第三章

花、散って(一)

 ファルエール・ヴェルヴェルヴァの首は塩漬けにされ、公女[ハランシスク・スラザーラ] と前の大公[オウジェーニエ・スラザーラ]の墓前にそなえられた。

 これをもって、地上をさまよう二人の魂が太陽へ戻っていったとみやこびとは考えた。


 鉄仮面にはこれ以上、いくさをつづけるつもりはなかった。もはや、心底飽き飽きしていたからだ。

 グマランイシとウストレリの戦いが激化し、チノー・アエルツ率いる金蛇軍が西方へ去った隙に、エレシファを除く西イルコアを奪取すると、もはやこれ以上の戦いは無用と判断して、鉄仮面は、東州公[オンジェラ・ゴレアーナ]と近西公[ケイカ・ノテ]、それにラカルジ・ラジーネと事後を協議した。

 結果、北の老人[ハエルヌン・ブランクーレ]にウストレリとの和平について話を持ち込んだところ、否定しなかったので、しゅうぎょかんの権限で進めることにした。


 七州[デウアルト国]と同様、ウストレリもイルコアを巡る争いの戦費が重くのしかかっていたし、対グラマンイシとの戦いでイルコアに構っている暇もなかったので、和平交渉の場へ着くことに同意した。


 九三七年初春[四月]、ウストレリの港湾都市ハエンヒロールで行われた交渉の場には、七州側は鉄仮面と学者[ズニエラ・ルモサ]が、ウストレリ側はチノーと通訳が姿をあらわした。

 和約の条件は三つあった。

 ひとつ目は、エレシファ周辺をのぞくイルコア州を七州の領土として認めること。

 ふたつ目は、ウストレリと七州の歴史的な経緯から、ウストレリを兄、七州を妹とし、七州はよくウストレリにつかえて従順であること。ウストレリは兄として、妹をよく扶育すること(※1)。

 みっつ目は、貿易は対等な関係で行われること。

 この条件に、チノーはいまいまし気に同意した。それが中央政府の意向で、彼はその指示に従う義務があったそうだ。

『最後のいくさの指揮は見事でした。かなり追い詰めたと思ったのですが、思ったよりもやりますね、あなたさまは』

 そのようにチノーが言って来たので、鉄仮面は「まあな」と、じいさん[オヴァルテン・マウロ]がいれば怒り出すかもしれない言葉を吐いた。学者が冷めた目で鉄仮面を見てきた。

「ようやく、上から降ってきた仕事が片付いた。もう、いくさはこりごりだよ。すべて、上の指示でやったことなのだから、あまり、私を憎まないでくれよ」

 チノーの杯に葡萄酒をそそぎながら、鉄仮面が口にすると、『そんなに憎んでいませんよ、あなたさま個人は』とチノーが言葉を返して来た。

 『ところで、アステレ・アジョウはそちらで楽しく過ごしていましたか?』とチノーがたずねてきたので、鉄仮面は「さあな。そうじゃなかったかな。そうだったらよいのだけれど。……こればかりは本人に聞いてみないとな」と応じた。

 それから、鉄仮面は、金箔でいろどられた木箱を机の上に置いた。

「古今類なき、一騎当千のいくさびと、ファルエール・ヴェルヴェルヴァどのの首級をお返しする」

 鉄仮面の言葉に、チノーは居住まいを正し、『確認させていただきます』と言ってから、苦楽を共にしてきた家臣の首を見て、『確かに』と言い、箱を受け取った。


 しばらく、過去のあれこれについて話し合ったのち、チノーが杯を掲げて口にした。

『しかし、よい葡萄酒ですね』

「七州の東のはずれで取れたものだ。そんなにうまければ、獲りに来るかね?」

 鉄仮面の冗談に対して、『まさか。わたくしもいくさはこりごりです』とチノーは応じた。

 その言に鉄仮面は笑いながら仮面を外し、「この通訳をおまえは信用しているのか?」とチノーに問うた。

 すると、チノーが『もちろん。そちらの方は大丈夫なのですか?』と学者のほうを見たので、鉄仮面は「私の処女を奪った男だよ」とふざけて答えた。

 その発言に学者はんで、「つまらないうそはつくものではないよ、ザユリアイ」とたしなめた。

 その様子を眺めながら、『噛みつかれませんでしたか?』とチノーが微笑みながら学者に言った。

 チノーの笑みが止むと、鉄仮面は彼に顔を近づけて、「これは本気で言っているのだがな。どうだ。こちらに来ないか。そうすれば、イルコアはおまえにやるし、ウストレリの領土も、切り取り次第で好きにすればいい。どうだ?」と持ちかけた。

 それに対して、チノーは大笑したあと、『面白く、魅力的な話ですが、むりですな。なぜなら、わたくしは皇帝陛下に忠誠を誓っているからです。好きなのですよ、の人が……』と答えた。


 この日の話し合いを元にして、七州とウストレリの和約はなった(※2)。

 最後に、チノーから握手を求められた鉄仮面は、そのような習慣は七州にはなかったが、こころよく応じた。ただ、少しばかり彼に恨みがあったので、軽く爪を立ててやった。



※1 妹をよく扶育すること

 この条件はとくに宮廷内に波紋を呼んだが、国主ダイアネ五十六世が早期の和約の成立を望んでいたうえに、外交儀礼上の事柄にしか適用されなかったので、ザユリアイは押し切った。

 ザユリアイから説明を受けた際、ハエルヌン・ブランクーレも「結局、問題なのはどちらが軍事的に優位な状況にあるかどうかで、七州(デウアルト国)からしてみれば、儀礼上のどうもよい話だ」とのげんを取っている。


※2 七州とウストレリの和約はなった

 後世、この和約は、ハエンヒロール条約と呼ばれることになる。

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