旋風(六)

 学者[ズニエラ・ルモサ]に聞いたところ、有史以来、七州[デウアルト国]とウストレリがかんを交えたことはいくらでもあった。

 しかし、新暦九二七年初秋[十月]のいくさ[第一次バナルマデネの戦い]ほど、七州が悲惨な敗れ方をしたそれはなかったとのこと。


 決戦は昼にはじまり、夕方までに終わった。

 七州軍[デウアルト国軍]は兵数四万強、ウストレリ軍は二万五千弱であった。ウストレリ軍の兵数については、ラカルジ・ラジーネが事前につかんでいた通りであった。

 七州軍の指揮は、司令官である大公どの[オウジェーニエ・スラザーラ]を小ウアスサが補佐していた。小サレはいくさ場におらず、オルコルカンで戦況を見守っていたのだが、これはのちに大きな非難を呼んだ。

 小ウアスサは彼我の兵数の差を頼みに、敵をほうせんめつする陣形を組んだ。それに対して、ウストレリ軍の司令官であったチノー・アエルツは、定石通りに中央突破を図る形に軍容を整えた。

 しかし、このいくさにおいて、陣形などというものはあまり意味がなかった。

 両者の兵の質に、圧倒的なちがいがあったからだ。

 チノーが中央に置いた、通称「金蛇軍」一万は(※1)、強国グラマンイシとの戦いにおいて、その前線で鍛え上げられていた兵たちで構成されていた。

 それを、敵国グラマンイシでも、その指揮能力を称賛されていたチノーが率いていたのだ。しかし、なにより、七州軍にとって脅威だったのは、その金蛇軍で先鋒を任せられていた勇者たちだったのだが、その中には、大サレと因縁を持つ者たちがいた。

 ダウロン三兄弟(※2)は、ノルセン・サレの弟分だったオルシャンドラ・ダウロン(※3)の忘れ形見だった。いくさ中、三人は常に傍を離れず、さんいったいの攻撃で槍をけて来て、多くの七州兵を血祭りにあげた。

 そして、金蛇軍において、勇者の中の勇者であり、このいくさの後、イルコアの獅子と呼ばれるようになるファルエール・ヴェルヴェルヴァは、真偽不明ながら、母親を大サレに刺し殺されていた(※4)。

 「サレ、サレ、サレ」と咆哮しながら、味方を置いていく勢いで、金蛇軍の先頭で馬を走らせ、七州軍の中央に突撃する様は、人外のそれであったという。

 その結果、七州の新兵たちはきょうして動けず、それがあろうことか古参兵にも伝わって、七州の中央軍は大恐慌となった。

 ヴェルヴェルヴァは自陣から長駆、七州兵を蹴散らしながら馬を走らせ、とうとう、大公どのの本陣にまで近づいてしまった。

 ここで、大公どのには、恥も外聞もなく逃げ出すという選択肢があった。小ウアスサも懸命に説得したが、それを良しとせず、もはや勝敗が決したいくさの中で、友兵をひとりでも逃がすために、自身がとどまり、しんがりとなることを選んだ。

 それは、負けが決まった司令官、いくさびととしては、まちがった判断と決めつけることはできなかった。しかし、彼はいくさびとである以上に、政治的な人間であった。七州三名家[デウアルト家、スラザーラ家、ハアリウ家]のひとつ、スラザーラ家のじょ婿せいとして、北の老人[ハエルヌン・スラザーラ]からも将来をしょくぼうされていた青年であった。決して死んではならない人間だった。

 しかし、彼は、「サレ、サレ、サレ」と叫びながら迫り来たヴェルヴェルヴァに胸を貫かれ、絶命した。その後、ヴェルヴェルヴァのほこの穂先に、その首をさらされた。

 大公どのの死を聞き、小ウアスサは自死しようとしたが、敗残兵を一兵でも多く、いくさ場から逃がすことを大公どのから厳命されていたので、恥を忍んで指揮をつづけた。

 七州の中央軍は全滅の可能性もあったが、左翼で善戦していた遠西州軍の小ハオンセクが、昇格したばかりの千騎長レヌ・スロ率いる騎馬隊を、縦に間延びしていた金蛇軍の横腹にぶつけたおかげで、壊滅のは防げた。

 ウストレリ軍の損傷は軽微であったのに対して、七州軍は死者だけで一万を超えた。前代未聞の数であった。

 敗残兵の多くは、オルコルカン目指して落ち延びて行った。

 遠西州軍だけはまだいくさの継続が可能だったが、遠北州で大規模な反乱が発生したとの一報を受けて、自分の州へ去って行った(※5)。



※1 通称「金蛇軍」一万は

 チノー・アエルツの家紋が蛇であったため、この名がついた。黄色の兵装で統一されていた軍は、敵だけでなく味方からもの念をもたれていた。


※2 ダウロン三兄弟

 オルシャンドラ・ダウロンを父に持つ三兄弟。名は、長男がノルセン、次男がアドゲー、三男がガルコ。


※3 オルシャンドラ・ダウロン

 オルシャンドラ・ダウロンは、旧名をオントニアと言い、ノルセン・サレのきょうだい

 一騎当千のいくさびとで、ハエルヌン・スラザーラより勇者と呼ばれていたが、性に粗暴なところがあり、さまざまなあつれきを周りと生じさせていた。

 権力者であるノルセンの傍にオルシャンドラがいることを嫌ったハエルヌンにより、遠西州に領地をもらい、アヴァレ候を名乗ったが、ハオンセク家や同僚との間に揉め事を繰り返し、ついにはウストレリにしゅっぽんするという大事件を起こした。

 オルシャンドラのアヴァレ候着任に大反対をしていたノルセンは(詳細は「スラザーラ内乱記」を参照)、ウストレリに対して、身柄の返還を求める動きに一切加わらなかった。

 オルシャンドラの武名はウストレリにも鳴り響いていたので、彼は、皇帝に厚遇で迎えられた。その恩に報いるため、オルシャンドラは各地で戦ったが、ここでも上官や同僚とのいざこざが絶えず、働き場を失い、結局、酒色におぼれて早死にした。ノルセンは、「オントニアを使えるのは自分だけ」と言っていたが、その通りの末路であった。なお、その死を聞いても、ノルセンは表立っていたむことはなかったとのこと。


※4 母親を大サレに刺し殺されていた

 ハランシスク・スラザーラが近北州へ下向する際(新暦九〇〇年十月一日)、沿道に集まったみやこびとの中にひとりの娼婦(モウリシア・カストの側近の娘と自称)がおり、「父親殺しの手先」とハエルヌン・スラザーラをそしった。このため、ノルセン・サレが妊娠していた彼女を刺し殺したところ、死後に産気づいて出産した。その男児こそ、ファルエール・ヴェルヴェルヴァその人であったとのことだが、真偽はよくわからない。

 真相は不明だが、問題は、ファルエール本人が自らのしゅっせいたんを事実と認め、ノルセン・サレ憎しの思いを抱いていたことであろう。

 ウストレリ側の史料によると、後難を恐れた縁者と共に、ファルエールはウストレリへ渡り、そこで兵士になったとされている。


※5 遠北州で大規模な反乱が発生したとの一報を受けて、自分の州へ去って行った

 千騎長レヌ・スロは反乱を虚報と見て取り、オルコルカンに向かうことをホラビウ・ハオンセクに上申したが、退けられた。自らの部隊だけでもとレヌは食い下がったが、ホラビウにたしなめられた。

 レヌが看破した通り、大規模な反乱は生じていなかったが、それは賊が動き出す前に、ホラビウが遠北州へ急行したためと思われる。なお、反乱の情報がウストレリ側の工作かどうかは不明。

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