講師アリーシャ

 翌日「昨日の夜は何かあった? ねぇねぇ何かあった?」と興味津々の表情で聞いてくるシルヴィをかわして朝食を摂り、宿屋を出発した後。

 レヴィス達が遺跡に到着したのは太陽が真上に差し掛かった頃だったが、そこには思いもよらない人物が二人を待っていた。


「……あー、やっときたか」

 やってきた二人の姿を見て、遺跡に続く階段に腰掛けていた銀髪の女は煙草を投げ捨て、火の魔法で吸い殻を燃やしてから立ち上がる。

 整った顔立ちとスタイルの良い身体であるにも関わらず、顔のサイズと比べて少し大きめの眼鏡に無造作に結わえられた長い髪、加えてくたびれた白衣がそれらを半減させている。アカデミーの学生達からも「素材は良いのに残念」と囁かれている術士コース講師――アリーシャだった。

 突然のアリーシャの登場にレヴィスとフロートは顔を見合わせるが、一方の女性講師は憮然とした表情を浮かべている。

「遅いよお前らー。一週間も待たされた。学外でイチャイチャするのはいいけど試験中なんだし、少しは節度というものをだなぁ……」

「してませんから!」

 開口一番に飛びだした発言をフロートは顔を赤くして即否定する。

「……それより何かあったんですか」

 その言葉をさっと流してレヴィスが問いかけると、アリーシャは渋い表情のまま後ろ手に頭を掻いた。

「少しな。……実はお前らが最初に回った試験で用意していた遺跡に、お前らが入る前に何者かが侵入していた形跡があったんだ」

「え?」

「今のところ、これといっておかしな点は見当たらなかったんだが……万が一に試験で学生に何かあっちゃ問題だろ? だから遺跡の再点検と試験内容の見直しを検討中なの。で、急遽アタシが来たって訳」

 心の底から面倒臭そうな表情で頭を掻いている女性講師に二人は再び顔を見合わせる。

「こっちの遺跡にも特におかしな所はなかったんだけどさ……お前ら、初めの遺跡で何か気付いた事はないか? 小さな事でも何でもいいからさ」

「気付いた事……ですか」

 オウム返しに呟いたレヴィスの脳裏に宝箱のプロテクトを解除した時の違和感の事が浮かぶ。しかし、あれについては試験に不正がないかどうかの確認のためだと結論付けたのだが……。

 そう思いながらちらりと横にいる少女に目を向けたが、フロートも口元に手を当てたままで何も言わなかった。


「――ま、何もなかったなら良いんだ」

 黙ったままの二人に向かって手を横に振りつつ、アリーシャはにやりと楽しそうな笑みを浮かべる。

「それでさっきも言ったけど。お前らの試験は今見直し中なんだよね。でも試験期間を延長する訳にもいかないから、ここでの試験は遺跡探索じゃなくて――」

 そこでアリーシャは一旦言葉を切り、すっと人差し指を立ててレヴィスとフロートを指差した。

「アタシが試験管としてお前らの実力を測る。ただ、アタシは魔道士クラスの講師だから……おい、ティルルはちょっとこっちに来い」

「あ、はい……」

 手招きをされて大人しくフロートはアリーシャの下へと移動する。やってきたフロートの両肩を掴んでくるりと反転させ、レヴィスと対峙させるように立たせた上で、アリーシャは笑みを浮かべたまま耳元に唇を寄せて囁いた。


「――お前は人質役だ」

「え?」


 言われた言葉が理解出来ず、聞き返してきたフロートからパッと距離を置いて離れ――聞き取れない速さの詠唱が紡がれると同時に、フロートの足元に魔法陣が浮かぶ。

「……っ!?」

「!」

 突然のことに戸惑った表情をフロートが浮かべる一方、魔法陣を見たレヴィスが驚いて目を見開いた。

「マイスト・シール!」

 凛とした声が響き、アリーシャのかざした手から出現した帯状の魔力がフロートの周囲を覆う。初めて見る魔法に戸惑いつつも、ぐるぐると回り続ける魔力の帯にフロートは手を伸ばしたが、触れた瞬間にバチッと音を立てて弾き返された。

「あー。威力は抑えてるけど、触ると怪我するかもしれないから止めとけ」

 弾かれた手を押さえているフロートにそう言葉を投げた後、アリーシャの視線は厳しい表情を浮かべているレヴィスへと向けられた。

「……エルフ魔法……まさかアンタ、エルフ……?」

「え!?」

 レヴィスの呟きにフロートは驚いてアリーシャを見る。

 確かにアリーシャは整った外見をしているけれど、最初の遺跡で出会ったエルフの青年のような、エルフの特徴ともいえる尖った耳ではなく人間と同じ丸耳だ。生粋のエルフとは考えられないとすれば、アリーシャは……。

「半分当たりかな。アタシはハーフエルフだから。エルフ魔法も使えて当然だろ?」

 二人から視線を向けられたアリーシャは楽しそうに笑ってレヴィスを見た。


「ここでの試験は――トレヴァン、お前の実力を測る。下手に手抜きしたらティルルにエルフ魔法で攻撃するからそのつもりで」

「……学生に何かあったら困るってさっき言ってませんでしたか」

「そう心配するなよ。別に死ぬほどの攻撃を加えるつもりはないから。ま、気絶くらいはするかもしれないけど」

 軽口で中々に物騒なことを口にするアリーシャに対し、レヴィスは厳しい表情のままだ。

「相方を傷つけたくなきゃお前が本気でくればいい。簡単な事だ」

「…………」

 ニヤリと講師が笑う一方、生徒である青年は僅かに目を閉じて小さく息をつき、再び目を開く。

 ……――その瞳に、冷たい光を宿して。

 その眼力にフロートがビクッと身体を震わせた横で、アリーシャは更に楽しそうに顔を綻ばせた。

「お、いいねー、その目。本気度が伝わってくるよ」

「……魔法勝負……って事で良いんですよね? 先生」

「ああ。禁術以外なら何を使っても良い。あと対戦形式で行くから、相手に参ったと言わせるか戦闘不能にさせた方が勝ちだ」

「判りました」

 アリーシャの返事を聞いたレヴィスは腰に下げていた杖を手に持ち、正面に構える。


「……さっさと始めましょう」

 視線と同じく、冷ややかな呟きがレヴィスの口から静かに零れた。


「そんじゃ、まずは小手調べといくか」

 アリーシャは口元に小さく笑みを浮かべると魔法石の付いたグローブをギュッとはめ直し、その手をさっとレヴィスへと向けた。

「ロックフォール!」

「!」

 力ある詞が響くと同時に、レヴィスの頭上に彼の頭と同じくらいの大きさの岩がいくつも出現して――そのまま勢いをつけて落ちてくる。

「……中級魔法を詠唱なしか!」

 ちっと舌打ちをしながらレヴィスは持っていた杖を掲げて簡易詠唱を始めた。通常通りに詠唱するよりも威力は落ちてしまうが、丁寧に詠唱している暇はない。

「……サンダー!」

 レヴィスの詞に反応するかのように掲げた杖が輝き、そこから生み出された雷が向かってきていた岩を砕いて弾き飛ばす。

 砕かれた破片のいくつかがレヴィスに当たるが大した事はなく、精々腕や頬にかすり傷をつけた程度だ。アリーシャは感心した様子で小さく口笛を鳴らした。


「へえ、簡易詠唱であの大きさの岩をあそこまで砕けるのか。魔道士クラストップはやっぱり違うねえ」

「詠唱なしで中級魔法を使う人間に言われても嫌味にしか聞こえませんね」

 ニヤニヤと笑みを浮かべているアリーシャへレヴィスは冷ややかな視線を返す。

「誉めてるんだからそうツンケンするなよ。大体、お前もやろうと思えば出来るだろ?」

「…………」

 否定も肯定もせず、レヴィスは黙ったままアリーシャを見据えて動かない。そんな青年を見ながら講師の女性は変わらず笑みを浮かべていた。


「じゃ、少しレベルを上げるぞ」

 言葉を述べると同時にアリーシャは右手を頭上に掲げた。一瞬にして掌に輝く魔力球が生まれ、それを中心にして突風が吹き荒れる。レヴィスは風に煽られ身体のバランスを崩しかけるが、何とかその場に踏み止まって正面を見据えていた。

 風に押されてはいるものの、その目からは現状を把握して打開してやろうという意志がみえて、アリーシャは口元が緩むのを押さえ切れなかった。


 元々アリーシャは好奇心が強く好戦的な性格である。目の前の青年がどこまで出来るのか……境遇が自分と似ている、アイツの息子と対峙している事が楽しくて堪らない。

 ……やりすぎるなよ、と上からは念押しされているが、そんなつまらない事に従うつもりはなかった。久しぶりに力を存分に出せそうな相手なのだ。

 どうせ戻ればまた窮屈な生活なのだし、少しくらい……いや、思い切り楽しませてもらおう。


「がっかりさせるなよ、トレヴァン!」

 掲げていたアリーシャの右手が正面のレヴィスへ向けられる。相手が攻撃態勢を整えているにも関わらず、レヴィスは突風の中に身を置いたままその場から動こうとしなかった。

 ……しかし何もしていない訳ではなく、手にした杖に自身の魔力を込めながらじっとタイミングを計っていた。

 通常の魔法はもちろん、エルフ魔法の発動の速さからみてもアリーシャが自分より実力があるのは確実。馬鹿正直な真っ向勝負で勝てるとは思えない。そもそも学生が講師に勝とうなんていう事自体に無理があるのだ。

 ましてやアリーシャはハーフエルフだというし、どこを取っても劣る自分が勝つ見込みはないと言っていい。……だが。

 勝てないからと諦めて手を抜いた対応をすれば攻撃の矛先はフロートに向かうだろう。アリーシャは良くも悪くも有言実行する性格だ。

 ……しかし、レヴィスは一度に大量の魔力を使えない……いや、使う訳にはいかなかった。

 隙をみて攻撃をしかけるか、アリーシャの攻撃を耐えきって納得させるしか方法はない。防御に徹すれば凌ぐ事くらいは出来るはずだ。

(どっちにしろ厄介で面倒だ)

 吹き荒れる風の中、レヴィスは手に持った杖の柄をぎゅっと強く握った。


(参ったな……)

 そんな二人のやりとりをちらりと見ながら、フロートは周囲を回っている魔力の帯に手をかざす。どうやら触れなければこちらに危害が加えられる事はないようだ。むしろバリアーのような結界術に近い印象を受ける。

 ただしバリアーが結界内から出るのは自由な構造の術なのに対し、この魔法は内側から出る事は出来ないようだが。

 レヴィスの言葉を信じるならこれはエルフ魔法。術式も構造も判らない。魔力を内包していればそれを使って解析をする事も出来るだろうが……魔力を持たない彼女にそれは不可能。今のフロートに出来る事は、レヴィスとアリーシャの戦いを傍観して結果を待つ事しかなかった。

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