極寒の地

 ミストゲートから出た二人を出迎えたのは、どこまでも続く白銀の世界と突き刺すような凍てつく寒さだった。

 防寒具をしっかり着込んではいるけれど、それでも伝わってくる寒さに二人はぶるっと身体を震わせる。

「……予想以上に寒いな」

 白い息を吐きながら雪原を見ているレヴィスに、フロートも同じように白い息を吐いて視線を向ける。

「本当にね……ルティーダの町まで、確か馬車で四日くらい……だったっけ」

「四日か……」

 少しうんざりしたような呟きに苦笑いしかフロートは返せなかった。これからレヴィスは寒さに加えて乗り物酔いにも耐えなければいけないのだから。


「どこかで酔い止めの薬を買おうか?」

 流石に両方というのは辛いだろう――そういう意味を込めた提案だったが、レヴィスは首を横に振った。

「いや、いい。もしかしたらボッカに会うかもしれないから、もう少し我慢する」

「……え?」

 その瞬間、フロートの表情が怪訝そうなものに変わる。レヴィスはそれを少し不思議に思いつつも言葉を続けた。

「ボッカの試験は魔法薬精製で、ペルティガにしかない素材が必要って言ってたんだ。あいつが作る薬は効果が高いから、どうせなら会えた時に作ってもらいたい」

「…………」

 レヴィスが話している途中、フロートは考え込むように視線を落として俯いている。

 そんな少女の様子を不思議そうな表情でレヴィスが見つめ、それに気付いたフロートは顔を上げて取り繕うように笑った。

「……確かにボッカの薬は良く効くものね。会えると……良いね」

 後半微笑んではいたものの、僅かに視線を逸らすフロートに対し、レヴィスは訝しみながら口を開く。

「……もしかして、ボッカとあまり仲良くないのか?」

「そんな事ないよ。法術士クラスは皆良い人達ばっかりだから……それより、そろそろ乗り合い所に行こう。早めに移動した方がゆっくり休めるでしょう?」

 口をついて出た疑問へ首を横に振って否定したフロートだが、その表情はやはり少し暗い。何かあるのは間違いなさそうだったけれど、やんわりと話題を替えられたためにそれ以上深く話をする事が出来ず、目的地に着くまでの間、レヴィスは胸の奥にもやもやしたものを抱えて過ごす事になった。



 ――そして四日後、遺跡に程近いルティーダの町。

 馬車から降りたレヴィスはもちろん、フロートもぐったりした様子で息をついた。

 ルティーダに来るまでの馬車は防寒対策はしっかりしており、快適とまではいかなくとも(レヴィスの乗り物酔い以外は)問題なかったのだ。

 むしろ中継地にある簡易宿の方が大変だった。安かろう悪かろうの見本のような宿で、建物の中にいても底冷えがひどく眠る時も防寒具なしでは耐えられない。

 そんな状態で身体を休める事が出来るはずもなく、また問題なかったはずの馬車と宿の温度差にも追い討ちをかけられてしまい、ルティーダに着く頃には二人とも疲労が蓄積した状態になっていたのである。


「……やっと着いたね」

「そうだな……まずは宿探して、それから……今日は大人しく休もう」

「出来れば温かい湯船に浸かれる宿に泊まりたいな……」

「……そうだな」

 中継地の宿で経験した、ほとんど温まれなかった風呂を思い出しながら二人は顔を見合わせて深い息を吐いた。


 そうやって町の中に入ってすぐ。

「……あれ?」

 聞き覚えのある声にレヴィス達は顔をそちらへと向ける。

 そこには驚いた表情をこちらに向けている友人――ボッカが立っており、一瞬の間を置いた後、表情を明るくして大きく手を振ってきた。

「レヴィス達じゃん! やー、しばらくぶり!」

 相変わらずのしのしと、ふくよかな身体を揺らしながらこちらへ向かってきたボッカの元へ二人も駆け寄った。

 正直なところ、期待半分だったレヴィスは本当にボッカと会えた事に顔を綻ばせる。一方のボッカは二人を交互に見ながらにこにこと人当たりの良い顔で笑った。

「あちこち回るとは聞いてたけど、ホントにレヴィス達に会うとはなー。試験は順調か?」

「まあ……ぼちぼちだな。ここをクリアすれば折り返しだし」

「そっかー、期間的に見ても順当って感じだな」

「……個人的にはもう少し、時間は余裕を持たせたいところだけどな」

「ははは、無理だろー。どうせレヴィスが乗り物酔いとかでへたってフロートの足を引っ張ってるんだろ?」

「…………」

 げらげらと笑うボッカに引きつった笑みを返すレヴィスの横で、フロートはどこか落ち着かない様子で視線を泳がせていた。


 いつもと違う少女の様子に気が付いたレヴィスはボッカから視線を移して僅かに首を傾げる。

「どうした?」

「え? ……あ、ううん、ちょっと……中継地と違って色々なものがあるな、と思って……」

 声をかけられたフロートは慌てて取り繕った笑みを浮かべたが、それを見たボッカは何かに気付いて「あっ」と短く声を上げた。

「そうだった! ……えーと……会えたのは良かったけど、どっちかっていうとあんまり良くないな?」

「……うん、まあ……今は一緒じゃないのね?」

「今はそうだけど、そのうち来るから……でも、この町に滞在するならいずれ会っちゃうんじゃないかなあ」

「そうよね……」

「…………?」

 そんな二人のやりとりを怪訝そうに見ていたレヴィスだが、遠くから聞こえた若い男の声にその意識を向けた。


「あれ、もしかしてフロート!? 久しぶり!」

 向けた視線の先には離れた所から笑顔で手を振っている男がいた。少し長く伸びた金髪を後ろで一つにまとめ、藍色と緑色のオッドアイが印象的な顔は目鼻立ちもはっきりしていて整っている。身長も高く、すらりと長く伸びた手足と相まって女性受けしそうな風貌だ。

 その上で実力もあり、術士コースでも女生徒の人気を集めているこの男がボッカのペアであるリンドだった。

「…………」

 しかし、リンドがこちらに向かって来るのを見たフロートはさりげなくレヴィスの後ろに隠れるように移動する。それをレヴィスが不思議そうに、ボッカが苦笑いを浮かべて見ているうちに、三人の元にやってきたリンドは嬉しそうに口を開いた。


「いやー、こんなところでフロートに会えるとは思わなかったよ! 元気?」

「……まあ……それなりに」

 爽やかな笑みで話しかけてくるリンドに対してフロートは気乗りしない様子で言葉を返す。そんな少女の態度を全く気にせず、リンドはレヴィスを押しのけてフロートの両手をがっちりと掴んだ。

「!」

 手を掴まれたフロートが身を強張らせるが、やはり青年は意にも介さず言葉を続ける。

「久しぶりに会えたんだし、これから一緒にご飯でも食べに行かない? 美味い飯屋があるんだ」

「え……えっと、悪いけど私達、先に宿屋に……」

「あ、もしかしてここ着いたばっか?」

 何とか理由をつけて断ろうとしたフロートの言葉を遮り、リンドは少しだけ考え込むようにしたあとで再び爽やかに笑う。

「なら俺らと同じ宿屋にしなよ! よし、決定!」

「え、ちょっと……それは……」

 言いたい事だけ言って話を進めていくリンドにフロートは困り果てた表情で目の前の青年とレヴィス達を交互に見た。


「…………」

 そんな二人の様子を見ていたレヴィスは不愉快そうに眉を潜める。一方、それに気付いたボッカはニヤニヤと笑みを浮かべて友人の腕を小さく小突いた。

「あれあれぇ? 随分とご機嫌斜めのようだけど、どうかしましたか?」

「……別に」

 含み笑いの混ざった言葉に短く返事をしながらフロート達から目を逸らしたレヴィスの肩をボッカはポンポンと叩く。

「まあ仕方ないって。あの二人、昔付き合ってたから」

「え?」

 それを聞いたレヴィスが驚いたように目を大きくして顔を向けてきたので、何だか楽しくなってきたボッカは口元を緩ませて相手に向き直った。

「もう一年……いや一年半くらいまえかな? リンドから告白して付き合いだして。二ヶ月くらいでフロートの方から振ったらしいけど、リンドは未練たっぷりで諦めてないんだよ。それでフロートはアイツの事が苦手ってわけ」

「…………」

 黙ってそれを聞いていたレヴィスは眉を潜めたまま二人に近付いて行き、リンドの腕をぐっと掴むとフロートから強引に引き剥がして、間に割って入るようにリンドと対峙した。


「いきなり何すんだ! ……って、いたのか、レヴィス」

「いたよ、さっきから。てかお前さっき俺を押しのけただろうが」

 睨みつけてきたリンドに冷ややかな視線をレヴィスは返す。

「勝手に話を進めるな。どこに泊まるかは自分達で決める」

「はあ?」

 その言葉にリンドは目を細めてレヴィスを見るが――それに対し「あー……」と言いながら入ってきたのはボッカだった。

「えっとな、レヴィス。リンドの提案は置いとくとしても、オレも同じ宿屋の方が良いと思う」

「は?」

「おい、何だ置いとくって」

 不服そうなリンドの言葉を無視して、虚を突かれたような表情を浮かべた友人に向かってボッカは言いにくそうに言葉を続ける。

「オレ達が泊まってる宿屋、ランクとしては中級くらいの宿屋なんだけど……同じくらいかそれ以下の宿屋は夜ホントに寒くて寝れやしないんだよ。中継地の宿みたいにさ。もちろん宿代を上げれば防寒もしっかりしてるけど、料金も倍以上になるからお勧めしない。金に余裕があるなら別だけど」

「…………」

 レヴィスは振り返ってフロートに目を向ける。それに対しフロートは微妙な表情を浮かべたまま首を横に振った。


 卒業試験を受けるにあたっては各ペアに支度金が支給されている。

 それは旅をする上で平均的な額を与えられているのだが、大陸間の移動を船ではなくミストゲートで行なう予定のレヴィス達に余裕はない。少しでも贅沢をしようものなら旅の途中で底をつく。旅の途中で資金稼ぎを行なう事は認められているけれど、正式な探索者ではない学生に対して依頼される仕事で稼げるお金はたかが知れているだろう。

 結論として……レヴィス達に選択の余地はあまりなかった。

 明日には遺跡探索を行なう予定だというのに、休めない宿屋に泊るのは得策だといえない。体力が奪われやすい極寒地ペルティガでは尚更だ。


「……判った。ボッカの、提案に乗る」

「賢明な判断だな! それじゃフロート、行こうか」

「あの、ちょっ……」

 ボッカの、という部分を強調したレヴィスの言葉に、リンドはにこやかに笑うと再びレヴィスを押しのけてフロートの手を取り歩き出す。

 強引に引っ張られる形で連れて行かれるフロートを止めようとしたレヴィスだったが、伸ばしかけた手を引っ込めると目を逸らした。

「何かごめんな。リンドの提案に乗っからせる感じになっちゃって」

「いや……別に良い。教えてくれて助かった」

 申し訳なさそうに声をかけてきたボッカに小さく笑みを返してからレヴィスも後を追うように歩き出す。

 その横を歩きながらボッカは赤毛の青年をちらりと見る。青年の視線は前を歩く二人に向けられていて、その表情は険しく眉を潜めていた。


「……なあ、レヴィス。そんなに気に入らないならリンドにはっきり言ったらどうだ? 『フロートに手を出すんじゃねえ』って」

「…………へっ!?」

 ボッカの言葉に険しかったレヴィスの表情が崩れ、一瞬で顔を赤くして慌てた様子で横を歩く友人を見た。

「そ、そういうんじゃなくてだな……ただ……そ、そうだ! ペアの奴にちょっかい出されるのが気に入らないだけで……」

「…………」

 しどろもどろな口調で言い訳を始めたレヴィスをボッカはニヤニヤとした笑みを浮かべて見ている。

 付き合いが長いボッカもこんなに動揺したレヴィスを見るのは初めてだった。……フロートとの旅はボッカが思っていた以上に彼の心情を大きく変えたらしい。

「……何だよその顔は」

「えー? いや、別にぃ?」

 レヴィスが不満そうな声を漏らすが、ボッカは友人の変化が嬉しくなってにやにやと顔が緩むのを止められなかった。


「まあ、フロートが心配なら必要以上にリンドを近づけさせない事だなー。噂によるとリンドの奴、多少強引な手使ってでもフロートとヨリを戻したいみたいだから、講師の目が届かない学外でしかも同じ建物内に泊まるっていうこの状況を利用して何かしてくるかもしれないぞ?」

「……何かって何だよ」

「おいおい、いくらお前が異性との関係に興味ないっていっても、それくらいは少し考えたら判るだろ? 男女がする事なんてそう多くはないんだからさ」

「…………」

 皆まで言わせるなよ、と含み笑いを浮かべているボッカから視線を前に移したレヴィスの表情は先程よりも厳しくて険しい。

(……ちょっと煽りすぎたかな?)

 これまた今まで見た事のない青年の表情にボッカは少しだけ反省しつつ、しかし内心ではレヴィスの変化を喜ぶ気持ちの方が大きかったので謝る事はしなかった。

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