時の魔法

 ――時間は少し遡る。


 遠くの空が白んで、もうすぐ夜明けが近い時間。

 かつて多くのエルフが住んでいた――現在はその全てが吹き飛び、その名残は草木の下で眠る、マリドウェラの集落。

 木の幹にもたれて座り、クォルは少しずつ明るくなっていく空をぼんやりと見ながら物思いにふける。


 ……過去に行くことさえ出来れば、自分の願いは叶う。

 それがどのような結果になったとしても。


 ふっと目を閉じ、静かな草木の音に耳を傾ける。風に揺れ、さわさわと音をたてる森の声に安らぎを感じるのは森の民と呼ばれる事もあるエルフだからだろうか。

 自然に身を委ね、自然を受け入れる――それが、クォルが抱くエルフという種族……そういった意味では、クォルが行なおうとしている事はその秩序に反する。

 ラピスに言われるまでもなく、自然の摂理に逆らって過去に行くというのはそういう事なのだ。

 しかし、それでも……自身の秩序に反する事だとしても、クォルは過去に行きたかった。

 そうしないと自身の願いは永遠に叶わない。


 ……こちらに近づいてくる気配を感じ、クォルは閉じていた目を開ける。

 靴と草がすれ合う音は少しずつ大きくなり、そして木々の隙間から待ち人が姿を現した。

「……遅くなりました」

「ああ、待ちわびたよ。レヴィス」

 固い表情を向けてくる赤毛の青年に笑みを返しながら、クォルはゆっくりと立ち上がった。


 ─ ・ ─ ・ ─ ・ ─ ・ ─


「…………」

 クォルが魔法陣の準備をしているのをレヴィスは少し離れた場所でじっと見つめていた。

 陣の形としては五芒星を主軸とした魔法陣になっており、頂点に当たる部分にはレヴィスの魔力が入った赤玉が埋め込まれている。

 これから過去に行くなんて実感は全くないけれども、期待と不安が自身の中で混ざって変な気分だ。


 あの時、自分のせいで死んだ皆を助けられるのだという期待と。

 ……その後、昔の自分が置かれるであろう状況への不安と。


 いくら考えても儀式を起こさせないためにはロアドナへ自分を引き渡すしかないのだ。

 ラピスの話だとそうなった場合、母親を始めとする一部のエルフがロアドナに攻撃を仕掛けそうだが……そこを説得出来れば双方ともに余計な犠牲は出ないはず。

 ……儀式を行なったあの頃、アカデミーにはフロートやボッカが在籍している。

 有事があったとしても流石に学生を徴兵はしないだろうし、エルフ側もアカデミーのような機関に襲撃をかけることはないとは思うけれど、不安の芽は出来る限り潰しておきたかった。

 里の皆を助けたとして、ロアドナに……そこにいるフロート達に何か危害が及ぶ事をレヴィスは望んでいないのだから。


 ――自分が犠牲になる事で大勢の命が助かるなら、喜んでそれを受け入れよう。


 消しては浮かぶ不安を言葉で無理矢理に抑えつつ……出来るならロアドナに行った後、フロートやボッカとどうにかして会うように出来ないだろうか……そんな淡い考えをレヴィスは頭の中で巡らせていた。


「……すまない。待たせたな」

 不意に耳へ入ってきた声がレヴィスを思考の渦からその場へ引き戻す。

 完成した魔法陣の横、クォルが半身をこちらへ向けて立っていた。

「これに……俺の魔力を流して発動させれば良いんですよね」

「ああ」

 じっと魔法陣を見ている青年に対してクォルは短く言葉を発し――それから僅かに目を伏せる。


「……レヴィス」

「はい」

 小さな呼びかけに、今度はレヴィスが短い返事を口にする。

「ここまでしておいて何だが……過去に行けば、お前にとっては辛い事になるだろうと思う。……すまないな」

 零すような謝罪を聞き、レヴィスは少し驚きつつも表情を和らげて笑う。

「……良いですよ。それで、皆が助かるなら……」

「…………」

 その言葉にクォルは何かを言いかけるが、言い淀んだ後に口を閉じ、首を横に振って顔を上げた。


「そう言ってくれると助かるよ。……そろそろ始めようか」

「……はい」

 レヴィスは息をひとつ吐き、膝をついて魔法陣に両手をつける。意識を集中させて魔力を流せば、陣全体が輝きだした。

「…………」

 魔法陣へどんどん吸収されていく魔力の勢いに、レヴィスはまた魔力が暴走しないだろうか……と少し不安を感じたけれど、放出される魔力は安定していてその心配はなさそうだ。

 ……術を施してくれた少女は今頃何をしているだろうか。

「…………」

 レヴィスはふっと浮かんだ少女の顔を呼吸と共に吐き出し、溜まった魔力を使って魔法陣を発動させる。


「……成功だ。この中に入れば事故前の時間に飛べる。だが、あまり時間はないな」

 魔法陣は強い光を保ったまま輝いていたが、少しずつ光が弱まっているのがすぐに判った。

「光が消えると最初からやり直しになってしまう。さっさと行くぞ」

「……判りました」

 クォルの言葉にレヴィスは頷きを返し、彼に続いて光の中へ足を踏み入れる。

 一瞬の強い発光の後、そこにいたはずの青年達の姿はどこにもなかった。


 ……そして、彼等が消えた後。

 木々の間から二人の人物が姿を現した。

「……打ち合わせ通りにやれよ」

「心配しなくても仕事はきっちりやる。それよりお前もしっかりやっとけよ」

 そのうちの一人がぶっきらぼうに言葉を返し、光の弱くなっていた魔法陣へと飛び込む。

「…………」

 その姿と光が完全に消え、一人残された人物はその場に座り込み、じっと魔法陣を見つめていた。

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