年相応

 ──……時間にしてみればほんの僅かだったような気もするし、すごく長かったような感じもする。

 レヴィスの腕の中、フロートは閉じていた目をゆっくりと開けた。

 ……恐怖を感じていた心は大分前に落ち着きを取り戻している。本来ならもう離れなければいけないけれど、温もりから離れるのがどうにも名残惜しくて、フロートは中々動けずにいた。

 とはいえいつまでもこのままでいられる訳でもない。小さく息を吐き、青年の胸を押しながら体を離した。


「有り難う。もう……大丈夫」

「……そうか」

 本当に大丈夫なのかと心配そうな表情を浮かべているレヴィスへ微笑みを返し、フロートは一歩後ろに下がって完全に距離をおく。

「本当に助かったわ。レヴィス君が来てくれてなかったら……今頃どうなってた事か……」

「別にお前が礼を言う必要はない。気付いたのもたまたまだし……な」

 ややぶっきらぼうに言葉を呟くレヴィスの視線はフロートから床に落ちていた杖とホルダーに移る。ゆっくりと拾い上げたそれを軽く叩き、ほこりを落としてから少女へ手渡した。

 フロートは受け取った杖を胸で抱えたまま、もう一度「……有難う」と礼を述べてふわりと笑う。


「……何か飲んでから戻るか?」

 物置部屋から出た後、ラウンジの方を見ながらレヴィスが漏らした呟きにフロートは少し逡巡してから首を横に振る。

 日が落ちて暗くなっているとはいえ、まだまだラウンジは盛況している時間帯だ。飲み物を口にしたい気持ちもあったけれど、人の多い所に行くより部屋でゆっくりしたい気持ちの方が強い。

「……私はいい」

「判った」

 あっさりと言葉を返してそのまま階段を上るレヴィスの後ろを歩きながら、フロートは青年の背中を見上げ、胸に抱えた杖を強く握っていた。


 間もなくして部屋の前に辿り着いたレヴィスはドアを見つめたまま立ち止まって何か考え込んでいる。どうかしたのかと不思議に思ったフロートが口を開きかけた瞬間、レヴィスがくるりと反転して後ろを振り返った。

「とりあえずこのパターンならまたリンドが来ても大丈夫だろ」

「……?」

 独り言に近い呟きを聞き、首を傾げたフロートに対してレヴィスはふっと口元に笑みを浮かべる。

「この部屋のドアにプロテクトをかける。俺が考え付く限りの一番複雑なパターンを組むから、リンドが来たとしてもそう簡単に解除出来ないはず……ま、あれだけ脅したんだから普通は来ないだろうが……。念の為、誰かが解除しようとしたら俺に判るようにもしておくから、お前はゆっくり部屋で休んでろ」

「……あ、うん……」

 先程立ち止まって考えていたのはプロテクトのパターンだったらしい。

 レヴィスが思いつく限り複雑なパターン……実際に使えないから詳しい仕組みは判らないけれど、かなり難解な組み合わせになっていそうだ。そんな事を思いつつ、フロートはドアを開けて部屋の中へと入る。


「それじゃ、お休みなさい。今日は本当に色々と有難う」

「だから別に良いって。それより、明日の朝に俺がプロテクトを解除しに来るまではお前も部屋の外に出れないからそのつもりでな」

「うん。判った」

 ふわりと微笑むフロートへレヴィスも表情を和らげて小さく笑い、ゆっくりとドアを閉めていく。

 部屋の中にドアの閉まる音が響いた後、しばらくしてドアが一瞬淡く光って揺らぐ。……どうやらプロテクトが完了したようだ。

 ドアの前から人の気配が離れて行き、それから隣の部屋のドアの開閉音が小さく聞こえた。

 フロートは試しにドアを開けようとしたがノブは回ってもドアが開く様子は全くない。鍵をかけていないのにがっちりと固定されたように動かなくなったドアをじっと見ていたフロートだが、ドアに背を向けるとそのままベッドに倒れ込むように身を投げた。


 ふかふかの枕に顔を埋めてしばらく動かなかったフロートは、大きくため息をついてから体を動かして仰向けになり、天井を見上げて再度ため息をついた。

 ……リンドに触られている時は本当に嫌だった。嫌悪感しか思い出せない。

 でもそれが吹き飛ぶくらいに、レヴィスの腕の中は心地良くて落ち着いた。

(……参ったなあ)

 両手を広げて天井を仰ぐフロートの顔は少し赤かった。

 ほんのりと胸に浮かんだ、淡い気持ちは中々消えてくれない。むしろ認識した途端にそれは強くなっているようで──ため息と同時に瞳を閉じる。


 確かにレヴィスとは少しずつだが良好な関係を築きつつある。試験開始時と今のレヴィスの態度を比べてもそれは明らかだ。

 ただし、それはあくまで『卒業試験のペア』としての関係である。それ以上でもそれ以下でもない。それでも──フロートは自身がレヴィスに少なからず好意を抱いているのだと自覚していた。

 自分でも厄介な事になったと思ってはいるが、気持ちは理屈でどうにかなるものではないのだ。だからこそ厄介なのだが。


 ……意識したのがシルヴィ達と別れた後で良かった。一緒にいる時であれば根掘り葉掘り聞かれた上で色々させられていたかも……いや。色々言われるかもしれないが、それ以上に相談が出来るのだからそっちの方が良かったかもしれない……。

 そんな事を思いながらフロートはごろっと体を転がして横向きになる。


「……私、実は男性に飢えてたのかな……いやいや、流石に誰でも良いって訳じゃない……よね? うん、違う……いやでも、それだと一ヶ月そこら一緒にいるだけで好意を持つとか、私どれだけちょろい……ううん……」

 ぶつぶつと呟きながら一人で自問自答を繰り返すフロートの姿は、アカデミーでの『頼れる優等生』とは程遠かった──けれど、年相応の少女の姿だった。

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