劣等感
その日の夜、夕食の時間になっても部屋から出て来なかったフロートを心配したシルヴィとロマーナが食事を持って部屋を訪れていた。
「ごめんね、二人とも。気を使わせちゃって……」
申し訳なさそうな顔でサンドウィッチに口をつけるフロートに、シルヴィはパタパタと手を振って笑う。
「そんなの気にしないでいいよー。むしろレヴィス君の寝顔が見れてラッキー! な感じ?」
「……お願いだからもう少し自重して」
眠っているレヴィスを見ながら表情を崩しているシルヴィに呆れの視線を向けた後、ロマーナはフロートの方を見た。
「でも二人が先生達に担がれて戻って来た時は流石に驚いたわ。大事が無くて本当に良かった」
「……うん」
優しい笑みを浮かべているロマーナの言葉に微笑みを返しつつ、レヴィスに視線を移したフロートは小さく息をつく。少女のそんな様子を見た二人は顔を見合わせた後、フロートを安心させようと明るく笑って声をかけた。
「そんな心配することないって! アリーシャ先生が『寝てるだけだから問題ない』って言ってたし! そのうち目を覚ますよ!」
「シルヴィの言う通りよ。起きたらどうせいつも通り無愛想な態度を取るんだから、そんな気を回す事ないわ」
「……っていうか、今ならちょっとやそっとじゃ起きないんだよね……だったら少しくらい触っても……」
「そうね…………じゃないっ! どさくさに紛れて何をしようとしてるの!」
ロマーナは同調しかけたがすぐに我に返り、手をわきわきさせながらレヴィスに近付こうとしたシルヴィを引っ張って止める。
引きとめられたシルヴィは不満そうに口を尖らせてロマーナを振り返った。
「えー。いいじゃん、ちょっとくらいー」
「駄目!」
「ロマーナのケチー」
「ケチじゃない!」
そんな二人のやりとりを見ていたフロートはぷっと吹き出して楽しそうに笑う。
そうしてひとしきり笑った後、ふわりと柔らかい笑みを浮かべて二人へ視線を移した。
「……二人とも有難う。もう大丈夫だから、二人も部屋で休んで? 今日は朝からずっと感謝祭を回って疲れてるでしょう」
フロート達は眠っていたが、今日は感謝祭の最終日でシルヴィとロマーナはずっとそれに参加していたのである。しかもただ参加するのではなく、試験の一環で情報をまとめながらの参加だ。疲れていない訳がない。
そのことを含んだフロートの言葉を聞き、二人は再び顔を見合わせた。
「私も今日はもう寝るから。明日、感謝祭の話を詳しく聞かせてもらえると嬉しいな」
シルヴィは何か言おうとして口を開きかけ――しかしそれを呑みこみ、にっこりと笑ってフロートに向き直った。
「……判った。じゃあ今日はここらでお暇するね」
「ティルルさんもちゃんと休むのよ」
「うん、有難う。お休みなさい」
微笑みながら二人を送り出し、ドアを閉めたフロートは小さくため息を漏らす。
「……やっと出て行ったか」
振り返った瞬間、部屋に響いた低い声にフロートはびくっと体を震わせた。
声の聞こえた方を見れば、額を抑えながらレヴィスがゆっくりと体を起こしているところだった。慌ててフロートはレヴィスの元へと駆け寄る。
「起きてたの?」
「少し前からな。あいつらがいたから寝たふりしてた……近付いてきた時は流石にどうしようかと思ったが」
起き抜けのぼんやりとした瞳でレヴィスはフロートの方を向く。
「お前は体、大丈夫か? かなり法力を取ったからきつかっただろ」
「私はもう平気。たっぷり眠って大方回復してるから」
「……そうか。なら良い」
安心したように小さく笑った後、レヴィスは体を動かしてベッドの縁に腰掛ける。それから近くに置いてあった水差しから水をコップに注ぎ、一気に飲み干して息をついた。
「……先生は?」
「もう帰ったわ。すぐ戻らないといけないって言って……」
「ああ……試験とはいえやり過ぎてるし、そうなるよな」
少し距離を置き隣に座るフロートへ言葉を返してきたレヴィスの表情は少し残念そうだった。
しかし、ため息混じりに首を横に振ると自分を納得させるように呟きを漏らす。
「……まあ、いい。アカデミーに戻ったら話を聞きに行こう」
「……お母さんの事? それとも……他の事?」
「え?」
俯き加減に言葉を発したフロートに対して、レヴィスは驚き少し目を見開いたが、すぐに合点がいったらしく「ああ」と短く声を漏らした。
「先生から聞いたか、俺の事」
「……ごめん」
「別に良い」
申し訳なさそうに謝ってきたフロートを見ながらレヴィスは自嘲気味に笑った。
「どうせ先生がペラペラしゃべったんだろ。……それより、何て言ってた?」
「エルフの血を引いたクォーターだって事と……それと、昔……魔力を暴走させて、国から監視受けてるって……」
言葉を選びつつの返答を聞いた青年は若干呆れの色を強くしながら苦笑する。
「……全部ぶっちゃけたのか……一応、監視対象だっていうのは機密のはずなんだけどな」
それに対しフロートが不思議そうな表情で僅かに首を傾げたため、レヴィスは苦笑いしたまま言葉を続けた。
「そもそもエルフの血を継いだ人間っていうのはそう数がいる訳じゃない。本来ならエルフ側が匿って人間社会に出さないんだ。実際母さんもエルフ集落に住んでいたし……まあ、母さんはエルフ寄りの体質だったからっていうのもあるんだろうが……魔力が暴走するまでは俺と妹もそこに住んでいたからな」
「……そうなんだ」
「ああ」
そこでレヴィスは言葉を切り、小さく笑ってフロートに向き直る。
「……こんな奴と試験のペアを組まされて、悪いな」
自嘲を含んだ表情を浮かべている青年の発言に少女は眉を潜めて僅かに目を細め。小さく息をついてから首を横に振った。
「悪いなんて思ってないよ。……むしろ話を聞いて、首席候補同士でペア組ませた理由が判った気がする」
しばし間を置き、フロートは一瞬目を閉じて――それから、いつものように笑顔をレヴィスへと向けた。
「ちょっと話は逸れちゃうけど……私の家ね、魔術士の家系なの。両親はもちろん、兄様も姉様も魔術士。法力値と魔力値どちらも高くて、ユバルでも名が知れた家柄でね」
笑顔を浮かべてはいるが、どこか諦めを含んだような言葉にレヴィスは違和感を覚える。
しかし、レヴィスがその疑問を口にするより先にフロートの言葉が続いた。
「……だけど、私は法力しか持ってなかった。単純な力の総量でいったら家族と同じくらいだけど……本来なら法力と魔力で均等に分かれているはずの力が、法力だけ。皆と違う自分が何も出来ないような気がして……すごく嫌だった」
「…………」
ふっと遠くを見るような目をしている少女に対してレヴィスは黙ったまま次の言葉を待つ。
一方、フロートは僅かに目を伏せながら自嘲気味に笑っていた。
「自分でいうのも何だけど私、法力値の高さは誰にも負けるつもりはない。……先生達がレヴィス君のペアに私を充てたのは、今回みたいな事があった時の保険なんだと思う」
その言葉に今度はレヴィスが眉を潜めた。表情を変えた青年にフロートは若干困ったように笑いつつ口を開く。
「そんな顔しないでよ」
「だったらそういう事を言うな。今回、俺はお前から法力をもらって魔力を抑えたが……今後は同じ事をするつもりはない」
「え……」
苛立ちを含んだ青年の声にフロートは少し戸惑って言葉を詰まらせる。
レヴィスは鋭い視線を向けており、それを真っ直ぐ受け止められなかったフロートは視線を逸らした。そんな少女を見たレヴィスは小さく息をつきながら立ち上がると、そのまま部屋の出入り口へと向かう。
「……レヴィス君?」
「腹が減ったから何か食べてくる。酒場ならまだ開いているだろうからな。お前は先に寝てろ」
背中を向けたままフロートの呼びかけに答え、レヴィスはドアノブに手をかける。
「…………」
ドアを開き、部屋を出て行く所で足を止めて。レヴィスは振り返らずに口を開いた。
「……俺はお前を保険にするつもりはない。だからお前も自分が……法力値が高いだけの存在みたいな言い方はするな」
呟くようにそう言った後、レヴィスはそのまま部屋のドアを閉める。
「…………」
ドアの閉まる音が響く部屋の中。残されたフロートは俯いたまま、ギュッと拳を握ってしばらく動かなかった。
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