魔法陣

 マリドウェラの集落があった森の中。

 地面に描かれた魔法陣を前にラピスとカルロがやり取りをしている一方、そこから少し離れた所でフロートは簡易式の椅子に座って本を読んでいた。

 ……その内容をそらで音読出来るのではないかと思うほど、この場所に来てから何度もこの本を読み返しているが……他に出来る事もない。かと言って何もしないでいるのも落ち着かず耐えられない。

 ――レヴィスが過去に飛んだ後。こちらではすでに三日が経過していた。


「……あー、そろそろお腹空いたなー」

 不意に聞こえた声に顔を上げてそちらの方を見れば、カルロがいそいそと食事の準備を始めている。

「今日は何が良い? ラピスの食べたいもの用意するよ!」

「あはー、そうだなー。何でも良いっていうなら三ツ星ランクのロアドナ・セレスティで出されてるアクアパッツァとフィレ肉のローストとそれに合うパンが食べたいなー」

「……パンだけならすぐに何とか……」

「あれー? 食べたいもの用意してくれるんじゃなかったのかー?」

 交わされるラピスとカルロの会話を若干表情を崩して見ていたフロートは、食事の手伝いをしようと本を閉じて立ち上がり――そして、手首につけている腕輪の石が淡い赤色を帯びている事に気が付いた。


「ラピス先生!」

「んー? ……あー、やっときたかー」

 動揺を含んだ少女の呼びかけにラピスはカルロから離れてそちらへ足を向ける。

「腕輪は外して地面に置いとけー。大丈夫とは思うけどー、どういう状態で飛んでくるか流石に判らないからー」

「はい」

 講師の指示に従い、フロートは腕輪を地面へと置いて距離を取る。

 その間にも石は少しずつ色を変え、鮮やかな緋色になった時、石から溢れ出た光が周囲へ一気に広がり、そして――


「……うわっ⁉」

「いてっ!」


 何かが勢いよく地面に落ちる音と、驚いた様子で発せられた男女の声が光の中から響く。

 光が拡散して消えて――その中から現れたのは、地面に倒れ込んで腕や腰を擦っているレヴィスとアリーシャの姿だった。それを見たフロートは弾かれたようにレヴィスの元へ駆け寄る。

「……レヴィス君!」

「あ……」

 名を呼ばれ、そちらへ顔を向けた青年の顔に戸惑いの色が浮かぶ――が、それ以上何か考える前に体から力が抜けて再び倒れ込んだ。……魔力切れだ。


「……っ⁉」

「ギリギリだったな」

 その場から起き上がれないレヴィスを見下ろしながら、アリーシャは青年の手首についている腕輪に手を伸ばして中央に嵌められた石を取り外す。

「これだよな?」

「うんそうー。それそれー」

「ほらよ、ティルル」

 ラピスに確認を取ったアリーシャは外した石をフロートへ投げる。

 いきなり投げ渡された石を慌ててキャッチして、戸惑いの目を向けてくる少女に対しラピスは口を開いた。


「一昨日ボクが話してたこと出来るよなー? 間違っても飲み込んじゃ駄目だぞー」

 どこか楽しんでいるような口ぶりに、フロートは自身の腕輪の石を外しつつ、困惑と羞恥が混ざった表情を浮かべている。

「……あの、本当にここでやらなきゃ駄目ですか……?」

「駄目ー。時間ないって言ったろー」

「…………」

 ラピスにスパっと切り捨てられたフロートはぐっと言葉を飲み込み。

 若干の間を置いた後、意を決したように深呼吸をしてからレヴィスの前で膝をつく。


「えと……ごめんね、レヴィス君。失礼します」

「……? 何……」

 度重なる魔力使用で魔力が空っぽになり、遠のきかけた意識を何とか保っているレヴィスに対し、フロートは手にした二つの石を口に含み――レヴィスの両頬へ手を添えて持ち上げると、そのまま唇を重ねた。

「……っ!?」

 流石に驚いたレヴィスだが、そのすぐ後に吹き込まれた力に体がびくりと跳ねる。

 ……法力しか持っていないはずのフロートから送られてきたのは魔力だった。


「本当にお前は規格外だよな」

 その光景を見ていたアリーシャの口から漏れたのは呆れの言葉だ。一方、ラピスはニヤリと笑って横の女性を見上げる。

「試作品だから使い捨てだけどなー」

「……道具の事だけじゃねえよ」

 楽しそうに笑うラピスに、アリーシャの顔は言葉と同じように、表情も呆れたものへと変わった。


 ラピスが作った腕輪には複数の要素が備わっている。

 ひとつ、魔力での発動とは別で、法力を魔力に変換して使用出来るマジックアイテムである事。

 ふたつ、対になる腕輪の所へ飛べる移動術式が組み込まれている事。

 みっつ、対の腕輪を持つ所有者の身に何かあれば色を変えて知らせる事。

 そして最後――石を二つ使えば、一度だけ法力を魔力に変えて魔法が使える、というものである。


 二日前、最終試験が終わった後。ラピスは過去に行ったレヴィスの後をアリーシャに追わせた事、上手く事が運べばレヴィスが戻ってくる可能性がある事、それから今後の計画をフロートに話した。

 しかしレヴィスは力の使い過ぎで魔力枯渇になっているだろう――だから、戻ってきたらすぐに魔力を分けないといけない。

 その事と腕輪の要素を説明した上で、ラピスはにやりと笑ってフロートを見た。

「一週間も『贈与ギフト』をかけられてたんだし、トレヴァンのやり方でならもう使えるよなー?」

「…………」

 当たり前のように話すラピスにフロートは絶句して――しかし否定も出来ず今に至る。


 口に含んだ石は術の使用時間の経過と共に小さくなっていく。

 そうして完全に石がなくなったところでフロートは術を解き、重ねた唇を離した。

「…………」

 全てとはいかなくても半分ほど魔力が回復したレヴィスは呼吸を整えた後。

 若干恥ずかしそうに赤面しながら視線を逸らしつつ、小さな声で「……助かった」と呟きをもらした。


そんな二人を見ながら小さく息をつき、ラピスはちらりとアリーシャを見上げる。

「……ところで、過去はどうなった。あのエルフは?」

お前が言っていたように・・・・・・・・・・・ウィルシアは未来が変わるのを拒否した。過去改変はないはずだ。……アイツは……滅ぶ里と運命を共にするとよ」

「…………そういう事か」

 皆まで聞かずとも何があったかを察したラピスは一度目を閉じ──少し間を置いてから目を開け、パンっと大きく手を叩いた。

「オマエらイチャイチャするのは後にしろー。トレヴァンにはまだやってもらう事があるからなー」

 ラピスは身を寄せたままの二人に対してそう言葉を飛ばし、それに気づいたレヴィス達は恥ずかしそうに立ち上がってお互いから距離を取る。

 フロートが赤くなった頬に手を当てているのをちらりと見つつ、レヴィスはラピス達がいる方へ足を向けた。


「……何をすればいいですか?」

「えっとなー」

 ニコニコと屈託ない笑顔を浮かべながら、ラピスはすっと視線を後方に移す。

「オマエにやってほしいのはー、もう一回魔法陣を発動させることだー」

「……魔法陣を……?」

「そー。ただあのエルフが用意してた魔法石は使い捨てだったみたいで使えなくなってたからー、カルロやアリーシャと一緒になー」

 その言葉に顔を動かせば、名を上げられた二人はそれぞれ魔法陣の前に立って準備をしていた。……よく見ると魔法陣は部分的に紋様が書き換えられているようだ。

 レヴィスは視線を戻して正面の相手をじっと見る。


「……魔法陣で、今度はいつに飛ぶんです?」

「いつだと思うー?」

 楽しそうに笑みを浮かべるラピスに対し、レヴィスは考えを巡らせようとするが、それを待たず若干苛立ったような声が飛んできた。

「魔法陣で飛ぶのはアタシで行き先は未来だ。判ったらさっさと動け」

「あー。何だよアリーシャ、あっさりネタばれするなよー」

「うるさい。アタシはこの場から早く移動したいんだ。だらだらすんな」

 アリーシャは不満そうに頬を膨らませたラピスをじろりと睨みつけた後、その視線をレヴィスへと向け――驚いた表情を浮かべているのを見て、ふっと笑みを零した。


「何だよ、間抜け面して」

「未来に行って、何を……?」

「別に何も?」

 青年が口にした疑問に肩をすくめながら短く言葉を返す。

「ま、強いて言うならアタシのことを誰も知らない時代に行って、アタシの好きなように過ごす。それだけだ。お前を過去から連れて帰れば魔法陣でアタシを未来に飛ばしてやる――それが、こいつらと交わした契約だからな」

 ちょいちょいと手でラピスとカルロを差してから、アリーシャはにやりと笑う。

「だからお前にはもう少し働いてもらうぞ」

「……判りました」

 表情を引き締めて答えたレヴィスに、アリーシャの顔は少しだけ柔らかいものへと変わった。


 三人が魔法陣の周りで等間隔に立ち、両手をかざして魔力を収束させて注ぎ始める。

 それに合わせて魔法陣が淡い光を発するのを見ながら、フロートはラピスの隣へと移動した。

「……三人の魔力で発動出来るんですか?」

「大丈夫ー。トレヴァンのが今ちょっと少ないけどー、カルロも人間にしちゃ魔力持ってる方だしー。そもそもハーフエルフのアリーシャもいるから問題ないよー」

 顔を三人の方へ向けたまま、ラピスは視線だけフロートへと向ける。

「それよりボクらの仕事はこの後だー。トレヴァンに力を渡してるからちょっときついかもしれないけどー、フォロー頼むよー?」

「はい」

 気負いなく答えたフロートに満足そうな笑みを浮かべ、ラピスは再び三人へ視線を戻した。


「……おい、トレヴァン」

 不意に名を呼ばれ、レヴィスは意識を魔法陣から対角線に立つ女性へと移す。

 一方のアリーシャは視線を魔法陣に落としたまま、呟きを漏らすように言葉を続ける。

「アタシがいなくなったらロアドナはお前の力を手に入れるために色々な手を使ってくると思う。……アタシの時もそうだったしな」

「…………」

「……けど、アタシの時と違うのは……お前の周りにはお前を助けようとする存在が少なからずいる。それも国相手でもそこそこ対峙できるくらいの力を持ったやつらばかりだ。お前はそいつらに助けてもらって生きてけ」

 そこでようやく、アリーシャは顔を上げてレヴィスを真っ直ぐ見据える。

「お前もそいつらを全力で守れ。……七年前とは違うんだ。しっかりやれよ」

「……はい」

 レヴィスはぐっと唇を噛んでそう答えた後、僅かに表情を歪めて、泣き出しそうにも見える笑みを浮かべた。


「そういや、結局先生から母さんの話は聞けませんでしたね」

「あー……そういや、そんな話もしたな……」

 イェルーダで交わした会話を思い出したアリーシャの目は宙を漂い。ふっと懐かしそうに細められる。

「まあ、そんなに話せる事は多くない。昔、お前の両親に世話になったって事くらいだ。軟禁されていた所によく顔を出しに来ていて……ウィルシアにはからかわれる事がほとんどだったな」

 それを聞いたレヴィスの顔が申し訳なさそうなものに変わり、それを見たアリーシャは小さく笑みを零した。

「ウィルシアの話を聞きたいならラピスに聞け。アイツも面識があったらしいからな」

「え……」

「――悪いがおしゃべりはそこまでだ。……準備が出来たぞ」

 レヴィスが言葉を発しかけたのを遮り、カルロは手をかざすのを止めて両手を下ろす。

 その視線の先には安定した光を放つ魔法陣があった。


「――じゃ、行くわ」

 ちょっと散歩に行くかのような軽口で、アリーシャはその場をぐるっと見回した。

 それに対してラピスは若干厳しい表情を浮かべている。

「ボクらの解読と術式が正しければ魔法陣の先はおおよそ百年後の世界だけどー……はっきりいってどんな世界になっているか判らないぞー?」

「どんな世界だって構わねぇよ。それよりお前らの方こそ頑張れよ。トレヴァンの事もそうだが、アタシがいなくなった事で国からの追及は厳しくなるだろうからな」

「そこは問題ない。マグルス主任をこっちに引き込んだ」

「ああ、上手くいったのか。ならまだ何とかなりそうだな」


 ラピスの代わりに答えるカルロの言葉を聞いたアリーシャは小さく笑い、最後にレヴィスとフロートの方を見た。

「学生にいうのも何だが、お前らのおかげで助かったよ。こっからが大変だろうが、まあ、頑張れ」

「……はい」

「アリーシャ先生もお元気で」

「おう」

 ふっと口元に笑みを浮かべ、アリーシャは短い言葉を返した後、迷うことなく魔法陣の中で足を踏み入れる。

 その瞬間、魔法陣が輝きアリーシャは光の中へと消えて――魔法陣の光が元の淡いものへと戻った時、その姿はどこにもなくなっていた。

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