ひとりごと

「おーいフロートー。起っきろー」

 ……ベッドの中。

 シーツに包まって寝ていたフロートはドアをノックする音と可愛らしい呼びかけの声で目を覚ました。

「……今起きます……」

 返事をしながらのろのろと体を起こし、ぼんやりしている目をこする。

「昨日は寝るの遅かったんだろー? 体もだるいだろうけどさっさと準備しろよー。すぐ出発するからなー」

「はい……判りまし……」

 回らない頭で言葉を返そうとして――ラピスの言葉に含まれた意味に気付いたフロートはパッと目を開けた。

 ……何でラピスがフロートの就寝が遅かったと知っているのか。


「あああ、あの! 先生⁉」

「準備出来たら入口に集合なー」

 部屋の中、顔を真っ赤にして動揺している少女を知ってか知らずか。

 呼びかけの言葉をさらりと流し、ラピスの足音は部屋の前から離れて行く。

 やや放心状態で固まっていたフロートだったけれど、昨晩の事を思い出し……顔の赤みを強くしながら、ふっと横に視線を移す。……昨夜は青年がいた場所だけれども、今はもう空っぽだ。

「…………」

 胸の奥がちくりと少し痛むが、自分で受け入れて青年の背中を押した結果である。

 体の倦怠感を引きずりながらフロートはベッドから降りると、のろのろとした動作で出発の準備を始めた。


「……え?」

「おー、待ってたぞー。そんじゃ行こうかー」

 身支度を整え、ロビーに向かったフロートを出迎えたのはラピスだけだった。カルロやアリーシャはどうしたのだろう……?

「どうかしたかー?」

 疑念が顔に出ていたらしい。

 首を傾げて不思議そうにこちらを見ているラピスの声を聞き、フロートはハッと我に返った。

「えっと……あの……他のお二人は……?」

「あー、あいつらー? 聞く事聞いてアリーシャをここに置いておく理由がなくなったからカルロに頼んで連行させたんだー。どっちかに用でもあったかー?」

「……いえ……」

 首を横に振ってそれを否定するも、頭に浮かんだ疑問は消えない。

 レヴィスに聞いた話ではラピス一人でクォルを抑えるのは難しいように思える。

 ……結果として今、レヴィスはここにいないけれど……彼が留まっていた場合、二人がいた方がまたクォルと対峙する事になった時に有利になると思うのだが……。


「ボクだけじゃ不安そうだなー? でも一人で行ったトレヴァンに比べたら全然安全だと思うぞー?」

 どこかニヤニヤしたラピスの表情にフロートは若干厳しい表情で口を開いた。

「……レヴィス君が出て行ったの……知ってたんですね」

「当ったり前だろー。あんまり大人を舐めんなよー」

「……それは失礼しました」

 得意気に笑う講師の姿にフロートは素直に謝罪する。……それなら、カルロ達が先に出て行ったのも何か意味があるのか……もしかすると……。


「あのさー、フロート」

 考えをまとめようとしていたフロートだが、その思考は小さく呟かれたラピスの言葉で中断される。

 返事の代わりに視線を向ける少女に対し、ラピスは天井を見上げながら言葉を続けた。

「今から言う事は独り言なんだけどー……ボクも昔はオマエらと同じように若い青春時代があった訳ー」

「それはまぁ……そうでしょうね」

 初めから大人である者などいない。

 当たり前の事を話すラピスの意図がよく判らず、フロートは生返事に近い言葉を返したが、視線の先にいる相手は別段気にした様子もなく天井を仰ぐ。


「ベースがドワーフとはいえハーフのボクはどちらでもありながらどちらでもない存在で厄介者扱いされててねー……まぁ色々あったんだよー」

「…………」

 遠くを見るような表情で言葉をこぼす女性を、フロートはただ黙って見ているしか出来ない。

「……そこからどうしても抜け出したくてさー。ボクは族長から出された条件を了承してー、ドワーフの里を出て人間社会にやって来たんだー」

「条件……?」

「そ、条件」

 フロートが引っ掛かりを覚えた言葉を口にすると、ようやくラピスは視線を少女へ戻した。


「“決して人間と子を成すな”。それが、里を出してもらう条件」

「……え……」

 どこか他人事のように話すラピスの顔に特別な感情は浮かんでいない。

「トレヴァンやアリーシャの件で判ると思うけどー……人間は臆病だから少しでも力を得ようとするー。ただでさえ混血で特殊な生まれのボクが更に人間と交わったらー……想像はつくだろ? 族長はそれを恐れてたー。その時はまだボクも純粋で世間知らずな若者だったからその条件を深く考えずに了承したけどー……人間社会に来てどっかの変態ロリコンと出会った後は流石にちょっときつかったね。今は何とか慣れたけどさ」

 苦笑いしながらそこでラピスは言葉を切り、自嘲混じりの視線をフロートへと向ける。


「そういうのもあったからー、オマエらには普通に青春して欲しい訳だよー。変な責任感や誰かの都合で動くんじゃなくってさー。ま、出来てないボクが言うのも説得力ないけどねー」

「……そんなこと……ないです」

 フロートは首を横に振り、真っ直ぐラピスへ顔を向けた。


「……でも、どうしてそんな話をするんですか……?」

「オマエらはまだ若いんだから簡単に諦めるなって事だよ」

 ふっと口元に笑みを浮かべながら、ラピスは視線を返す。

「諦めるのはいつでも出来るんだから、とりあえず出来る事をとことんやれ。そういうのは年を重ねれば重ねるほどやり難くなるからさ」

「……判りました」

「よし」

 柔らかく笑って了承の言葉を返すフロートを見たラピスは満足そうに笑う。


「それじゃ早速だけどオマエには出来る事をやってもらうからとりあえず出発しよー。あの人もう待ち合わせ場所に到着して待ってそうだからー」

「……待ち合わせ……?」

 フロートが不思議そうに首を傾げると、講師の女性の顔にニヤリと楽しそうな笑みが浮かんだ。

「忘れてると思うけど今は卒業試験中だからなー? トレヴァンはいないけどお前には試験を受けてもらうー。事情は手紙で先に送ってるからお前一人でクリア可能な試験を用意してくれてるはずだよー」

「……試験官はどなたですか?」

 しばし口元に手を当てて考え込んだ後、じっとこちらを見てきた少女の様子にラピスの笑みが深くなる。

「ふふふー、聞いて驚けー。なんと術士コース主任のマグルスさんだよー」

 それを聞いたフロートは再び手を当てて顔を僅かに伏せて――それから、にこっと微笑みを浮かべて顔を上げた。


「そうですか、判りました。それならあまりお待たせする事は出来ませんね。急ぎましょう」

「……何か企んでるー?」

「主任相手にそんな事は考えませんよ。……ただ少し、お願いしたい事があるだけです」

「へー、お願いねー。何だろうなー?」

「…………」

 ニヤニヤと楽しそうに笑うラピスに微笑みだけ返し、フロートは荷物を持ち直して歩き出す。


 レヴィスとの繋がりがなくなった訳じゃない。

 その証拠に卒業試験の約二ヶ月半、彼と過ごした記憶はしっかりと自分の中にある。

 ……それなら……ラピスが言った通り、今は自分に出来る事を精一杯やるだけだ。

 フロートは決意を固めるように深呼吸をしてから、外に続く扉を開けて出て行った。

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