イェルーダ到着

 イェルーダの港町、クォスト。

 長い船旅から解放された乗客が地面を踏みしめる中、フロートはミーナやマユと挨拶を交わしていた。


「今回は本当に有難うございました」

「いやいや、それはこっちの台詞だって」

 深く頭を下げてきた後輩にミーナはパタパタと手を振り、それからフロートの肩を軽く叩く。

「あの船を守ったのはアンタなんだからもっと胸張って堂々としなよ」

 にかっと笑うミーナに対し、フロートは少し困ったようにしつつも照れ笑いを浮かべた。

「法術士は守るのが仕事ですから。それにミーナさん達がいなかったら撃退出来なかったでしょうし、本当に助かりました」

「なーに、卒業生としては後輩に負けてらんないしね! ……ってか、おい! お前はもう少し頑張れよ! とりあえず船酔いするのを治せ!」

「…………」

 離れた所に立っていたレヴィスは投げられた言葉に一瞥を返しただけで何も言わない。そんなレヴィスの様子を見たミーナの額にピキッと青筋が浮かんだ。

「……アイツ、本っ当に可愛くねえなあ……」

「す、すみません! 態度悪くて!」

「……別に貴女が謝ることはないと思うけど」

 ペコペコと頭を下げているフロートに苦笑いしつつ、マユはじっと少女を見つめている。


「それより貴女、アカデミーを卒業したらどうするか決めてるの?」

「え?」

 きょとんとした顔を向けてきた少女へマユは口元に笑みを浮かべて視線を返す。

「もし決まってないなら、私達と組んでみない?」

「……え」

「あ、それ良いな! ちょうど回復役が欲しいって思ってたんだ! フロートなら上手く付き合えそうだし! な、組もうぜ!」

「え……いや、その……」

 ミーナの勢いに押されつつも、フロートは申し訳なさそうに笑いながら「すみません」と頭を下げた。

「卒業したら実家の仕事を手伝う事になってるんです。アカデミーに入ったのも、家の手伝いをしたかったからなので……」

「家の手伝い?」

「はい」

「術者としてあれだけレベルが高いのに? 勿体なくね?」

「え、えーと……」

「こら、ミーナ。それくらいにしなさい。ごめんなさいね。決まってるなら別に良いの」

 詰め寄られて困り果てた表情のフロートからミーナを引き剥がし、マユは優しく微笑む。

「……それなら、どこかでまた会う事があったら宜しくね?」

「はい。私の実家、ユバルにあるので……もし見かけたら声かけて下さい。お手伝い出来る事はします」

「そうするわ」

 にこっと微笑むマユにフロートも同じように微笑みを返す。


 そしてフロートに大きく手を振ってその場を後にした二人だが、ある程度離れたところでミーナが不服そうに口を尖らせ、隣にいるマユに顔を向けた。

「なんで邪魔したんだよ、マユ。アイツは家の手伝いで埋もれさせるには勿体ない術者だぞ。普通なら宮廷術者になったっておかしくないレベルの……」

「本人がそうするって決めてるならどうしようもないでしょ。それに……ユバル出身って言ってたわよね。有能な法術士なのも納得だわ」

「へ?」

 不思議そうな表情になったミーナに対し、マユの顔に浮かんだのは呆れと冷ややかな視線だ。

「ユバルは神聖国家だけあって有能な法術士が多い国よ。そこの出身ならあれだけの実力を持っていてもおかしくないし……何よりあの子の名字……『ティルル』って言ってたでしょ」

「え? あー。そうだっけ…………って、あれ!?」

「やっと気付いた? ユバルに行く事があってもあの子に会うのは難しいかもしれないわね」

 間抜けな声を上げ立ち止まった相方を置いてマユは少しだけ振り返り――小さく息をついて再び正面を向くと歩みを進め、それからは一度も振り返らずに港を後にした。


「…………」

 視界からミーナとマユが見えなくなってからフロートは大きく息をついた。……二人がいる間は何とか耐えていたが、気が抜けたのか足に力が入らない。

 ふらりと身体が揺れたところで、いつの間にか近くにやってきていたレヴィスに腕を取られて支えられ、何とか倒れるのだけは免れた。

「……無理ばっかしやがって」

「あはは……流石にあれ以上、心配させる訳にもいかないし……有難う」

 腕を掴んだまま日差しの弱い方へ引っ張って行くレヴィスにお礼を言いつつ、フロートはふらふらとした足取りで歩いて行く。

 建物の影になっているところにフロートを座らせて、自身もその隣に腰を下ろしたレヴィスは真っ直ぐ正面を見たまま口を開いた。

「体調がある程度整うまで休んでろ。本当なら一週間くらいは動けない状態なんだからな」

「……うん」

 建物の壁に身体を預けたフロートは息をついて空を見上げる。


 船着き場から少し離れただけで港独特の喧騒は遠く、打ち寄せる波の音が静かに響く。

 抜けるような青空の下、潮の香りと海風が髪を揺らすのを感じながらフロートは目を閉じ――それから、ふっと眼を開けて横にいるレヴィスの方へ視線を向けた。

 レヴィスは両肘を膝についた前屈みの体勢で真っ直ぐ海を見ている。

 ……さらさらと風に揺れる深い暗赤色の髪は柔らかそうで、その横顔も端正で整っていて。改めてアカデミーの女生徒から密かな人気を集めている事に納得しながらフロートは再び目を閉じた。


 フロートが倒れ、その後起きてからのレヴィスの態度は大きく変化していた。

 口数が少ないのは変わらないけれど、フロートに対しての態度や言動は軟化していて気遣うような行動も見せる。もちろん単純に体調不良の人間にまで無関心な態度を取るような男ではないだけかもしれないが、それでもこう一気に態度が変わると印象だって変わるというものだ。

 ……こういうの何て言ったっけ。

 昔、友達数人と会話していて。その中の一人が興奮気味に話していた言葉をフロートは思い出す。


「……ギャップ萌え……じゃない、ツンデレ……?」

「……は?」

「あ、何でもない。独り言」

 ポツリと漏らした呟きが聞き取れなかったらしいレヴィスが顔を向けてきたので、フロートは少し慌てて誤魔化しながら立ち上がった。

「そろそろ町の方に行こうか。レヴィス君もちゃんと休んだ方がいいだろうし……宿でゆっくりしましょう」

 船酔いで食事をほとんど摂っていなかったレヴィスの顔色はあまり良くない。それを心配して発した言葉だったが、当の本人は若干眉を潜めて視線を返してくる。

「……人のことより自分の心配をしろ」

 そう言って少し目を細めた青年に対し、フロートはにっこりと微笑んだ。

「私もここでずっと座っているより、宿屋でゆっくりしたいから」

「……ならいいが」

 まだ目には若干疑いの色が残っていたがそれ以上は何か言う事もなく、立ち上がると先立って歩き出す。その後を追いかけるように隣を歩きながらフロートはレヴィスを見上げた。

「レヴィス君、何か食べたいものある?」

「別に。胃に負担がかからない食べ物なら何でもいい」

「そっか、判った」

 レヴィスの言葉に笑顔を返してフロートは前を向き歩いていく。


 港から離れ少し行くと屋台など店が建ち並ぶ街並みへと周りの風景が変わる。屋台から漂う美味しそうな食べ物の香りや店先に並ぶ新鮮な魚介類、そして元気な店員の呼び声。

 港町ならではの活気に押されつつ、フロートはきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた。

 ……残念ながら、屋台で売っている食べ物は串焼きとか揚げ物などでとても胃に優しい食べ物とはいえない。

 そんな中で甘い香りを漂わせるクレープとフレッシュジュースの屋台を見つけて女の子としては心惹かれる気持ちもあったが……これも胃には優しくないだろう。

 フロートは若干後ろ髪を引かれつつもクレープの屋台を通り過ぎ。

 食堂兼宿屋に辿り着いた二人はそのままそこで一日を終えた。

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