憎しみ、深く(九)

 ある日の昼下がり。今後のことについて、じいさん[オヴァルテン・マウロ]とけんかになった鉄仮面は、手にしていた酒杯を彼に投げつけて、執務室を飛び出し、オルコルカンのようさいがいへ出た。

 外の片づけはすべて済んでおらず、丸太が転がっていたので、鉄仮面はそれに腰をかけた。いくさで使われたであろう槍が、地面に突き刺さっていたのが目に入った。


 鉄仮面がしばらく考え事をしていると、小ウアスサがやってきて、書状に花押を求めてきた。

 少し離れたところに樹があり、その下で赤い花が咲き乱れているのが、鉄仮面の目に映った。葉がしげっている樹の下では、ノルセン・ホランクがアステレ・アジョウの膝枕で寝ていた。アジョウは窮屈そうにしながら、花でかんむりを編んでいたが、できあがるとノルセンを起こし、その頭にかぶせた。

「アステレの存在は、ノルセンの情緒の安定に寄与している。よいことだ。さいきんは、人妻に手を出すことも減ったようだし」

 そのように鉄仮面が小ウアスサに言うと、「はい。加えて、ホランクどのの存在もまた、アジョウに好ましいものを与えているように見えますが……」と答えが返ってきた。

「おまえはよく見ているな、

「恐縮です」

「ファルエール・ヴェルヴェルヴァもノルセンも、会ったことがないからこそ、母親への思慕が強い。女の腹というのは怖いものだな。しかし……」

「しかし、何ですか?」

「……初恋というのは、実らないものらしいぞ」

 鉄仮面の言葉に、小ウアスサは微笑を浮かべただけで、その場を去って行った。


 鉄仮面の目の前で、ノルセンがアジョウに口づけをしようとしたので、彼女は怒ってしまい、ノルセンに平手打ちをくらわすと、どこかへ消えてしまった。

 ノルセンは左手で自分のほほを抑えながら、鉄仮面の横に坐った。

 「お姫さまに逃げられたな」と鉄仮面が笑うと、「こちらのお姫さまはどこから逃げ出して来たんですか?」とノルセンが言葉を返して来た。それに対して、鉄仮面はひとつ伸びをしてから、「お姫さま家業も楽ではないのだ」とノルセンを見た。

 「ここで、多くの者が亡くなりましたね」とあたりを見渡しながら、ノルセンが言った。

 「おまえも私を責めるのか?」と鉄仮面が冗談交じりに口にすると、ノルセンは手を振りながら、「いいえ」と応じた。

「ぼくも多くの人間をあやめてきましたから。人のことは言えません。……正直な話、人を殺しても罪悪感が浮かんでこないのです。ぼくは壊れているのでしょうか?」

 いつものおどけた姿とはちがう、ノルセンがそこにいた。

「私は爆弾で殺されかけて、過去の記憶が一部ない。いちばん古い記憶は、母上が首を吊った光景だ。どうも、その様を見て以来、私は人の生き死にに無頓着になった。そのように自分では思っているが、父親のせいかもしれない。……おまえはどうなのだろうな。父上に愛されて育ったのに、そうなってしまったのは、何か、先天的なものが影響しているのだろうか」

 ノルセンは気難しい顔をして、鉄仮面の話に聞き入っていた。その様をみて、鉄仮面は彼の髪の毛をもてあそびながら、「まあ、いい。ヴェルヴェルヴァを退治したら、ゆっくり考えるがいい。おそらく、やることがなくなるだろうからな」と声をかけた。

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