第三章

算数(一)

 ノルセン・ホランクの登場は、ウストレリと七州[デウアルト国]との間のいくさの形を、七州に都合の良い方向へ変えたかに見えたが、そうすんなりとうまくは行かなかった。


 新暦九三二年盛春[五月]のいくさ(※1)は、チノー・アエルツから仕掛けてきたものだったが、散々な目にあった。

 前回のいくさと同じく、双頭の蛇のひと首である、ダウロン兄弟を付け狙ったノルセンは、他の雑兵と変わらぬ容易さで、「あなたに構っている暇はない」と、次兄のアドゲー・ダウロンを討ち取った。ノルセンのいくさ場でのはたらきは、鋭さを増すばかりであった。

 しかしながら、ノルセンの存在に鉄仮面は気が大きくなりすぎていて、言ってしまえば、相手がチノーであることを半ば忘れていた。

 チノーはしっかりとノルセンへの対策を練っていたのだった。


 事のてんまつはこうだ。

 七州側の動き、まずはノルセンにダウロン兄弟を倒させる作戦を見て取ったチノーは、ダウロン兄弟の後方にファルエール・ヴェルヴェルヴァを待機させた。

 ダウロン兄弟にしてみれば、ノルセンを誘い出すにされたわけでおもしろくなかっただろう。チノーという男はそのような非情なこともできる男であったが、それは後から見れば、不十分な判断であったと言わざるを得ない。

 鉄仮面がチノーの立場にあったのなら、有無を言わせず、ヴェルヴェルヴァとダウロン兄弟の三人に、ノルセン殺害を命じただろう。

 チノーも最初はそのようにしようとしたのかもしれない。しかし、ダウロン兄弟も誇り高きいくさびとであったから、末弟のかたきであるノルセンを殺すのに、ヴェルヴェルヴァの助力を仰ぐのを良しとはしなかったにちがいない。もしくは、武名の知られたいくさびと同士にはよくあったことだが、ヴェルヴェルヴァとダウロン兄弟は仲がわるかったのかもしれない。

 しかしだ。それでもチノーは、いくさごとに刀の冴えを増していく、目覚めつつあるノルセンを、このいくさで息の根を止めるために、鉄仮面が上で述べた策を取るべきであった。しかし、それは、ヴェルヴェルヴァやダウロン兄弟と同じく、男であるチノーには、むずかしい話であったのだろうか。鉄仮面は、男の意地など、無用の長物にしか考えていなかったが。


 復讐に燃えるダウロン兄弟の長兄は、ノルセン相手によく戦ったが、腕に傷を負うと、馬でやって来たヴェルヴェルヴァの「弟どのをいくさ場に放置しておくのか」という言葉に動かされて、後方へ下がった。

 ダウロン兄弟との戦いで疲れていたノルセンは、まんこうに気力を充実させているヴェルヴェルヴァを前にして、思わず、「刀を交えるのは次のいくさにしませんか」と口にした。それに対して、ヴェルヴェルヴァは、三又のほこをノルセンに突き出しながら、「はい、そうですかとなるか」と馬上で吠えた。

 ヴェルヴェルヴァのすさまじい一撃を難なく交わしたノルセンであったが、次の瞬間、左肩に痛みが走った。小刀が彼の肩を傷つけながら、後方へ飛んで行った。

 ヴェルヴェルヴァの攻撃を交わしながら、ノルセンが前方を見ると、前のいくさで見た少女が彼に向かって、小刀を投げる構えをしていた。

 「これは……」と言いながら、ヴェルヴェルヴァの鉾と少女の小刀を必死で避けているノルセンに対して、馬上のヴェルヴェルヴァが「恐怖におびえつつ、死ぬがいい。ノルセン」とまた吠えた。

 このとき、ノルセンは死が近づいているのを悟りつつ、しかし、恐怖心はわかなかったそうである。日ごろの修行のたまものであろうか。それとも、もともと彼が死を恐れぬ人間であったのか。それはわからない。

 そのような状況下のノルセンを救ったのは、せきようたいの仲間たちであった。

 「ばか。死ぬだけだぞ」と叫ぶノルセンに対して、「ここでおまえに死なれては困るんだ」「恥をそそいで立派に死んでいったと……」などと言いながら、男たちはヴェルヴェルヴァに群がった。

 しかし、「雑魚ざこがいくら集まろうと雑魚は雑魚」と口にしながら、赤陽隊の面々を蹴散らしながら、ヴェルヴェルヴァはノルセンに馬を近づけた。

 そこで、次々と倒れて行く仲間たちに気を取られたのがいけなかった。後方から飛んできた少女の小刀がノルセンのひたいあてにあたり、彼が仰向けに倒れたところで、ヴェルヴェルヴァの鉾がノルセンの腹に突き刺さった。

 苦痛の声をあげるノルセンに対して、腹から鉾を抜いたイルコアの獅子は、彼に止めを刺すため、そののどもとへ向かって鉾を向けたが、赤陽隊のひとりがノルセンにおおいかぶさり、代わりに殺されることで防いだ。

 思わぬ手強さを見せる赤陽隊の面々を前にして、今日はここまででよいと思ったのか、ヴェルヴェルヴァは、ノルセンが後方に引きずられて行くのを見ながら、「デウアルトの宝刀、ノルセン・ホランクを討ち取ったり。我が名はファルエール・ヴェルヴェルヴァ。ノルセン・サレに仇なす者なり」と呼ばわった。


 ノルセンがヴェルヴェルヴァに討ち取られたという一報がいくさ場を駆け巡ると、それからの戦況は一方的となり、七州側は総崩れとなった。逃げ惑う味方に踏み殺される者が出るなど、さんたんたる状況に陥った。


 いくさに敗れた結果、支配下に置いていた西イルコアは、ウストレリ側に取り戻されてしまった。

 オルコルカンにこもった鉄仮面は、書きようのない鳥籠[宮廷]への報告書の草案を前にして、ため息をついた。金と兵の補充を北の老人[ハエルヌン・スラザーラ]に依頼するという嫌な仕事も残っていた。

 そんな鉄仮面にとって、ゆいいつの希望は、ノルセンが何とか一命をめたことであった。

 鉄仮面にそのようなつもりはなかったはずだが、やはり、ヴェルヴェルヴァとチノーは、軽く見てはいけない相手だった。



※1 新暦九三二年盛春[五月]のいくさ

 後世、この争いは、第六次バナルマデネの戦いと呼ばれる。

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