忘れられていた男(二)

 馬ぞろえをオルコルカンではなく、エルバセータで挙行したいというレヌ・スロの言を、鉄仮面はあっさりと認めた。

 造るのに金をかけすぎたと、みやこで不評であったエルバセータの要塞について、北の老人[ハエルヌン・ブランクーレ]が直接見て、必要な投資であったと判断すれば、鉄仮面は負っていた汚名のひとつをそそぐことができたからだった。

 また、オルコルカンで実施すれば見物人が多く、警備上の問題もあった。七州[デウアルト国]の統治以後、オルコルカンは住人が急増していた。

 レヌ・スロの上申を聞き、鉄仮面はのんにも彼について、上の求めるものがわかる聡い男だと、遠西公[ホラビウ・ハオンセク]に書状を送ってしまった。あとで会ったときに、書状を捨ててくれるように頼んだところ、公は、「はて、そのような書状をわたくしは受け取りましたかな」と言ってくれた。


 エルバセータでの挙行に大反対したのが、じいさん[オヴァルテン・マウロ]だった。

 執務室でその話になると、馬ぞろえとなれば、主だった者と多数の兵がエルバセータへ出向くことになり、七州のイルコア統治の要であるオルコルカンの守りが手薄になる、というのがじいさんの主張であった。

 じいさんの話が終わると、蹴っても蹴っても、鉄仮面の足元にじゃれついていた猫が、急に部屋の外へ消えて行った。その様をみながら、「エルバセータを抜かして、敵がオルコルカンに来ることはない。もし、敵が来たら、老人に指揮をってもらえばいいじゃないか。お手並み拝見といこう」と鉄仮面は笑いながら言った。

「そういう話ではありません。失礼だが、公は軍略というものがわかっておられない。イルコアにいる限り、常に敵の中にいると思っていただかなければ困ります。そもそも、先の近北公をイルコアにお呼びすること自体、今からでも理由をつけて断るべきなのです」

 そのように抑揚なく答えたじいさんに対して、鉄仮面は激高して、「いまさら、そんなことができるわけがないだろう。私はな、オヴァルテン。一度配下に任せた仕事はよほどのことがない限り、その者の好きにさせることにしている。それがその者の栄達につながるからな」と応じた。

 すると、じいさんは、「何かあった時に、ご自分が責任を取らずにすむからでしょう。それに、馬ぞろえの実施場所は、きわめて重要な事柄です。先の近北公がからんでいる話は、どんなさいなことでもきわめて慎重に行うべきと愚考します」と反論してきた。

 それに対して、鉄仮面は手にしていた酒杯をじいさんの頭越しに壁に叩きつけてから、「まさしく、愚考だな」と言い放った。それから、黙り込んで仕事をしていた側近たちに向かって、「おまえたちはどう思うのだ」と怒鳴ったところ、鉄仮面の予想通り、だれもなにも答えなかった。

 その時、「アステレ[・アジョウ]、いる?」と、ノルセン・ホランクが威勢よく部屋の扉を開けたが、真冬のように冷え切っていた室内の空気を察知して、ゆっくりとそのまま扉を閉め、どこかへ行ってしまった。

「あのばかは。女の尻ばかり追いかけて。どいつもこいつも気に食わん」

 鉄仮面がそのように吐き捨てると、じいさんが「小ウアスサの意見も聞きたいところですな。公の考えに賛同してくれるかもしれませんぞ」と口にした。

 それに対して、「別に私はついしょうの徒がほしいわけではないよ」と答えてから、鉄仮面は、思いつくまま、次のように言葉を継いだ。

「もしや、オヴァルテン。おまえは、レヌ・スロが身分低く、遠西州の出だから、やつのことが気に入らないだけではないのか。おまえは貴族さまだからな」

 怒りに任せた鉄仮面の言葉に、めずらしくじいさんも声を荒げた。

「心外きわまりないですな。そこまでおっしゃるのならば、好きになさいませ。馬ぞろえの件については、もう、何も言いません。私は関係ない」

 そう言いながら、席を立ち、部屋から出ようとするじいさんの背中に、鉄仮面は「歩くのがおっくうだから、エルバセータに行きたくないだけだろう」と、重ねて暴言を吐いた。

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