擦った。

「船室で寝てた方が良いんじゃない?」

「空気悪いから嫌なんだよ……まだ甲板の方がマシ……」

 フロートからの提案を渋い表情のままで断ったレヴィスだったが、言葉は最後まで続かず嘔吐の声に飲み込まれた。

「少なくとも三日は海の上なのよ? やっぱり寝てた方が良いわ」

「……この揺れで寝られるとは思えん」

「絶対寝られるから大丈夫」

 口元をタオルで拭いながら顔をあげた青年にフロートはにっこりと笑いかける。自信たっぷりな言葉を聞いたレヴィスは怪訝な表情で少女を見返すが、視線を向けられた本人は笑顔を浮かべているだけだった。


 ……十分後。

「…………」

 船室に設けられたベッドの上でぐっすりと眠っているレヴィスを見ながらフロートはゆっくりとドアを閉める。

 結果だけいうとレヴィスは横になってからすぐに眠りについた。ただし『眠った』のではなく『眠らされた』というのが正しい表現だったが。

(……ご飯の時だけ起こせばいいよね)

 杖をホルダーに固定しながらフロートは廊下を歩いて行く。

 持続時間を長くする為に強めに法術をかけたから、今のレヴィスはちょっとやそっとのことでは起きない。ご飯時に術を解除して、食事をしてからまた眠らせればいいだろう。……正直、あの酔いっぷりを見ていると起きた時に食事が摂れるかは疑問だが……残り三日の長丁場、食べてもらわないと身体が持たないのだから少しは頑張ってもらわないと。


(さて、私は夕食の時間までどうしようかな……)

 乗客の為に設けられた遊戯室や団欒室を覗きつつ、フロートは自由時間をどう過ごそうか考え込む。時期的になのか乗客は少なく、船に乗っているのはフロート達と行商の三人組、それとイェルーダに戻る途中らしい女探索者のコンビだけだ。

「……図書室にでも行こうかな」

 遊戯室に気を引く物はなく、たった一人で団欒室に入るというのも何だか居心地が悪い。フロートは誰に言うでもなくそう呟くとその足を図書室へと向けたのだった。

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