五巻(九三一年四月~九三四年三月)

第一章

悲しい生き物たち(一)

 新暦九三一年初春[四月]。鉄仮面がオルコルカンに戻ってみると、大事件が起きていた。ある意味、イルコア州における鉄仮面の最大の味方であった、モテア・オルバンが毒殺された。ラカルジ・ラジーネによると、後任の長官にはチノー[・アエルツ]に近しい者が置かれたとのことだった。一報を聞いた鉄仮面が、「チノーがまたやってくれたよ」と壁を蹴ったところ、穴が空いた(※1)。


 その時の七州[デウアルト国]は、チノーの留守を奇貨として、西イルコア[西管区および北管区]にもその勢力を伸ばしていたが、オルバンの死をよい機会ととらえた、両管区の豪族が蜂起した(※2)。これもチノーの策略であったろう(※3)。

 「やつらは何だ。独立でもするつもりなのか」と鉄仮面が側近にたずねると、「いえ、単なる、我らに対する反乱のようです」という答えが返って来た。

 鉄仮面は将来的には、言い換えれば、ファルエール・ヴェルヴェルヴァの退たい、豪族たちの自治を認めて、イルコア州はイルコア人が支配すればいいと思っていたので、そのような問いを発したのであった。

 鉄仮面は、イルコア人をウストレリ中央政府から切り離すために、側近たちをしっげきれいして、税を低くし、酷吏を処罰して、善政に努めていた。その成果が東イルコア[南管区および東管区]では出始めていたが、西イルコアは、チノーとの間で、取ったり取られたりを繰り返していたので、まだまだ見通しは暗かった。

 オルコルカンにじいさん[オヴァルテン・マウロ]がいないので、行き先をたずねると、反乱を鎮圧するために、ゾオジ[・ゴレアーナ]どのと東管区のエルバセータ要塞に向かったとのことだった。

 エルバセータ要塞というのは、チノーが直接、オルコルカンを攻めて来ないようにするために、鉄仮面が東管区に造らせたものであった。なにも二年間、鉄仮面はただ寝ていたわけではなかった(※4)。


 上の報告を受け、また、別の筋からの話で、チノーが出て来ないと踏んだ鉄仮面は、オドゥアルデ[・バアニ]どのにオルコルカンを託し、レヌ・スロ率いる遠西州軍と古参兵たちを引き連れて、反乱の鎮圧に出向いた。



※1 「チノーがまたやってくれたよ」と壁を蹴ったところ、穴が空いた

 ザユリアイは、モテア・オルバン毒殺の犯人をチノー・アエルツと思い込んでいたが、確証はない。モテアは多くの者に恨まれており、また、チノー自身は暗殺を良しとする人柄ではなかった。


※2 オルバンの死をよい機会と捉えた両管区の豪族が蜂起した

 このいくさは、後世、二管区の乱と呼ばれた。


※3 これもチノーの策略であったろう

 チノー・アエルツの謀略であったかどうかは不明だが、彼は他州の反乱軍討伐を優先したため、結果的に連動した動きは見せられなかった。その点を踏まえるに、豪族たちが独自の判断で蜂起したと考えるのが妥当であろう。


※4 なにも二年間、鉄仮面はただ寝ていたわけではなかった

 エルバセータ要塞の建造は、オヴァルテン・マウロの助言にもとづいて決められたとのこと。チノー・アエルツはこの要塞の存在をひどく嫌い、「最初のつまづきは、エルバセータ要塞の建設をみすみす許してしまったことだ」と後年述べている。

 老いてもなお、オヴァルテンのけいがんは衰えていなかった。

 しかしながら、建造に莫大な費用を要したため、その必要性がデウアルト本国では、かまびすしい議論を呼んでいた。

 執政府内では、ザユリアイを召還して説明させるべきだという話も出たが、ラカルジ・ラジーネがそれを阻んだ。

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