ウィルシア

 感覚的にはミストゲートで移動するものと似ているが、それよりも浮遊感が強く、時間も長く感じた。

 そうして、ようやく地面に足が着き――レヴィスはゆっくりと目を開ける。


 先程までは早朝で木々しかなかった場所。

 しかし今は夜間で暗く、いくつかの建物が点在していた。

 ……昔見慣れていた、もう二度と見る事が出来ないと思っていた懐かしい風景。

「……っ」

 レヴィスの瞳が揺れ、俯いてしまったのをクォルは目を細めて見やった後、周囲の様子を探る。


 月の位置から今の時刻が真夜中だという事が判る。おそらくほとんどのエルフが就寝しているはずだが、自身はともかくレヴィスと里の皆とを会わせるのはあまり良くないだろう。

 とりあえずレヴィスには自分の家で隠れていてもらい、明日行動に移そう。クォルはそう考えをまとめて、下を向くレヴィスへ声をかけようとして――


「……あら?」


 すぐ横の建物から澄んだ女性の声が響き、クォルとレヴィスはハッと顔をそちらへと向けた。

 音もなく開かれたドアの向こう。

 立っていたのは柔らかいウェーブの金髪をハーフアップにしたエルフの女性だった。

 驚いた様子の女性を見たレヴィスの瞳が再び揺れて、堪え切れなくなって背中を向ける。

 そんな青年へ気遣うような視線を送った後、クォルは女性に対して右手を上げた。


「すまないな、ウィルシア。起こしてしまったか」

 詫びの言葉を口にしたクォルに、女性――ウィルシアは首を横に振った。

「ううん。そもそもまだ寝てなかったから……それよりクォル兄さん、いつ戻って来たの? この間二、三ヶ月は戻らないって言ってなかった? ……それと……」

 そう言いながらウィルシアはクォルの影に隠れて背を向けているレヴィスをちらりと見る。

「その子は?」

「ちょっと訳有りでな。あまり里の皆に見られたくない」

「……そう。判ったわ。子ども達も寝てるし、中で話を聞きましょう」

 その神妙な顔つきを見たウィルシアは身を翻し家の中へと入って行く。

「ほら、行くぞ」

「……はい」

 クォルからの呼びかけにレヴィスは手で顔を拭い、両頬をひとつ叩いてから言葉を返した。


「……あらやだ」

 若干目を赤くしたレヴィスを見たウィルシアは驚いたように目を丸くした後、すぐにクォルへと視線を移す。

「クォル兄さん、どこからこの子連れて来たの? フィードの若い頃そっくり……あれ、でも……魔力の感じはレヴィスにそっくりね……」

 一瞬でレヴィスの魔力を探ったらしいウィルシアは怪訝そうに首を傾げている。そんな女性に対し、クォルは少し困ったように笑った。

「……そうだった。お前は判らないものがあるとすぐに魔力探知で探っていたな……」

「?」

 どこか懐かしそうに話すクォルの態度がよく判らず、ウィルシアの首の傾きが深くなるが、気を取り直してレヴィスへ顔を向ける。


「貴方、名前は?」

「……あ……」

 柔らかく微笑みながらこちらを真っ直ぐ見てくる懐かしい母親の姿にレヴィスの視界は滲み――耐え切れず、頬を伝って床に涙が零れ落ちた。

「な、何、どうしたの⁉」

 優しく微笑んだはずなのにその相手が泣き出し、ウィルシアは動揺を隠しきれずぎょっと表情を変える。

「……ご、ごめ……」

 レヴィスは手で涙を拭うけれど、溢れだした涙は簡単には止まらない。

 声が詰まり、言葉も続かなくなった青年の様子にウィルシアはどうしていいか判らず、助けを求めるようにクォルの方へ顔を向けた。

 一方のクォルは苦笑いを返しつつ、レヴィスの背中を軽く叩く。

「まあ……いきなりウィルシアに会ったんだ。無理もない。落ち着くまで向こうで座っていろ」

「……はい……」

 鼻を啜り、詰まり気味の声で返事をしながら、レヴィスは少し離れた食卓へと向かう。

 ……母親だけでなく家の中の何もかもが懐かしくて、涙を抑えるにはもう少し時間がかかりそうだった。


「……何でわたしと会ったら泣くのよ……?」

 若干不満気な表情を浮かべている女性にクォルは表情を正して向き直る。

「すまない。……だが七年ぶりの再会だ。ああなっても仕方ないだろう」

「……七年? わたし、あの子と会った事があるの?」

 眉を潜めて記憶を探り始めたウィルシアだが、それに対してクォルは首を横に振った。

「いや、少し違う。七年ぶりの再会というのは私とレヴィスに限った話だ」

「言っている意味がよく判らな…………うん?」

 クォルの発言が理解出来ず、眉間の皺を深くしかけたけれど、聞き逃せない名前に女性が反応する。

「えーと、もう一回お願い。誰と誰に限った話?」

「……私とレヴィスに限った話だと言った」

「…………えーと、ちょっと待って」

 ウィルシアは額に人差し指を当ててしばし黙り込み――それから、そのままの状態で口を開いた。


「……あの子、歳はいくつ?」

「十七歳だ」

「十七……今レヴィスが十歳だから七年後……ん? でも七年ぶりっていうのは……」

 ぶつぶつと呟き考えをまとめようとしているウィルシアを見ながら、それを遮るようにクォルは声をかける。

「……ウィルシア。私達がここに来た理由をちゃんと説明するから聞いてくれ」

「…………とりあえず聞きましょうか」

 考えても理解出来ないと判断したらしい。

 ウィルシアはそれ以上考えるのを止め、クォルが話す言葉を黙って聞いていた。


 ─ ・ ─ ・ ─ ・ ─ ・ ─


「……儀式の失敗で……里の皆が死ぬですって……?」

「正確には失敗ではなく、故意に起こされる事故だがな。助かるのは当事者のレヴィスと、里を離れていた私とクレアだけだ」

「…………」

 これから起こる、少し未来の話を聞き終えたウィルシアは呆然とした表情で固まっている。

「私達はそれを止めるために過去へ来た。儀式を起こさなければ里が滅ぶことはない。……今ならまだ、皆を助ける事が出来る」

 諭すような口調のクォルに対しウィルシアは黙ったままそちらの方を見て、少し間をおいてから口を開いた。

 ……その表情は鋭くて厳しい。

「どうやって儀式を止めるの? まさかレヴィスをロアドナに差し出せ、とか言うんじゃないでしょうね」

「…………」

「黙ってないでどうするつもりなのか言いなさいよ」

 口を閉じているクォルへ鋭い言葉を飛ばすウィルシアに、離れた場所にいたレヴィスは慌てて立ち上がる。

「母さん、それは……」

「貴方には後でたっぷり話を聞くから黙ってなさい」

 ウィルシアは息子の言葉を遮り、真っ直ぐ目の前の男性を見据えていた。


「もう一度聞くわね。どうやって止めるの?」

「……レヴィスに了承は得ている」

「答えになってないわ」

 呆れの混ざったため息をつきながら首を横に振ったウィルシアの表情は冷ややかだ。

 一方のクォルもやや冷ややか気味に視線を相手に向けており、そんな二人をレヴィスは内心ハラハラとしながら交互に見ている。

「クォル兄さんが了承を取ったのは十七歳のレヴィスでしょ。上で眠ってる十歳のレヴィスじゃない。……まあ、年齢の問題じゃないのだけれど……子どもの未来を潰して助かる命なんて真っ平ごめんだわ」

「……母さん!」

 流石に黙っていられず声を出したレヴィスだが、次いで向けられた視線にその動きを止める。


「……黙ってなさいって言ったの、聞こえなかったかしら? 自分で口が閉じられないなら手伝ってあげるわよ」

 言葉と同時に発せられた強い視線と威圧的な魔力に、レヴィスはそれ以上何も言えずに再び黙り込む。

 ……七年経って昔よりも力がついているはずなのに母親に勝てる気がしない。この辺りはエルフと人間というベースの差なのか、それとも、いくつになっても子どもは母親に勝てないものなのか……。

 どちらにせよ今は下手に逆らわない方が良い気がして、レヴィスはそのまま腰を降ろした。

 息子が大人しくなったのを確認したウィルシアはクォルへ視線を戻す。


「――で、どうなの?」

 変わらず厳しい表情の女性に対し、クォルは真っ直ぐ視線を返して――……それから、ふっと表情を緩めて小さく笑った。

「お前はそう言うと思ったよ」

「…………?」

 その言葉にウィルシアは眉を潜めたが、すぐに何かを察して表情を変える。

「……クォル兄さん、もしかして貴方……」

「…………」

 呟きに何も言わず、ただ柔らかい表情で微笑むクォルを見て、ウィルシアは呆れの混じった息を吐く。

「もういいわ。レヴィスと話したいから悪いけど外に出ていてちょうだい」

「……判った」

 短く言葉を返したクォルは椅子から立ち上がり、そのまま扉を開けて外に出て行った。

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