忘れられていた男(七)

 大観衆とだいかんせいの中、北の老人[ハエルヌン・ブランクーレ]の前を、着飾った将兵たちが次々と通り過ぎていった際、オドゥアルデ[・バアニ]どの率いる近西州の兵が、老人のえっぺいを終えたとき、変事は起きた。

 レヌ・スロ率いる遠北州の騎兵たちが、道をまっすぐに進まず、老人のいる物見台目指して転進し、彼の警固をになっていたはったいに突っ込んだ。白騎隊はさすがと言うべきか、状況がつかめぬうちは多少の混乱を見せたが、即座に立て直し、応戦を開始した。しかし、その光景を目にしていた沿道の観客たちは恐慌をきたし、我先と逃げ出したため、場は大混乱におちいった。群衆の中にレヌ・スロの回し者がおり、人々の恐怖をあおる声をあげたため、混乱に拍車がかかった。


 事情を察した老人が、まわりにうながされて物見台から降りようとした、そのとき、レヌ・スロの二つ目の謀略が実行された。老人の背後から、カラウディウ・エギラが、隠し持っていた短刀で彼の脇腹を刺した。ふたりの後ろにいたじいさん[オヴァルテン・マウロ]がエギラのじゃまをしていなければ、彼女の刃は、老人の心臓を後ろからつらぬいていたかもしれなかった。

 老人はここで思いもよらぬ冷静さを見せた。エギラの方を向きながら抜刀し、その足を斬った。エギラはその場に倒れ込んだところを白騎隊に取り押さえられた。「決して殺すな」という老人の指示を受けて、白騎隊のひとりが、エギラにさるぐつわをかませ、手足を縛った。

 その様を見ながら、老人が「さて、どうするべきですかな。後ろに敵がいないとも限りませんし」とじいさんにたずねると、「このまま、ここで待ちましょう。死ぬ時は死ぬものです。あわててはいけません」と冷静に応じた。後に検分した結果からすれば、この判断は正しかった。さすが、じいさんは歴戦のいくさびとであった。

 執念で屈強な白騎隊を押しのけたレヌ・スロが、目と鼻の先にいる老人を見上げて、声を荒げた。

「ハエルヌン・ブランクーレ、よく聴け。我は、オアンデルスン・ドイオゲの長子ゾユリイなり。父のかたき、討たせてもらうぞ」

 レヌ・スロの名乗りに、老人はじいさんのほうを向いて、「オアンデルスン・ドイオゲ……。東部州のオアンデルスン・ゴレアーナ(※1)のことか?」と口にしたので、じいさんはうなづき、「その息子を自称しているようです」と答えた。


 老人を守っていた白騎隊の者たちが次々と討ち取られ、物見台をレヌ・スロの兵が囲み、もはやこれまでと思われた時、場に急行してきたのが、小ウアスサであった。

 異変が生じた際、勘の鋭い小ウアスサはすぐに状況を把握して、彼自慢の遠北州の騎兵に、まどう群衆を踏みにじりながら、物見台目指して突撃するように命じたのだった。

「あの男を狙え」

 レヌ・スロを小ウアスサが指さすと、騎兵たちは小弓の矢をレヌ・スロに向かって浴びせかけた。

 そこで自らの命をかけて、戦いをつづけていれば、レヌ・スロ自身は死んだとしても、老人の首は取れただろう。しかし、レヌ・スロは、そのようにはしなかった。

 それで満足したわけではなかっただろうが、配下を引き連れて、西の方へ逃げて行った。



※1 オアンデルスン・ゴレアーナ

 旧姓ドイオゲ。ゴレアーナ家のじょ婿せいであり、エレーニの夫であった男。エレーニを監禁して実権を握ると、ハエルヌン・ブランクーレとの間で、ロスビンの戦い(九〇三年七月)を起こし、敗れた。

 敗北後、西南州のラウザドに停泊中の船舶から、オアンデルスンは遺体で見つかったが、同行していたはずの庶子ゾユリイが行方知れずで、ハエルヌンは草の根を分けて捜させたが見つからずじまいであった。

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