馬車の中で

「……ふう」

 シルヴィ達と別れてペルティガに向かう馬車の中、フロートは大きく息をついた。

「今日は随分とニヤニヤしてたな、お前の友達。ガスケットの奴も時々ニヤついてたし」

「あー……うん、そうねー……」

 レヴィスの言葉に視線を泳がせながら返事をしたフロートの声は尻すぼみに小さい。

 ……あの後、レヴィスと合流して食事したのだが、シルヴィは終始ニヤニヤと笑ってこちらを見ていたし、ロマーナも自分達を見て時折ふっと生暖かい笑みを浮かべていたので、理由を知らないレヴィスが不審に思うのも無理はない。まあ、そのおかげでレヴィスとの気まずさが和らいだところもあるのだが……そうは言ってもフロートに正直にそれを話すつもりはなく、話す必要がない間はとにかく誤魔化そうと決めていた。


「朝会ったレヴィス君が可愛かったってシルヴィは騒いでいたし……ロマーナさんもアカデミーではあんな態度のレヴィス君を見た事がないって言ってたから、物珍しさもあったんじゃないかな」

「………………」

 それを聞いたレヴィスの表情が微妙なものへと変わるが、それ以上は何も言わずに椅子に深く座る。

 話が途切れたのを見計らい、フロートはレヴィスへ声をかけた。

「それはそうと、レヴィス君……あまり寝ていないんだし、ミストゲートに着くまで少し寝たら?」

 目の下のくまを見ながら話す少女に、レヴィスは黙ったまま視線を返す。そこには呆れの色が浮かんでいたが、フロートが言葉を発するより先に青年が口を開いた。

「お前が言うな。俺より眠そうな顔してるくせに」

 贔屓目に見ても自分よりくまが濃く、少し顔色も悪い少女に向かって言葉を飛ばすけれど、当の本人は表情を崩して笑っている。

「私はまあ、その前にぐっすり寝てたから」

「その理屈なら俺の方が寝ていた時間が長いぞ。良いからお前が寝てろ。着いたら起こしてやる」

 フロートがしれっと流そうとした言葉を切り返しながら、レヴィスは周囲を見回した。


「……どうせこの馬車、俺ら以外に乗客いないんだから」

「おーいあんちゃん、聞こえてんぞー」

 ぼそっと呟いた声に対し、御者の男が間を置かず言葉を返してきた。

「そもそも冬に向かうこの時期に万年氷河のペルティガに行こうなんて物好きはそういないんだよ。定期便も止まって、利用客がいる時だけの臨時便しかないんだからな」

「本当にすみません、馬車を動かしてもらって」

 若干語気を強めた御者の男の言葉にフロートは素直に謝るが、男はガハハと声を上げて笑った。

「別に謝る必要はねぇよ、お嬢ちゃん! オレも仕事して少しは稼がねぇといけねぇからな! この時期は稼ぎが減るんで逆に助かったってもんよ。それよりもお前ら、寝不足でペルティガに向かうのは死にに行くようなもんだぜ? 着いたら起こしてやるから二人とも寝ときな!」

 豪快に笑う御者の言葉にフロートは小さく笑い、それからレヴィスへ顔を向けた。

「お言葉に甘えて少し寝ようか。……レヴィス君、もし乗り物酔いで寝られないなら法術で……」

「……人の事は良いから、お前が寝ろ」

 腰の杖に手を伸ばしかけたフロートの額にレヴィスが左手を当てる。

 その直後、強い眠気がフロートを襲い、一瞬意識が遠のいてぐらりと身体が揺れた。

「……レヴィス君、それ、ずるい……」

「だからお前が言うな。大体お前、今同じ事しようとしただろ」

 以前よりも強い眠気に非難の声をあげようとしたフロートだが意識を保てず、言葉は途切れてやがて寝息に変わる。レヴィスは完全に寝入った少女に毛布をかけたあと、バランスを崩して倒れないように自らの肩でフロートの頭を支え、小さく息をついてから目を閉じた。


「……なあ、あんちゃん」

 しばらくして、御者の男が呼びかけているのに気付いたレヴィスは目を開けて「はい」と短く言葉を返す。

 御者台と座席の間は大部分に幕が張られているため姿は見えないが、男の声はガタゴトと揺れる中でもよく通る声をしていた。

「あんちゃんすげぇなぁ。一瞬で嬢ちゃんを眠らせるなんて」

「……別にすごくないですよ。今のは本来の術の五分の一くらいの効果しかなくて……対象が眠気を伴っていなけりゃ効果ないですから。睡眠導入剤みたいなものです」

 背もたれに身体を預けながら話すレヴィスに対し、御者の男は感嘆の声を漏らす。

「謙遜するねぇ。でも睡眠導入剤って事は、睡眠の術とは違って何かあったらすぐ目が覚めるのかい?」

「そうですね。普通に寝ている時よりは起きにくいですけど、それでも大きい音だったり強い衝撃を受ければ目覚めます」

「何だ、そうなのかい」

 どこかつまらなさそうな声にレヴィスが首を傾げていると、笑い声と共に御者の男が言葉を続けた。

「いやな、てっきり寝てる嬢ちゃんにアレコレするつもりなのかと思ったんだが、すぐ起きる術じゃ出来ねぇなと思って」

「……そんな犯罪行為をする訳ないでしょうが」

「だよなー! 大体あんちゃん、そんな度胸なさそうだし!」

「………………」

 ゲラゲラ笑いながら話す御者の男にレヴィスはイラっとするが、それに何かを返す事はしない。……ただ、すぐ横でこちらにもたれかかり、すやすやと寝息をたてているフロートに一瞬視線を落として――小さく首を横に振った後、フロートにかからないようにしつつ、毛布を頭から被って目を閉じる。


「……あれ、あんちゃん? 寝ちまった?」

 静かになった荷台へ御者の男が問い掛けの言葉を投げかけたが返答はなく、ただガタゴトと揺れる音だけが響いていた。

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