花の意思(八)

 新暦九二八年盛夏[八月]、鉄仮面は北の老人[ハエルヌン・スラザーラ]の呼び出しを受け、[近北州の州都]スグレサに入った。

 その日は[オレッサンドラ・グブリエラ]の屋敷に泊まり、久しぶりに姉弟水入らずで過ごした。


 翌朝、睡蓮館に向かうと、鉄仮面は、「ラウザド」が咲き誇る庭に通された。そこまで鉄仮面を案内して来たオドリアーナ[・ホアビアーヌ]が去ると、場は、鉄仮面と老人のふたりだけとなった。

 花にはさみを入れながら、背中越しに老人がつぶやいた。

「イルコアの件だが……。亡き婿どのの代わりを、ヌコラシどのの孫娘、あなたに任せたいと思う。どうだ?」

 想定内の話に、鉄仮面は無意味と思いつつも反論を口にした。

「わたくしは適任ではないかと……。ご存じだと思いますが、わたくしは婿さまのかたきちには反対の立場です。いまだ、和平の道を模索しております」

 鉄仮面が言い終わると、花をせんていする音だけがしばらく流れた。

「だからいい。あなたなら、やみにいくさ場を広げることはあるまい。……私も少しは頭を使って、人選を練ったのだよ」

「……遠西公[ホラビウ・ハオンセク]ではだめなのでしょうか?」

「彼には彼の仕事がある。それに……、私はハオンセク家の人間を信用していない。こういうことは、信用できる者に任せないとな」

「……グブリエラ家の人間は信用なさると?」

「そうだよ。ヌコラシどのの孫娘……」

「信用となれば、近西公[ケイカ・ノテ]の方が……」

「嫌がっている者にやらせてもしかたがあるまい」

 「それならば、わたくしも」と言いかけた鉄仮面の言に、老いた声がかぶさった。

「いつまでも老人の時代ではない。次代を育成せねばな。そういう意味合いもある。あなたも苦労をしないと」

「……わたくしの苦労が足りないと」

 「そうだ」と老人が言ったので、「よくおっしゃる」と、鉄仮面は吐き捨てるように口にした。

「イルコアは、七州[デウアルト国]を良く思わない豪族たちのそうくつだそうじゃないか。むかしの東南州の東管区と同じ状況だ。あなたのまわりには、そういう蜂の巣退治の得意な古参兵が、大勢いるのだろう?」

 鉄仮面が無言でいると、老人は振り向き、彼女に近づくと、うつろな目を向けた。鉄仮面は直感的に、このような男を専制者としていただかないといけない、我々は不幸だなと思った。

 老人は青い花を一輪、鉄仮面の髪にしながら、次のように言った。

「州内の掃除の際は手伝ってやった。その借りを返してもらわないとな、ヌコラシどのの孫娘よ。掃除は終わったのだろう?」

「借り……。グブリエラ家はあなたに大きな貸しがあるのではありませんか?」

「ないな。グブリエラ家には……」

 「そうですか」と言いながら、鉄仮面は仮面をはずした。

「そういうお話であることは、来る前から予想がついていました。わかりました。西へ行きましょう。その代わり、オルシャンドラは返していただきたい」

 話が変わると、老人は鉄仮面に背を向けつつ、「それはだめだ。まだいろいろと教えている途中だ」と言った。

 ふたたび、花に手を入れ始めた老人に対して、「ブランクーレ家の教育方針が、グブリエラ家のそれに重なるとは思えません。変な癖をつけられても困ります。これでは……、人質ではないですか」と、鉄仮面は抗議した。

 それに対して、老人が、「そうだよ。先ほどからあなたは、わかりきったことを口にするな。直したほうがいい」と独り言のようにいった。

 「話になりませんな」と鉄仮面が口にすると、「なら、諦めることだよ、ヌコラシどのの孫娘」と、老人が抑揚なく言った。

「東部州、近西州、遠西州から兵を出させる。あなたの好きに使うといい」

「女ども[サレ派]……。彼女たちは?」

「安心したまえ。私が黙らせて、妙なことはさせない。あなたは、ファルエール・ヴェルヴェルヴァを退治することだけを考えてくれればいい」

「……なぜ、あのようなものに裏書をされたのですか?」

「彼女が求めたからさ。この世は、そう、この世は生きている者のためにある」

「あなたさまと同じで、彼女も半分死んでいるような人間ではありませんか」

 しばらくの間、老人が花を切る音だけがした。

「幼子がふたりもいるのに、迷惑をかけるが、よろしく頼むよ。置いていくのか?」

「そのつもりです。わたくしになにかあれば……」

「もちろんだ。万が一の場合、あなたの後継者は、異母弟のオルシャンドラでよいのだな?」

「はい。それは確約をお願いします」

「わかった。あとで書状を届ける」

 それからしばらく、また、無言がつづいた。これ以上、老人に会話をつづける意思がないことを見て取ると、鉄仮面は場を去った。

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