フロートの術

 レヴィスは杖をゴーレムの方に向け、膝をついた状態のフロートの下へと駆け寄る。

「相変わらず無茶しやがって……」

「あはは……でも、直接触れないと魔力阻害の実験が出来なかったから……」

 腕を支えられて立ち上がったフロートだが、その視線は正面を向いたままだ。

 ゴーレムは盛る炎に身を包まれながらも、移動しようともがいていたのである。

「……レヴィス君」

 それを見ていたフロートは小声で青年の名を呼ぶ。魔法が切れないように維持しつつ、レヴィスは視線でその呼び掛けに答えた。

「もう少し威力を上げられる?」

「…………」

 その言葉にレヴィスは僅かに眉を寄せ、少し間を置いてから口を開いた。

「出来なくはないが……やると、近くにある遺跡にも被害が出そうだ」

 若干渋い表情のレヴィスに対し、フロートはにこっと柔らかく笑う。

「出来るなら良いの。あのね……」


 続く少女の言葉を黙って聞いていた青年は視線をゴーレムへと戻しながら「……あまり無理はするなよ」と呟き呼吸を整える。それから息を吐き出すと同時に込める魔力を上げ始めた。

 同じようにフロートも呼吸を整えて詠唱を始め──息を一瞬止めてから真っ直ぐにゴーレムを見据える。

「バリアー!」

 再び雪原に響き渡った少女の声に合わせて光の半円が出現する。ただし先程とは違い──それはゴーレムの周囲を包んでいた。

「……?」

 思いもよらぬ光景にラピスは眉を潜めたが、その行動の理由をすぐに理解する。


 通常のバリアーは外からの侵入を防ぐけれど中から出るのは自由である。しかしゴーレムは光の壁から出られずに立ち往生していた。

 逆に操作するための魔力は問題なくゴーレムに送ることが出来ている……ということは、話は単純。フロートは表面と内側の構造を逆にして術を展開したのだ。

 そして現在ゴーレムは魔法の炎に包まれている状態である。いくら耐火対策を施しているゴーレムとはいっても密閉された空間で燃え続ける炎に晒され続ければそう長くは持たないだろう。


「んー……」

 首を傾げて腕を組んだラピスが小さく唸る。その間にもゴーレムは身を焼かれて少しずつ身体を溶かしつつあった。

 しばらく考え込んでいたラピスだが、ぱっと組んでいた腕をほどき、万歳するように両手を上に挙げてにかっと笑みを浮かべた。

「お前らの実力はよく判ったー。こっちの負けで良いよー」

「……え……」

 突然の敗北宣言に戸惑う二人の前でゴーレムの身体が音を立てて崩れ落ちる。

 魔力を失った雪の塊は瞬く間に炎の熱で解けて跡形もなく消え、辛うじて残った核石もパキンという乾いた音と共に砕けて砂になっていた。


 ゴーレムが完全に消えたのを見たレヴィスとフロートはほぼ同時に術を解く。建物の上からぴょんと飛び降りたラピスは風の魔法を使って難なく地面へと着地して、それから可愛らしい笑顔で二人を見上げた。

「いやー、久しぶりに楽しかったよー。歴代の首席候補と比べてもお前らは上の部類に入ると思うぞー」

「あ……有難うございます」

「……どうも」

 講師からの称賛をフロートはもちろん、レヴィスも素直に受け取って頭を下げた。それに対しラピスはにこにこと笑っていたが、不意にレヴィスへ視線を移して口を開く。

「それはそうとトレヴァン、フロートを回復してやってくれないかー? ちょっとやりすぎちゃったからなー。痕が残らないようにきっちり治してやってくれー」

「え……あ、はい」

 ラピスの言葉にレヴィスは少し戸惑いつつも返事をする。……どうしてラピスは自分が法力を持っていることを知っているのか──そういった疑問を一瞬抱いたが、よく考えればアリーシャも知っていたし、隠していてもフロートだって気付いていた。エルフの血が流れているラピスがそれに気付いていたって不思議はない。

 レヴィスはそれ以上深く考えるのを止めた。


 その一方でフロートは困ったような、戸惑いに近い表情を浮かべていた。

「……レヴィス君、私自分で出来るよ?」

 フロートの発言はレヴィスが法力を使う事に対しての心配から出たものだったが、それはラピスによって却下される。

「あー、駄目だぞー、フロート。お前は術の同時使用やもろもろで体に負担かけてるんだからなー。大人しくトレヴァンに任せてろー。……なー、トレヴァン。大丈夫だよなー?」

 同意を求めるようなラピスの視線を受けたレヴィスは自嘲気味に笑みを返した後でフロートの方を向く。

「心配するな。大丈夫だ」

「うん……」

 こちらを安心させるための言葉と笑みを向けられてはそれ以上強くは言えない。フロートは僅かな不安を抱きつつ、レヴィスが詠唱を始めるのを黙って見ていた。


「…………」

 全身とまではいかなくてもあちこち打撲のダメージを受けていたフロートを治すのはレヴィスでもそこそこに時間がかかる。

 治療ヒールをかけ終わった後、思っていたよりも法力を使ってしまったレヴィスは体の奥で蠢きだした魔力を抑えるのに意識を集中しなければならなくなった。

「大丈夫? もしきついなら前みたいにドレインで……」

「……問題ない。まだ、抑えられる」

 心配そうにこちらを見てくるフロートへ小さく笑うレヴィスだが、気を抜くと魔力が体から溢れてきそうで、法力が回復するまで少しきついな、と内心でため息を漏らしていた。

 一方、そんな二人をにこにこと満足そうに見ているのはラピスである。

「お疲れ様だなー、トレヴァン。さてフロートの怪我もちゃんと治ったところでー……」


 その瞬間。

 ラピスの顔から終始浮かんでいた笑みが消えた。


「試験とは別に、もうひとつチャレンジしてもらおうかー」

 言葉と同時に広げられた小さな両手。それは視線と共にレヴィスへと真っ直ぐ向けられる。

「マジックドレイン!」

「!?」

 紡がれた詞に驚愕したレヴィスを、ラピスの吸収魔法ドレインが襲う。

 抑えていた魔力は強制的に引っ張られて、法力の蓋をあっさりと吹き飛ばし体の外へ勢いよく溢れだした。


「……っ!」

 何とか魔力を抑えようとしてもそのための法力は少なく、放出される勢いを若干弱める程度で抑えられない。

 レヴィスが膝をつき、自身の体を両手で抱えたのを見てラピスは術を解除したが、勢いが出てきた魔力放出は止まらなかった。

 以前と同じように魔力が衝撃波に変わり、近くにいたフロートは勢いに押されつつも何とかその場に留まって、レヴィスの背中に手を当てて必死に声をかける。

「レヴィス君! 私の法力使って!」

「……あー。フロート、駄目だよー」

 フロートの言葉を遮るラピスの顔にやはり笑顔はない。アカデミーでいつも……怒る時ですら笑っていた、講師の初めて見る表情に戸惑うフロートにラピスは左手をかざした。

「これはお前のチャレンジだからなー。むしろ補充してもらわないと困るー」

「え……」

「ホーリーシェア」

 かざすラピスの手が淡く光るのに合わせ、フロートの体も光を帯びる。同時に減っていたはずの法力が一気に回復──いや、自分が持つ以上の力を手に入れた感覚にフロートは目眩を覚えて頭を押さえた。

 ……酔った時の感じに似て、くらくらして気持ちが悪い。

「フロートでもちょっときついかー……まあでも意識を失わないのは流石だなー」

 一瞬だけラピスの顔に笑顔が浮かぶがそれはすぐに消え、真っ直ぐに少女を見据えた。


「今、フロートとボクの法力は共有状態にあるんだー。だから許容量以上の法力を使ってもボクの法力でカバーされるー」

「…………?」

 ラピスが何をしたいのかが掴めず、戸惑いながら言葉を待つ。

 その間もレヴィスの魔力放出は続いており、何とか抑えようとしているようだが収まる気配はなく。逆に衝撃波は少しずつ強くなってきている。そんな青年をフロートは気遣いつつ、ラピスをじっと見ていた。

「要するにだなー……フロートへの課題はー、トレヴァンの魔力放出を抑えてもらうことだー」

「……!?」

 その言葉に驚く二人を余所に、ラピスは淡々と言葉を続ける。

「何をやっても良いけどー、トレヴァンに法力渡して抑えてもらうっていうのは無しなー。フロートがきちっと行わないと認めないからー。……それともそういう術は父上から教わってないかー?」

「…………」

 父上、という単語を聞いたフロートの表情が変わる。ラピスが自分に何の術を使わせようとしているかに気がついたらしい。

 怪訝な表情を浮かべているレヴィスへフロートは自嘲気味に微笑みを落とした。

「レヴィス君、先に謝っておくね。失敗したらごめんなさい」

「……何、を……」

 魔力放出に耐えながら少女の言葉に戸惑いの声を漏らす青年の前で、フロートは立ち上がると両手を広げ、目を閉じて詠唱を始める。


「……万物に宿る力の源、万物を巡る命の理、世界に満ちる全ての根源よ。我の声を聞け」

 詞が紡がれるのに合わせ、フロートの体は淡い光を帯び始める。一方、その詞を聞いたレヴィスは目を見開き、驚愕の表情で少女を見上げていた。

「……その詠唱……何で、お前が……?」

 愕然とした呟きがレヴィスの口から漏れるがフロートの耳には届かず、少女は詠唱を続けていた。

「過ぎたる力に平穏を、欠けたる力に修復を、全ての力へ調和の恩恵を与えたまえ」

 フロートが両手を胸の前で合わせると、纏う光は強くなり輝きを増していく。魔力の衝撃波は光によって遮られ少女に届くことはない。

 そんな光景をラピスは満足そうに、レヴィスは戸惑いの表情で見つめていた。


「我が望むは世界の調和。我の呼び掛けに答え、望みをここに示せ!」

 フロートはパッと目を開き、術を発動させるために最後の詞を口にする。

「……フォース・アジャスト!」

 その瞬間、纏った光が大きく広がり、辺り一帯を包み込む。同時にレヴィスが発していた魔力による衝撃波は中和されるように和らぎ、極寒だったはずの場所も暖かな光に満たされる。

 ──しかし、魔力放出が完全に収まった訳ではなかった。


「……く……」

 中和する側から新たに出てくる魔力の衝撃波にフロートは小さくうめき声を漏らす。

 外に出る魔力を中和するのが精一杯で抑え込むには至らない。もっと力を込めないといけないのだが、法力はどんどん消費されており、抑え込めるほどの余力があるかどうか……。

 そんなことを考えていたフロートに対して、ラピスの間延びした声が響いた。

「このままじゃじり貧だぞー。ボクはまだ平気だからー、遠慮せず一気に抑え込めー」

「……は、はいっ!」

 その言葉に返事をしたフロートは進言通り一気に法力を注ぎ込む。

 衝撃波の放出はフロートの力に圧されて少しずつ弱まっていき、光が消える頃には完全に収まっていた。


「…………っ」

 荒い息を吐きながら膝をついたフロートに、ラピスはようやく表情を崩して屈託ない笑みを浮かべた。

「フロート、よく出来ましたー」

 そう言ってラピスがパチンと指を鳴らした瞬間、フロートの体を強い脱力感が襲う。

 ……この感覚には覚えがある。船の上でシーサーペントと戦った時、法力が空っぽになった時の感覚だ。意識が遠退き、ぐらりと体を揺らしたフロートを横にいたレヴィスが慌てて支えた。


「……おい! しっかりしろ!」

「…………」

 焦りの表情でこちらを見下ろすレヴィスに以前のような消耗した様子は見られない。代わりに自分の消耗が半端なかったが、そこは仕方ないだろう。……そもそも正式に習っていない、うろ覚えの術を使ったのだから。成功しただけでも上出来というべきだ。

「……良かった……」

 フロートは弱々しく言葉と微笑みをこぼして目を閉じる。


「……おい! ……フロート!」

 意識が完全に落ちる直前。名前を呼ばれたフロートの手が僅かに動く。

(……あ、名前……)

 青年に初めて名前を呼ばれた。

 そう思ったが閉じかけた意識は戻せず、そのままフロートは意識を失った。

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