ごちそうさま

「…………」

 レヴィスは部屋の中にいた少女の様子を窺うように見ていたが、大きく息を吐いてからドアをゆっくりと閉める。

 しばらく背を向けて動かなかったレヴィスは再び息をついてから振り返り、フロートのすぐ近くまでやってきて口を開いた。

「……昨日はきつい言い方して悪かった」

 視線を逸らしたまま、謝罪を口にしてレヴィスが差し出してきた小さな箱をフロートは受け取る。

「昨日の詫びだ。好みが判らなかったから適当にいくつか選んである。多いならあの二人と分けて食べてくれ」

「……見ても良い?」

 ふわりと漂う匂いに何となく察しはついていたが、フロートはレヴィスに確認を取る。

 やはり視線を合わせず頷きで返事をしてきた青年を見ながら、フロートはテーブルに箱を置いて蓋を開けた。

 ――中に入っていたのは色々な種類のケーキだった。

 定番のイチゴのショートケーキにチョコガナッシュ、フルーツタルトなど……どれも美味しそうで、箱の中を見たフロートの動きが止まる。……とはいえ、すぐに我に返って顔を上げたが。


「有難う。逆に気を使わせちゃったね。私も昨日はごめんなさい。愚痴るような言い方しちゃって」

「…………」

 いつも通りに笑顔を浮かべる少女にレヴィスは眉を僅かに寄せて、ようやく相手の方を見た。一方、フロートは微笑んだまま言葉を続ける。

「あの後、自分でも鬱陶しい事を言っちゃったなって思って……気をつけるね」

「――お前、全然判ってないんだな」

「え……」

 昨日よりも厳しい表情と言葉を向けてくるレヴィスにフロートの顔から笑みが消えた。


 レヴィスは苛立った様子でがしがしと自分の頭を乱暴に掻いて。……それから小さく息を漏らした後、おもむろにフロートの頭へ手を伸ばし──先程自身にやっていたように、わしわしと髪の毛を掻きだす。

「え、ちょ……レヴィス君!?」

 予想していなかったレヴィスの行動にフロートは驚き、慌ててそれを止めようとするが動く手は止まらない。フロートの頭が程良くぼさぼさになったところでようやくレヴィスは手を離した。


「……いきなり何するの」

 乱れた髪を両手で整えながら不満を表情に出して睨みつけてくる少女に対し、青年はどこか満足そうな顔で小さく笑みを零す。

「それでいい」

「は?」

 その言葉にフロートは眉を潜めて目の前の相手を見るが、不意に視界が遮られて姿を見失った。


 ――同時に柔らかい温もりと、ふわりと優しい匂いが身体を包む。


 フロートはぽかんとしていたが、自分の置かれている状況をすぐに理解して顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせた。

 一方、レヴィスはフロートの頭を胸に押し当てたまま小さく呟く。

「昨日みたいな、気持ちと合わない行動はするな。無理に笑わなくていい。気持ちを誤魔化してズレが当たり前になると……そのうちマヒして何も判らなくなるぞ」

「え……」

 戸惑いの表情でこちらを見上げてくるフロートに対し、レヴィスは言葉を続けた。


「昨日のは別に責めるつもりで言ったんじゃない。……ただ、お前が随分と自分を卑下するような言い方をしたから少し苛ついただけだ」

「…………」

 目は合わせないが真っ直ぐ言葉を投げてくる青年をフロートは黙って見ていた。沈黙が二人の間に流れるが、それはレヴィスが口を開いた事ですぐに破られる。

「お前は自分が何も出来ないって思っているようだが、少なくとも俺はお前に二回助けられてる。先日の一件と船の上で、だ」

 言葉が途切れたのに合わせて腕の力が緩み、フロートは少し身体を離してレヴィスを見上げる。

 こちらを見下ろす青年の表情はいつもよりも少しだけ柔らかくて、何だか気恥ずかしくなったフロートは俯いて視線を反らした。

「法力だけだろうと、お前は充分すごいから自信を持て。それでも自信が持てないなら……少しだけなら支えてやるから俺を頼れ」

 途中、再び腕に力を込めたレヴィスにフロートは何も言わず身を任せている。

 心地よい温もりに包まれて落ち着きを感じる一方で、鼓動は少しずつ速くなっていく。

 相手の胸に額を押し当て、言葉を紡ごうとフロートは口を開いた――その瞬間。


 ……カタン。


 洗面所の方から聞こえた小さな音が部屋に響き、フロートはビクッと身体を震わせ、レヴィスは顔を上げてそちらの方を見た。

「……何だ?」

 訝しむ表情を浮かべている青年の腕の中、そこにいる人物の事を思い出したフロートは内心で非常に慌てていた。

 頭からすっかり抜けていたが、洗面所にはシルヴィとロマーナがいるのだ。ちらりとそちらに視線を向ければ僅かに開いているドア。……間違いなく二人に見られている。

 レヴィスに気付かれると説明が面倒だし、かといって二人の前でこのままの体勢でいる訳にもいかない。……今更だけれど。

 そうなれば一番楽なのは――レヴィスを部屋から出す事だ。


 フロートはそう考えをまとめ、洗面所の方へ顔を向けたままのレヴィスに声をかける。

 その呼びかけに視線と意識を眼下に移した青年に対して、フロートは動揺を抑えてふわりと微笑んだ。

「さっき置いた小瓶が倒れたのかも。後で直しておくわ。……それより有難う。レヴィス君にそう言ってもらえるとは思ってなかったから……正直、驚いたけど嬉しかった」

 若干苦しいが誤魔化しの言葉を述べた後、さっと話題を切り替えてお礼を口にする。

 ……これは、嘘じゃない。

 頬を少し染め、はにかんだ笑みで見上げてくるフロートにレヴィスも柔らかく笑みを返した後で腕を解き、身を引いて距離を置いた。


 ……離れる瞬間、温もりが名残惜しくて。少し寂しいと思ってしまった自分に若干戸惑いつつもフロートはレヴィスに笑みを向ける。


「シルヴィ達も心配してたし……二人を探してご飯食べに行かない?」

「……ああ、そうだな」

 提案にあっさりと乗った青年に対し、笑顔を向けたままで少女の言葉は続いた。

「準備出来たらすぐ行くから、一階のロビーで待っていてくれる?」

「判った」

 これまでも出かける前に準備で少し待っていてもらう事が多かったからか、特に怪しまれる事もなくレヴィスは言葉をそのまま受け取って了承する。フロートは胸の内でほっと息をつき、レヴィスが出て行くのを待って――部屋のドアが閉まり、足音がある程度離れたところで。

 フロートは足早に洗面所に向かうと僅かに開いていたドアを掴んで勢いよく開け放った。


 そこにいたのは予想通り、ニヤニヤと楽しそうな顔で笑っているシルヴィと申し訳なさそうな表情をしながらも口元が緩んでいるロマーナの姿だった。

 シルヴィは心底嬉しそうな笑顔でフロートの肩を叩いた後、ぐっと親指を立てて前に突き出した。

「流石フロート! 予想以上だったよ! ごちそうさま!」

「うう……友達にああいうところ見られるとか……何かすっごく恥ずかしい……」

 壁に手を突き、顔を赤くしたままフロートはがっくりと項垂れる。そんな少女に対しロマーナも肩に手を置いた。

「ティルルさんには悪いけど、本当に珍しいもの見せてもらったわ。……クラスの皆に話したらどんな顔するかしら」

「言わないでよ!? お願いだから絶対言わないでよ!?」

 小さく呟かれた言葉にフロートはバッと顔を上げて必死に懇願するが、少女二人は楽しそうにはしゃいでいる。

「いやでも、レヴィス君の相手がフロートなら皆納得してくれるんじゃない?」

「トレヴァンのファンはともかく、ティルルさんのファンは納得しないんじゃない? 何であんな無愛想な男が、とか言って」

「いやいや。顔も実力も上の相手に勝とうなんて思わないでしょー」

「そういう場合、性格は負けない! とか言いそうじゃない」

「いやいやいや! 何言ってるのロマーナ! さっきのレヴィス君を見たでしょ! 少なくともアカデミーでフロートに寄ってくる男共は性格においても勝てない! 断言出来る!」

「言い切るのね……まあ、いつもと違ってて少しドキッとしたけど」

「でっしょー!?」

「ねえ、本当にここでの事、言わないでよ!?」

 好き勝手に会話を続ける二人に、フロートが飛ばす言葉は空しく流れていったのだった。


 ――感謝祭が終わって、いくつか空いた部屋の掃除を終えたルークは鼻歌を歌いながら階段を降りていく。

 もう少しで一階に辿り着くというところで、ロビーに設置された椅子に誰かが座っているのに気付いた。そこにいたレヴィスは俯き、両手で顔を覆った状態で背中を丸めている。……もしかして、また具合が悪くなったのか? そう思ったルークは足を速めてそちらの方へと向かった。

「えっと、トレヴァン君? 大丈夫? どうかしたのかい?」

「…………」

 心配そうなルークの問いかけにレヴィスは何も答えない。

 そんなレヴィスにルークが近付き、様子を見ようと顔を覗き込んだ一瞬。その動きが止まった。


「えーと……何だろ、青春かな?」

「……その言い方は止めてくれませんか……」

 ルークの呟きに小さく言葉を返したレヴィスの顔は覆われていたが、その手の隙間から赤みが見えていた。

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