最後の試験
宿屋から一時間程離れた森の中――マリドウェラの集落だった場所に程近い小屋の中。白髪の男性が椅子に座って腕を組み、目を閉じていた。
年齢はおおよそ五十代半ば。一見すると人の良い好々爺といった風貌だが、アカデミーではもちろん王宮でも一目置かれている男――アカデミー術士コース主任のマグルスである。
「…………」
不意に、閉じられていた目が僅かに開かれる。
それからしばし間を置き、木の扉をコンコンと叩く音と子どものような可愛らしい声が小屋の中に響いた。
「こんにちはー、マグルス主任ー。もう来てますよねー?」
「はい、いますよ。どうぞ入ってきて下さい」
静かな落ち着いた声でマグルスが言葉を返せば、軋んだ音と部屋に差し込む日の光と共に女性二人が姿を見せる。
「すみませんねー。お待たせしましたー」
「いえいえ。私も先程着いたばかりですから」
「あはー、絶対嘘だー。絶対最低でも三十分前には着いてましたよねー?」
「そんな事はありませんよ」
一通り決まったようなやり取りを交わした後、マグルスはラピスの後ろにいたフロートへと視線を移す。
「カルロ君から色々と話は聞いていますよ。ティルルさんも道中大変でしたね」
「……いえ」
フロートは首を横に振ったが、マグルスの顔には変わらず柔らかい微笑みが浮かんでいた。
「立ち話も疲れます。とりあえず座って話しましょう。とっておきの紅茶を持ってきているんですよ」
「おー、良いですねぇー。楽しみだなあー」
とっておきの紅茶、という単語を聞いたラピスの顔がパッと明るくなり、ウキウキした様子で小屋の中に入って行く。
フロートは深呼吸をひとつついて――それから、ぐっと息を呑んでから小屋へと足を踏み入れた。
「……やっば、何これ超美味しい。どこのお茶ですか?」
ラピスがいつもの口調を思わず忘れるくらい、マグルスが淹れてくれた紅茶は美味しかった。
酸味はあるがそれほど強くなく、まろやかなのにコクがある。香りも爽やかで……フロートもこんな紅茶を飲んだのは初めてだった。
マグルスは嬉しそうにニコニコと笑いながら口を開く。
「良いでしょう。でもこれ、非売品なんですよ。ジークが調合した紅茶なのでね」
その言葉にラピスは「あー」と短く声をもらした。
「なるほど秘蔵っ子の手作りですかー……今度分けて下さいよー。材料費はちゃんと払いますからー」
「判りました。戻ったらジークに頼んでおきますね。……でもあの子はお金を受け取らないと思いますよ。趣味でやってる事ですから」
「勿体ないなー……売り出したら絶対バカ売れしそうなのにー……」
「それを聞いたらジークも喜びます」
まるで自分が言われているように嬉しそうに笑うマグルスの姿を見ながらフロートは記憶を辿る。
レヴィスとは少し違うがジークも術士コースの有名人だ。主任であるマグルスにその資質を認められて養子になった少年。
元々遠縁の子どもではあるらしいが、マグルスの養子になった直後はアカデミーに入学するという話も聞こえ、学生の間でも話題となっていた少年だった。
しかし、その少し後に術士コースに入ってきたレヴィスの実力に皆の注目が集まり。
もちろんジーク自身にもレヴィスに近い資質と実力は間違いなくあったが、自らを主張するような性格ではなく、また目立つ事をあまり好まなかったため、ジークの話はレヴィスの影に隠れてしまってあまり話題に上がらなくなった。
それでも「マグルスが養子に取る程の少年」という事で一目置かれていたし、同年の学生達からは実力を認められていたから、名前と顔は広く知られていたけれど。
……そして、フロートはそういったものとは別にジークの名前をよく聞いていた。
「ジーク君って……クレアちゃんと……レヴィス君の妹さんと仲が良いんですよね」
「おや、クレアさんをご存じですか。ええ、そうですよ」
人当たりの良い微笑みを浮かべ、マグルスはその視線をフロートへと向ける。
「彼女は彼女でトレヴァン君の妹という事で有名ですが、そういった風評も気にしないし、ジークに対しても対等な立場で接してくれていますから、一緒にいてジークはかなり気が楽なようです」
「そうなんですか」
人懐っこい笑顔がよく似合う、金髪の少女を思い出しながらフロートは表情を和らげる。
それを見てマグルスも柔らかい笑みを浮かべていたが、ふと何か思い出したように「おっと」と短く言葉を発した。
「世間話も良いですが、まずは試験をしないといけませんね」
ふわりとマグルスが笑う一方、それを聞いたフロートの表情は一瞬で緊張したものへと変わる。
術士コース主任が出す試験……一体どんなものなのか……。
内心ドキドキしているフロートの前で、マグルスはゆったりとした動作で紅茶のカップに手を伸ばした。
「そうですね、まずは……試験の下準備として、この紅茶に合うお茶菓子を買ってきてもらっていいですか?」
「………………はい?」
言われた事が理解出来なかったフロートは思わず言葉を聞き返す。
マグルスはニコニコと笑ったまま、再び口を開いた。
「貴女への試験は『これまでの旅の話』を貴女の視点で話してもらう事です。……トレヴァン君の立場についてはもう理解しているのでしょう? カルロ君からこれまでの報告は受けていますが、私としては監視役ではない、第三者の意見を聞きたい。それも踏まえて今後、彼をどうするかを国と決める材料のひとつにしたいのですよ」
「…………」
「軽い話ではありません。ですが美味しいお茶と美味しいお菓子をお供にすれば少しは話も弾むでしょう?」
「……判りました。すぐに買ってきます」
フロートはすくっと椅子から立ち上がり、一礼をしてから足早に小屋を出て行く。
「気をつけてなー」
閉まる扉に向かってラピスは声を飛ばした後、ふっと呆れの混ざった笑みをマグルスへと向けた。
「ここからだと戻ってくるまでに早くても一時間ってとこですかねー? ……その間にボクの話を聞こうって魂胆ですかー?」
ラピスの言葉に対し、マグルスの顔には変わらず微笑みを浮かんでいる。
「カルロ君は真面目すぎて監視役としての意見しか言いませんからね。その点貴女は柔軟な意見をお持ちでしょう。それにカルロ君から聞いている……アリーシャさんへの対応についても詳しい説明を頂きたいと思っていましたからね。これは現状、ティルルさんがいたら話し難い事案ではないですか?」
(……アイツ、馬鹿正直に全部話した……いや、全部吐かされたな……)
次に会った時は思い切り一発殴ってやろう。
ここにいない男の顔を思い出しながら、ラピスは胸の内で悪態をついた後、髪をくるくるといじり始める。
「……別に話し難い事ではないですけどー……確定した事ではありませんからー、変な期待を持たせるよりは今はまだ話さない方がいいかとは思ってますー」
「それでは彼女が戻ってくる前に話して頂けますか?」
「…………」
ニコニコと笑い、こちらを促すようなマグルスの言葉には若干の威圧感がある。
観念したようにため息をついたラピスは紅茶を一気に飲み干し、やや強めに机の上へカップを置いた。
「……おかわり貰えます?」
「ええ、どうぞ。茶葉はたくさん持ってきましたからいくらでも出せますよ」
(……どうせなら全部飲み尽くしてやる)
変わらない笑顔でお茶を淹れているマグルスを見ながら、ラピスは若干やけっぱちに近い事を思ったのだった。
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