贈与の影響

 静かな部屋に小さく、ドアの開く軋んだ音が響く。

 灯りのついていなかった暗い部屋はドアから漏れる光に照らされて、室内の様子がうっすらと見えてきた。

 すっきりと整頓された勉強机に白いクロスがかけられたテーブル。壁沿いに並んだ本棚には専門書から雑学書まで様々な書籍が収められている。

 そしてその奥、整えられたベッドに少女が一人眠っていた。

 規則正しい寝息をたてている少女は身動きすることなく、目覚める様子も見られない。開いたドアの隙間からそれを見ていたレヴィスは小さくため息をつき、ゆっくりとドアを閉めた。


「……起きたら知らせるって言ってるのに。毎日律儀に様子を見に来なくてもいいのよ」

 淡い茶色の髪をサイドで結んだ女性が半ば呆れを含んだ視線を青年へと向ける。

「……すみません」

 伏し目がちに謝罪の言葉を口にしたレヴィスに、今度は女性がため息をついた。

「……まぁ、いいわ。気が済んだなら部屋に戻ってちょうだい。うろうろしてるのをフウマ兄様に見られたらまた小言を言われるわよ」

「……はい」

 釘を指すような女性の言葉にレヴィスは頷くと緩慢な動きで歩き出す。そんな青年を黙って見ていた女性だが、再びため息をついてから後を追った。

 ──……あれから三日。フロートは眠ったままだった。



「……おー、やっと戻ってきたなー。待ちくたびれたぞー」

 ベッドに腰かけて足をパタパタ振っているラピスを、レヴィスは何も言わず冷ややかな目で一瞥する。そんな青年とは対称的にラピスはへらっと笑っていた。

「何だよー、まだ怒ってるのかー?」

「はい」

 冷淡な表情を崩さぬままレヴィスは短く言葉を返す。


 ミストゲートを使ってフロートの故郷であるユバルに着いたのが二日前のこと。

 全く目覚める気配のないフロートを心配していたレヴィスに対して、ラピスはへらへらと笑いながら言った。

「しばらくは起きないと思うぞー。フロート自身の回復もそうだけどー、お前の法力が馴染むにはもう少し時間が必要だからなー」

「……え?」

 訝しげに眉を潜めたレヴィスに向かい、やはりラピスは笑ったままだった。

「お前自分の力が人間と全く同じだと思ってるのかー? 四分の一とはいえエルフの血が入ってるんだぞー。一緒な訳ないじゃんー。フロートの中では今人間の法力とエルフの法力が混ざって融合してる最中なんだー。それが終わるまでは起きないよー」

「……な……」

 あっけらかんとした態度で告げられた事実にレヴィスは絶句する。

 何だそれは、聞いてない。

 ……いや、それならラピスがフロートに対して法力共有ホーリーシェアを使った時にだって影響が出るはずだ。ラピスはエルフとドワーフの混血で、自分よりも強い力を持っているのだから。

「あー、判ってると思うけどー。ボクが使ったシェアは『法力を共有する』であって『法力を分け与える』じゃないからー、使いすぎで法力が空っぽになることはあっても体に影響はないよー」

 レヴィスが抱いた疑問を口にする前にラピスは髪の毛をいじりながらさらりと答える。

「あとお前ー、 フロートから法力をもらったことがあるような会話してたよなー? 不思議に思ってるかもしれないけどお前に影響が出ないのは当たり前ー。お前は人間の血も引き継いでるからだよー」

「……そ、それが判ってて……何で、俺に法力を分けさせたんですか!」

 言葉が切れた瞬間レヴィスは声を荒げてラピスに詰め寄るが、当の本人は態度を変えずに言葉を続けた。

「あのまま空っぽの状態で放っておく方が危なかったんだよー。でもボクが分けたらお前が分けた時以上にフロートに負担がかかるからなー。説明してたらお前贈与ギフト使わなかっただろー? だから言わなかったー」

「…………」

 至極もっともな言い分にレヴィスは何も言えずに黙り込む。


 一方、少し離れた所で部下に指示を出していたフウマがレヴィス達の所へと戻ってくる。その後ろには彼と同じような、淡い茶髪を横で結えた女性が控えていた。

「ドルトマ先生、申し訳ありませんが父が戻るのはもう少しかかりそうです。それまでお待ちいただけますか?」

 申し訳なさそうな表情を浮かべているフウマに対し、ラピスは子どもっぽく笑った。

「こちらもいきなり来た訳ですからそこは仕方ないですねー。当主様が戻るまで御厄介になりますー」

「有難うございます。皆さんがこちらに滞在の間、妹のフェルトがお世話を致しますので何かあれば遠慮なく仰って下さい」

「フェルト=ティルルと申します。……いつも妹がお世話になっております」

 お辞儀をしながら名乗った女性からは強い魔力と法力を感じる。横にいるフウマからはそれ以上の力を感じており、レヴィスの表情が少し引き締まった。

 法力に限っていえばフロートのそれに及ばないが、総量でいえばそれ以上かもしれない。

(これが、あいつが劣等感を抱いていた家族あいてか……)

 あの時見たフロートの横顔を思い出し、レヴィスは少し拳に力を入れながら二人を見ていた。


 そんな視線に気付いたのか、フウマが顔をふっとそちらの方へ向ける──その目は初めて会った時よりも鋭く、レヴィスは少し気圧されて息を呑む。

 一方、フウマはすぐに目を逸らしてラピスに視線を落とした。

「ところで先程の話だと……妹はしばらく目覚めない、という事で宜しいですか?」

「あー、はいー。そうですねー」

「判りました。それでは僕はこれで……フェルト、皆さんを部屋に案内してくれ」

「はい」

 フェルトの返事を聞いたフウマは一礼をしてから背を向けてその場から去って行く。

「トレヴァンはお兄さんに随分と嫌われたなー?」

「…………」

 ニヤニヤと楽しそうに笑っているラピスを半分無視しながら、レヴィスは離れて行くフウマの背中をじっと見ているしか出来なかった。


「……確かにお前とフロートの兄さんとの仲が悪くなってるのは少し申し訳ないかなー、と思うけどー。あの時はああしなきゃフロートはもっと悪い状態になってたかもしれないんだからー、いつまでもそんなに怒るなよー」

「…………」

 へらへらと笑っているラピスを睨みつけるように見た後、レヴィスは離れた場所にある椅子に腰かけて背を向ける。

「こら、トレヴァン! ラピスに対してその態度は何だ!」

 いつの間にか部屋の中にいたカルロが眉をつり上げて叱責の言葉を口にする。一方、それに答えたのはラピスだった。

「あはー、ちょっと黙ってろカルロー。てかお前に用はないから出てってくれないかなー? はっきり言って邪魔ー」

「……くぅ……相変わらずつれない言葉……でも、いつかはデレてくれると信じてるよ!」

「あー、すっごいウザイー。早く出てけー」

 いつものようにニコニコ笑ってはいるのだが、言葉と口調は今までで一番辛辣である。しかしカルロは慣れているのか特段気にした様子もなく「ラピス、また後でね!」と爽やかな笑顔で去っていった。

 ……アカデミーでの印象はそこそこ良い先生だったのだが……ラピスの前だけこうなるのか、ラピスが絡むとこうなるのかは判らないが、どちらにせよレヴィスの中でカルロの評価はだだ下がりである。

 カルロが出ていって静かになった一瞬、ラピスのついた小さなため息が耳に入り。こっちはこっちで大変なのだろうと少し同情した。とはいえ、彼女に対する苛立ちが消える訳ではなかったが。


「……むー……」

 口を開く気配のないレヴィスにラピスは若干不服そうに頬を膨らませる。

 背を向けていても、不満に思っているであろうと判る声を聞いたレヴィスは息を吐き、やや強引に気持ちを抑えてから後ろを振り返った。

「……先生はずっと『フロートに法力を分けないと危なかった』と言ってますが……もう少し待てばフウマさんが来るのを知っていたんですよね? なら、彼に法力を分けさせれば……フロートはもっと早く回復したんじゃないですか?」

 ようやく口を開いた青年にラピスは表情を緩めてふっと笑う。

「トレヴァンは何か勘違いしてないかなー? そもそも贈与ギフト共有シェアはエルフにしか伝わってない術だぞー。アカデミーで習ったかー? 習ってないだろー? ただの人間である兄さんが使える訳ないじゃんー」

「…………」

 ぐっと言葉に詰まり、再び黙ってしまったレヴィスを見ながら、ラピスはけらけらと笑っている。

「それにフロートにはエルフの法力に慣れてもらう必要があったからなー。仮に兄さんが術を使えたとしてもお前にやらせたよー」

「な……」

「あー、言っておくけどー。提案をしたのはボクだけど元々の素案をたてたのはボクじゃないからー。クレームはそっちに言ってくれー」

 目を細めて厳しい表情を浮かべたレヴィスへラピスはパタパタと右手を振った後、その視線をドアの方へと移す。


「ちょうど本人が来たみたいだしー。こっからは三人で話そうかー」

「え?」

 その言葉にレヴィスが眉を潜めた瞬間、コンコンとドアをノックする音が部屋に響いた。


「……失礼します。お連れ様が到着しました」

 ノックの後に聞こえてきたフェルトの声に、ラピスはへらっと笑いながら返事をする。

「有難うございますー。部屋にどうぞー」

「失礼します」

 ゆっくりとドアが開き、フェルトに連れられて中に入ってきたのは二十代後半の若い男だった。深い緑の髪に淡い碧眼で少し細身。しかし体付きはしっかりしていて鍛えているのが判る。

 ──そして、その男を見たレヴィスの表情が一瞬で変わった。


「何で……ここに……」

 柔らかく笑う男をやや呆然とした様子でレヴィスは見ていた。

「久しぶりだね、レヴィス。試験は順調そうで何よりだ」

「……ラマ様……」

 擦れ気味に呟かれた声に、ラマと呼ばれた男は少し困ったように笑った。

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