忘れられていた男(九)

 自らの身の安全を第一に考えながら、時間をかけて、鉄仮面が物見台に着くと、立ったまま、脇腹の治療を受けていた北の老人[ハエルヌン・ブランクーレ]が、「敵はもう逃げたよ。ずいぶんと遅いではないか。私が無事でよかったな」と他人事のように言った。

「申し訳ありません。私の刀がなまくらではないところをお見せしたかったのですが……(※1)。きゃくがラシウ・ホランクやアステレ・アジョウでなくてよかったですね」

「そうかもな……。だが、殺気がなかったのでわからなかったよ」

「刀術使い向きの刺客だったのですね、[カラウディウ・]エギラは」

「……ところで、オイチーニュどのの息子はどうした?」

「さあ、女の尻でも見ていたところを、軍馬に踏まれて死んだのではないですか」

 そのように言いながら、鉄仮面は床に転がっているエギラを見た。

「レヌ・スロの回し者だったようだ。しかし、私の言えたことではないが、だれも気がつかなかったのか?」

 老人の問いに、「さあ。男にはむりだったのでは」と鉄仮面は応じ、つづけて、「この女の身柄、わたくしにいただけませんか?」と口にした。

 それに対して、老人が、「殺すのは構わんが、あまり手ひどいことはするなよ」と言ってきた。鉄仮面が「約束はしかねます」と答えたところ、「怖い女だ」と老人が微笑を浮かべた。

 「それにしても」と言いながら、老人が西の方角を見たので、つられて鉄仮面もそちらを見た。

「レヌ・スロという男も詰めが甘いな。その点、父親にそっくりだ」

 「……本物でしょうか?」と応じた鉄仮面に対して、老人は「さあな。それを調べるのは、おまえと、だれだったかな。異教徒の……」と言い淀んだ。

もととうきょうのラカルジ・ラジーネですか?」

「そうだ。おまえがかわいがっている、そのラジーネの仕事だ」

 老人の言に、鉄仮面は黙ってうなづいた。


 鉄仮面がテモ・コレへせっこうを出すように指示を出した直後、その日の主役が物見台に上がってきた。小ウアスサである。

 その小ウアスサに、老人は自身を守ったことに対して、とくに礼は言わなかったが、「おまえは勇者だな」といくさびとに対する最大の賛辞を送った。

「これで、オウレリアの孫息子よ、おまえの汚名も晴れた。その祝いに何かやろう。何がいいかな?」

 老人の言葉に、小ウアスサは恐縮しながら、「そのお言葉だけで十分です」と答えたところ、「そうだ。余りものだが、私の娘をやろう。いつまでも独り身でいるわけにはいかないからな。彼女の立場的に」と、小ウアスサにしてみれば有難迷惑な話を言いだしたので、場が騒然とした。

 困り果てた小ウアスサが、鉄仮面を見たので、内心、ふたりが結ばれればよいと思いつつ(※2)、「そういう話を勝手にされては、小サレも困るでしょう」と助け船を出してやった。


 時間とともに、小ウアスサの困惑が深まる中で、ようやくノルセン・ホランクが姿を見せた。しかし、その衣服は乱れており、口には紅のあとがついていた。

 その男が「父上、大丈夫ですか」と公然の秘密を口走りながら、老人に近づいたので、鉄仮面は思わず、刀の柄に手をかけた。

 老人は苦笑しつつ、ノルセンの口元をぬぐってやりながら、「暇で狩りばかりをしていて、体を鍛えていたから、私は大丈夫だよ」と声をかけた。


 場が穏やかだったのはそこまでだった。

 まずは南方からの急報が鉄仮面のところに来た。

 伝令から手渡された書状には、レヌ・スロの兵に偽装したノルセン・ダウロンの手により、オルコルカンのようさいが乗っ取られたむねが書かれていた。

 鉄仮面はその書状を握りつぶしたのち、仮面を外し、「じいさん、じいさん、じいさん」と三回、怒声を発した。

 じいさん[オヴァルテン・マウロ]は急いで鉄仮面に近寄り、書状を受け取るといちべつした。その後、鉄仮面があごを老人の方へ向けたので、じいさんは書状を彼に渡した。

 書状を見た老人は、「これは、これは」と微笑を浮かべた。

 話はこれだけでは終わらず、今度は西方から伝令が来た。

 その書状には、「ウストレリ軍に東進の動きあり、至急、ご処置願う」と書かれていた。

 鉄仮面は大きくため息をついたのち、書状をじいさんに渡した。それを無表情で読んだじいさんは、それを老人に回した。

 先ほどからの微笑を絶やさぬまま、老人が鉄仮面に次のように言った。

「ヌコラシどのの孫娘、さて、どうする?」

 老人の言に、鉄仮面はいまいましさを隠さずに、「どうもこうも、何とかします。……それとも、あなたさまが指揮をられますか?」と応じると、「この老人にか。それは困るな」と首を振った。

「では、安全が確認でき次第、エルバセータの要塞内に入っていただきましょう。あとはわたくしと、先の軍務監どの[オヴァルテン・マウロ]のふたりで何とかいたします」

 鉄仮面がじいさんの方に視線を向けると、彼はさっそく、地図を広げて見ていた。

 視線をじいさんに移していた老人は、それを鉄仮面のほうへ返して、「お手並み拝見といこう。私はここにとどまり、傷がえた段階で、近北州へ帰ることにする」と言ったので、「ノルセン・ホランクを同行させましょうか?」と鉄仮面がたずねた。

 すると、老人は手を一度だけ横に振り、「オイチーニュどのの息子が気に食わないからと言って、悪い冗談だ。だれが、[ファルエール・]ヴェルヴェルヴァを退治するのかね。はったいだけで十分だ。逆に、オドリアーナ[・ホアビアーヌ]を残して行こうか?」と口にした。

 鉄仮面が「結構です。いくさ場では役に立ちませんから」と、老人の後ろにいた本人を見ながら言うと、オドリアーナは苦笑しつつ、「そろそろ横になってくださいませ」と老人の手を取った。

 鉄仮面が物見台を去ろうとした時、その背中越しに老人が口を開いた。

「ヌコラシどのの孫娘、おまえのうしろに、いつも私が……、私たちがいることを忘れてくれるなよ」

 その言葉に鉄仮面は振り返り、「どういう意味ですか。私の代わりはいるということでしょうか?」と問いながら、仮面をつけた。

「そういう意味でもあるし、別の意味でもある」

 老人の回答に、「なぞなぞは嫌いです」と鉄仮面が率直に述べると、「私もさ」と老人が応じた。


 物見台から降りた鉄仮面は、ついてきたノルセンの頭をひとつ殴ってから、「チノー・アエルツ。まったくもって、やってくれるよ。さて、どうする」とじいさんに声をかけた。

 すると、じいさんが何か言いたげなまま黙っていたので、鉄仮面が「なにか言いたいことがあるのか?」と問うと、「いいえ。こちらからはなにも……。公の気のせいでしょう」と口にした。

 その態度が気に入らなかった鉄仮面が、「じいさんが遠西州人だからと差別せず、もっと重要な仕事をレヌ・スロに任せてみてはどうかと言ったから、このような事態になった面もある。責任の三分の一は、じいさん、おまえにあるのではないか?」と言った。

 それに対して、「残りの三分の二はだれの責任ですかな?」とじいさんが口ごたえをしてきたので、「知らん。その話は後回しだ。それよりも、これからどうするかだ。それを考えろ」と鉄仮面は叱った。

 「……とりあえず、遠西州へ、救援を依頼しますか?」とじいさんが話を変えたので、「むりだろうよ。老人の暗殺未遂がからんでいる以上、いまは兵を動かせまい。へたに動かすとあらぬ疑いを遠西公[ホラビウ・ハオンセク]はかけられる。あそこの状況はここより複雑だ」と答えた。



※1 私の刀がなまくらではないところをお見せしたかったのですが……

 ザユリアイのはいとうくにがたき』を鑑定したノルセン・サレは、戦場では使い物にならないと判じていた。その刀をザユリアイに贈ったハエルヌン・ブランクーレに対する皮肉も、多少は込められていたのだろうか。


※2 内心、ふたりが結ばれればよいと思いつつ

 この頃、ザユリアイの異母弟オレッサンドラ・グブリエラとウザベリ・スラザーラの間で、婚儀の話が持ち上がっており、それに対して、ザユリアイは強い難色を示していた。

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