こぼれた弱音

 ――その夜。レヴィスは宣言通り床に薄いシーツを敷いて寝る準備をしていた。

「本当に大丈夫? ここの床結構固いし、身体痛くなりそうな気がするんだけど……」

「問題ない」

 一人で寝るには大きすぎるベッドの上で心配そうな表情を浮かべているフロートに短く言葉を返し、レヴィスは天井から吊り下がっているランプに手を伸ばす。

「消すぞ」

「……うん。お休みなさい」

 フロートはまだ何か言いたげな顔だったが、それ以上は何も言わずに布団に潜り込む。そんな少女の様子を見てからレヴィスがランプの灯を吹き消すと部屋の中は一気に暗くなった。カーテンを通して僅かに入ってくる月の光により辛うじて見える状態だ。

 レヴィスは布団をたぐり寄せて自らの身体にかけた後、すぐ横のベッドをちらりと見上げる。ベッドは少し高さがあるため、床で寝ているレヴィスからはフロートの様子を窺い知る事はできない。

「…………」

 小さく息をついてからレヴィスはベッドに背を向け、布団にくるまり目を閉じた。


 その一方でフロートは薄暗い部屋の中で目を開けたまま天井を見上げていた。

(……眠れない……)

 シルヴィ達にけしかけられたせいもあるのだろうが、同じ部屋で一緒に異性と寝ているという状況はどうしても意識してしまう。これまでずっと宿では別々に部屋をとっていた。意識するなという方が難しい……と思っていたのだが。


 ……しばらくして、小さく聞こえてきた寝息にフロートは少し動いて身を起こし、ベッドの下を見る。レヴィスはこちらに背を向けていたが、その後ろ姿だけでも彼が寝ているのだと察するには充分だった。

「…………」

 部屋に小さく響く寝息を聞いていたフロートは意識している自分が何だか馬鹿らしく思えた。

(……気にしないでさっさと寝よう)

 気にするだけ時間の無駄だ。そう気持ちを切り替えた途端、自然と眠気がフロートを襲う。

 再び仰向けになって天井を見上げ、ため息をついてから目を閉じた。


 ─・─・─・─・─・─・─・─


 ……身体が痛い。


 横たわった体が痛むのは固い地面のせいか、それとも……。


 目を開けると同時に鼻をつく異臭。むせかえるような土の臭いと、燻った火の臭い。

 いつの間にか降りだした雨が身体を濡らし、燻っていた火をゆっくりと消していく。

 痛む身体を何とか起こして周囲を見れば、そこにあったのは瓦礫と化した建物だったものと……ついさっきまで生きていた者たち。


 少し前まで笑い合い、言葉を交わした皆があちこちに倒れ込み、動かなくなっていた。

 不安になっていた自分を励ましてくれていた長老も。厳しい事を言っていたが自分を心配してくれていた隣の小父さんも。皆地面に突っ伏したまま動かない。

 そして……怒ると怖かったけど、いつも優しかった母と……普段は旅に出ていて滅多に家に居なかった父も……少し離れた所で皆と同じように倒れ込んでいた。

 庇おうとしたのか、母の身体に覆いかぶさる格好の父の姿が目に入った。膝から力が抜けてその場に崩れるように倒れ込む。


 ……どうして、こんな事になった。


 後悔の念と強い焦燥感が身を覆う。どうしようもない気持ちを抱えたまま暗い空を見上げる。

 降ってくる雨はひどく痛かった。

 このまま打たれ続けていたらここから居なくなる事が出来るだろうか。そんな事を思いながら仰向けに地面へ転がる。……雨はまだ止みそうにない。


 自分以外、誰もいなくなった場所で。

 少年の慟哭だけが響いていた。


 ─・─・─・─・─・─・─・─


「……う……」

 眠りの世界に入りかけていたフロートの意識を、苦しそうな声が引き戻す。

 ぼんやりとした頭で身体を起こし、緩慢な動作で周囲を見回して。それから床で寝ている青年へと視線を落とした。レヴィスは先程と同じ体勢でこちらに背中を向けており、その表情を窺い知る事は出来ない。

「……レヴィス君……?」

 ベッドから降りて近付き、そっと顔を覗き込むと眉間に皺を寄せて随分と苦しそうな表情を浮かべている。夢見でも悪いのか――そんな事を考えながら見ていると、不意にレヴィスが動いて仰向けになり、ふっと閉じていた目を開けた。

「あ……」

 自分の気配で起こしてしまったのかとフロートは少し慌てるが、レヴィスはぼんやりとした瞳で自身を見下ろしている少女を見つめて――それから、はっとした表情になって目を見開く。

「……母さんっ!」

「え……きゃっ!」

 勢いよく青年に腕を引っ張られ、バランスを崩したフロートは床へ腰を強かに打ちつけた。


 ――誰かに呼ばれた気がして、レヴィスはそちらの方へ身体を動かした。

 まどろみの中ではっきりとしない視界に誰かの姿が映る。ぼんやりとした思考でそれを見ていたが、不意にその誰かが一人の女性と重なった。

 柔らかそうな髪の毛に優しげな雰囲気を纏った、今はもういないはずの女性。

 普段なら絶対に見間違える事はないし、そう錯覚する事も決してなかったが、起き抜けの回らない頭と直前まで見ていた夢がレヴィスの判断能力を鈍らせていた。

「……母さんっ!」

 言葉を発すると同時にレヴィスは手を伸ばしてそこにいた人物の腕を勢いよく掴んで引き寄せた。


「……いったぁ……」

 腰を強く打ったフロートは痛みに顔をしかめたが、次の瞬間にはその痛みも頭の中から吹き飛んでいた。自分を引き倒したレヴィスが覆いかぶさるように抱き付いてきたからだ。

「……っ!?」

 予想していなかったレヴィスの行動にフロートは顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。

 間近に感じる青年の吐息と身体を包む熱に鼓動が一気に早くなって、動揺しているのが自分でも判った。

(そ、そうだ! 杖!)

 これ以上何かされる前にこの状況を脱しようと考えたフロートは手を伸ばし、念のためにと枕元に置いてあった杖を何とか掴む。睡眠魔法スリープ麻痺魔法パラライズなら一時的だしダメージもそこまで残らないだろう。そう考えて簡易詠唱を始めるが――


「……もう、どこにもいかないで……」


 静かな暗い部屋に響いたレヴィスの声に動きを止めた。

 いつもと全く違う弱々しい声。

 先程までは動揺していて気がつかなかったが、触れている青年の身体は小さく震えていた。

「…………」

 フロートは天井を仰いでから目を閉じ。

 持っていた杖を手放してから左手をレヴィスの背中に回した後、右手で柔らかい赤毛をそっと撫でた。

「……大丈夫。私はここにいるから」

 優しく言い聞かせるようなフロートの声に身体を包む腕の力が少しだけ強くなって……それから力が緩み、覆いかぶさっていた熱が僅かに離れる。その気配にフロートが目を開けると、瞳を揺らした青年がこちらを見下ろしていた。

 僅かに離れたとはいえ未だに間近にあるレヴィスの顔にフロートは恥ずかしくなって再び頬を染めて。回していた両手をするりと青年の身体から離したところで、我に返ったのかレヴィスの表情が変わり――弾かれるようにフロートの上から離れた。


「――わ、悪い! 寝ぼけてた!」

 身体を起こした少女に背中を向けたまま、上擦った声でレヴィスは謝罪の言葉を述べる。動揺を隠しきれない様子の青年を見ながらフロートは服を整えて立ち上がった。

「……私は大丈夫。それより悪い夢でも見てたの? うなされてたけど……」

 失敗そうに声をかけるフロートに対しレヴィスは前髪を掻き上げて小さく息をつく。

「……少し、な。いつもは野宿しなけりゃ見ないんだが……床が思ってたより固かったからかな」

「…………」

 背を向けて淡々と話すレヴィスの言葉をフロートは黙って聞いている。静かになった部屋に小さなため息が響き、それからレヴィスが振り返ってフロートの方を向いた。

「……本当に悪かった。ちょっと……頭冷やしてくる」

 謝罪を重ねた後、フロートの横を通り過ぎてレヴィスはバルコニーへと出る。


 昼間は温かで過ごしやすい気温だが、夜も更けた時分も手伝って今は若干肌寒い。息を吐きながらレヴィスは空を見上げた。

 馬車の中で寝た時だって見なかったのに、まさか宿屋の床であの夢を見る事になるとは思わなかった。……部屋に戻ったらいっその事布団も敷いて寝てみようか……。

 澄んだ星空を見ながらそんな事を考えていると、小さな音を立ててバルコニーのガラス戸が開いた。そこから顔をのぞかせたフロートは心配そうにこちらを見つめている。


「……少しは落ち着いた?」

「……ああ」

 問いかけに短く言葉を返してきたレヴィスにフロートは少しホッとしたように表情を緩める。

 ……寝ぼけていたとはいえ、いきなり押し倒すなど、非難されても文句は言えない相手にこうも心配そうな顔をさせた事に対して申し訳なく思いつつ、レヴィスは息をついてからフロートに改めて向き直った。

「悪いが、船の時みたいに睡眠魔法スリープかけてくれないか。……ちょっと、目が冴えて寝られそうにない」

「…………」

 青年の頼みに少女は黙ったまま相手を見ている。


 自然な睡眠ではなく術による睡眠は対象を強制的に眠らせるため基本的に夢を見ない。目が冴えた事も嘘ではないだろうが、一番の理由は夢を見たくないからだろう。

 ……普段冷静で動じない青年がうなされて誰かにすがるくらい、不安になる夢を。

 フロートは一瞬目を伏せて、それから柔らかく微笑んでレヴィスの方を向いた。

「それならレヴィス君もベッドで寝て?」

「……いや、それは……」

 提案を聞き、若干困ったような顔をしたレヴィスに対してフロートは微笑んだまま言葉を続ける。

「ダブルだから広いし、お互いに端で寝れば大丈夫だと思うよ。やっぱり床だと身体痛くなるかもしれないし……それに術で寝ても絶対に夢を見ないって断言は出来ないから」

 最後に付け加えた言葉にレヴィスは浮かべていた困り顔を強くして……それから息を吐き「……判った」と小さく笑った。


「……なあ」

 ベッドに横になったレヴィスの前で法術の詠唱をしていたフロートは呼びかけに視線だけ向ける。詠唱途中で別の言葉を発してしまうと術はキャンセルされてしまうため、発動させるまで術者は話す事が出来ないからだ。

 レヴィスはそれを判った上で独り言のように言葉を続ける。

「さっきは本当に悪かった。明日はその分も含めてしっかり働くよ。……有難うな」

 若干恥ずかしそうに小さくお礼を言ってきたレヴィスにフロートは微笑みを返し、それから法術を発動させた。

 ……間を置かず、部屋に響く青年の寝息を聞きながら。フロートは反対側に回ってベッドに潜り込む。

 しばらく天井を仰いでいたが、ごろっと身体を動かして横を向き、寝入っているレヴィスをじっと見つめた。


 ……母さんと言っていたけれど、見ていたのは昔の夢なのだろうか。もしそうなら昔、何があったのだろう……。

 考えても答えが出ない事に僅かな時間を使い。

 フロートは再び身体を動かしてレヴィスに背中を向けて目を閉じる。

 静かな部屋に二人分の寝息が響くまで、そこまで時間はかからなかった。

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