算数(八)

 彼女、アステレ・アジョウも化け物だったらしく、致命傷がなかったためもあって、オルコルカンについてから三日後には、ひとりで立てるようになっていた。

 危ないので、彼女から小刀を取り上げたところ、出てくること、出てくること、小山ができるほどの小刀をアジョウは身に着けていた。


 応接間にて、鉄仮面の前にアジョウが出ると、ぬっとノルセン・ホランクが立ちはだかり、彼女の胸元に手を入れて、小刀を一本取り出した。

 そのことについてノルセンは何も言わず、ただ、自分の手を見ながら、「おっぱい、小っちゃいね」と口にしたので、彼女の平手が彼の頬に飛んだ。その様を見ながら、小刀で刺せばよかったのにと鉄仮面は心底思った。


 「おまえは我々の言葉がわかるらしいな?」と鉄仮面がたずねると、アジョウが答える前に、横からノルセンが、「少しだけ」と口を挟んで来た。

 少しいらいらしながら、鉄仮面が、「おまえは、ウストレリではなくて……、アエスクか。アエスクの人間なのか?」とたずねた。

 すると、アジョウは少しの間、押し黙っていたのち、「わからない。私……、家族、いない。イルコアの東で捨てられていた」と答えた。

 それに対して、「へえ。孤児なんだ。ぼくの母上と同じだね」と微笑みながら、ノルセンがまたしゃしゃり出てきたので、「おまえはすこし黙っていろ」と、鉄仮面は怒鳴った。

 それで黙ると思ったら、ノルセンは怒り出して、「ぼくも混ぜてくださいよ」と訳の分からないことを言ってきたので、それから、しばらくの間、鉄仮面との間で言い争いがつづいた。

 それを無表情で眺めているアジョウに対して、鉄仮面の側近が、「いつもこういうわけではないからな」と、余計なことを口にした。


 鉄仮面の側近になだめられて、ノルセンがアジョウからようやく離れたので、鉄仮面は話をつづけた。

「おまえと[ファルエール・]ヴェルヴェルヴァの関係は?」

「たまに一緒に戦うぐらい。私も、……彼も、[チノー・]アエルツさまに引き立てられた」

「なるほど。おまえを……、最初に拾ったのはアエルツか?」

「ちがう。曲芸団に拾われた」

「それで、おまえの小刀投げの腕を見たアエルツが引き取ったのか?」

 鉄仮面の問いに、うまく答えられないのか、めんどうくさくなったのか、言いたくないことがあったのかはわからないが、アジョウは「だいたい、そんな感じ」と応じた。

 「なるほどね」と鉄仮面が言うと、代わりに側近がアジョウにたずねた。

「先日のいくさで、そちらの左翼の先頭に立っていた者を知っているか。兵の話では、ノルセンに負けずとも劣らない剣の腕の持ち主だったそうだが」

 「そんなやつ、この世にいるもんか」というノルセンの言葉を、場にいる者たちが全員無視する中、「知っている。それはスウラ・クルバハラさま」とアジョウが教えてくれた。

「だれだ。詳しく知りたい」

「私もよくわからない。ただ、皇室に関係があるらしい。あと、とても嫌な方と聞いている。ノルセン・ダウロンどのがお守りを押しつけられていた。かわいそうだった」

 「だからいなかったんだ」というノルセンの言を、皆がまた無視した。

「剣の腕は?」

「木刀だったけど、ファル……、ヴェルヴェルヴァに勝ったのを見た」

 アジョウの言葉に、皆が視線を送り合う中で、「皇族だから手を抜いていたんでしょう」とノルセンが言うと、「だと思う」と優しいアジョウがうなづいた。

 「蛇の頭をひとつ潰したと思ったら、また生えてきたよ。じいさん[オヴァルテン・マウロ]、どうする?」と鉄仮面がいまいまし気に言った。すると、やや間があったのち、「やることは変わりませんよ」とつぶやくようにじいさんが答えた。

 それに対して、「おじいさん、起きてたの?」とアジョウがぼくなことを口にすると、じいさんが呵々大笑した。

「まあ、そのクルバハラについては、次のいくさで、ホランクの坊やが殺せばいいだけの話ですよ」と何気なく、鉄仮面に向かって、じいさんが抑揚のない声で言った。

 「怖いおじいさん」とアジョウが口にしたので、「だろう?」と鉄仮面は笑った。


「アステレ・アジョウ。素直にいろいろと話してくれてありがとう。おまえには、おまえの事情があって、話してくれたのだろうが。……それでどうするのだ。金でよければ、当分、暮らしに困らないだけは支払うが」

 鉄仮面が問うと、真剣に悩んでいるアジョウに対して、ノルセンが、「顔がつまらないから、は無理だけど、曲芸師なら、オルコルカンで食べていけるんじゃない」と、無神経極まりない提案をした。

 それに対して、鉄仮面が、「曲芸師が似合うのはお前だろう。いまから、ぶん、稼いで来い。このごく潰しが」と口にしたので、また、場がにぎやかになった。

 そのような中で、アジョウが、「曲芸師をしていたのは、小さい頃だけ。いまはもうむり。私は、いくさ場でしか食べていけない。スラザーラの軍へ入れてください」と鉄仮面に願い出た。

 「そう決めつけることはないと思うがな」と鉄仮面は応じたが、内心、良い手駒が増えて喜んだ。それに対して、「あっ、悪い笑みを浮かべている」とノルセンが余計な事を言うと、ずっと無表情だったアジョウの頬が緩んだ。

「ヴェルヴェルヴァはともかくとして、チノー[・アエルツ]は討てるのか、お嬢さん?」

 横からじいさんがアジョウにたずねると、彼女は顔を苦いものに変えて、「食べていくためなら」と独り言のようにつぶやいた。

 すると、いつの間にか、アジョウのとなりで、その肩に手を置いていたノルセンが、「おじいさんは嫌なことを聞きますね」とじいさんに声をかけた。それに対して、「老婆心というやつだよ、坊や」とじいさんが返答した。

 最後に、「そういうおまえは、チノーの下についたら、喜んで私を討つんだろうな」と鉄仮面が冗談を口にすると、ノルセンは急に真顔になり、「そんなことはしませんよ……」と口ごもりながら否定した。いつもの通り、情緒の安定しない男であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る