一巻(九二三年十一月~九二四年五月)
第一章
彼女たち(一)
新暦九二三年十月十七日、大サレ(※1)が死んだ。享年五十二だった。
柔らかな寝台のうえで、多くの家族に看取られながら、彼が安らかに亡くなったことが広まると、みやこびとの少なくない者が、「因果応報せず」と嘆いたとのこと(※2)。
※1 大サレ
初代ホアラ候ノルセン・サレのこと。
「
外交における権能は他の追随を許さず、ウストレリ国との協調関係を重視した「サレ原則」を多数の反対を押し切って固持し続け、ウストレリ進攻により国内問題の解決を図るサウゾ主義を弾圧した(ノルセンが権力を握るようになると、サウゾ主義者たちは強い反発を見せ、両者は暗闘を繰り広げた)。
その権力の源泉は、専制者ハエルヌンの信頼および姻戚関係により形成したサレ派の助勢にあった。ノルセンの正妻であるライーズは七人の娘を産んだが、その娘たちも多産であり、ノルセンの晩年には一大勢力となっていた(ノルセンの娘たちは、みな、性格が穏ややで、体も丈夫であった。そのため、父親の権勢もあり、嫁入りを希望する家が多かった。彼女らは、執政官トオドジエ・コルネイア、近北州のウベラ・ガスムンおよびクルロサ・ルイセ、自由都市ラウザドの指導者オルベルタ・ローレイルら、錚々たる面々の縁者に嫁いだ)。
ノルセンの記した『スラザーラ内乱記』は、ブランクーレ=スラザーラ体制の成立過程およびハエルヌン・スラザーラの人となりを知るうえでの重要史料。
※2 「因果応報せず」と嘆いたとのこと
ノルセン・サレの死に際については、いろいろと言われているが、悲劇的なものは、彼の死後の経緯を知る者が生み出した「伝説」であろうか。
死因は煙草の吸い過ぎによる
ノルセンの死後、毒殺の風聞も広まり、長子オイルタンやハエルヌン・スラザーラの犯行が疑われたが、うわさに過ぎないだろう。
オイルタンについては、ノルセンの死後、その外交政策を否定する行動を取ったため、うわさが立ったのも
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます