悲しい生き物たち(二)

 イルコア州の豪族たちは、できなかったのか、やらなかったのかはわからなかったが、一か所に兵をきゅうごうすることはせず、それぞれの地盤にこもった。

 チノー・アエルツは来なさそうだったので(※1)、鉄仮面はこれをよい機会ととらえ、ゾオジ[・ゴレアーナ]どのやじいさん[オヴァルテン・マウロ]の反対を押し切って、軍を分けて、すみやかに各個撃破することに決めた。

 豪族どもを一つひとつ退治していくのは、他州の将兵ならばうんざりしたかもしれなかったが、東南州と東部州の古参兵たちは、昔の経験(※2)があったので、若い兵たちをげきしょうしつつ、見事に藪蚊(※3)退治を成し遂げた。


 我が軍の将兵は皆、よい働きをしたが、とくにノルセン・ホランクの軍功は抜群であった。

 彼はせきようたいの一員(※4)として、いくさに加わったが、馬をあやつるのが巧みな者に敵前まで乗せてもらうと、馬から飛び降りて、自慢の両刀を抜き、馬上の者、徒歩の者とを構わず、斬りに斬りまくった。

 その軽やかなかたなさばきが、燕が酔いながら飛んでいるように見えたので、彼は「酔燕」と呼ばれた。

 ノルセン・ホランクが、西管区の各地を転戦して、その刀のえを示したところ、「敵の中にもイルコアの獅子どの[ファルエール・ヴェルヴェルヴァ]のような使い手がいる」といううわさが広まった。中には、その話におじづき、戦わずにくだる豪族もいた(※5)。


 すべての豪族が沈黙したのち、鉄仮面は彼らに恭順をちかわせた。

 そのあかしとして受け取った人質は、遠西州へ移送したが(※6)、のちほど、北の老人[ハエルヌン・スラザーラ]の命があり、人質の中で将来有望そうな若者は、さらに近北州へ送られた。


 鉄仮面の決断により、見事な成果を出すことができたが、じいさんに言わせれば、「運がようございましたな」とのことであった。



※1 チノー・アエルツは来なさそうだったので

 チノー・アエルツが他州の反乱の鎮圧を優先したから良かったものの、別の判断をしていた場合、イルコア州はデウアルト軍にとって、危険な状態に陥っていただろう。

 このように、ザユリアイの軍事的な判断能力には問題がないとは言えず、本書には記されていないが、ウストレリ軍との戦いの中で、小規模の失敗をいくか犯している。

 その点において、ザユリアイの側近だった者が以下の文章を残している。

「オルコルカン公(ザユリアイ)の行政手腕は、ホアラ候(オイルタン・サレ)に次ぐものであり、我々も深く信用し、その指示を仰いでいた。しかしながら、いくさの差配になると、少々危なっかしいところがあった。おかしなもので、政治に関わることだと、我々のかんげんを受け入れてくれることの多い方だったが、いくさごとになると、先の軍務監どの(オヴァルテン・マウロ)の言葉以外はほとんど聞く耳をもたなかった。そのために、軍務監どのがいないときにごとが起きると、我々のほとんどは胃を痛くしていた」


※2 昔の経験

 「短い内乱期」に、グブリエラ家やゴレアーナ家に攻められた、東南州東管区の豪族たちは、各地に籠り、敵の補給を絶つ作戦で大いに両家を苦しめた。

 その戦いを生き抜いた者たちが、ザユリアイやゾオジ・ゴレアーナの古参兵の中にいたという話である。


※3 藪蚊

 豪族たちのこと。


※4 赤陽隊の一員

 赤陽隊の軍旗に、スラザーラ家の家紋の使用を許したウザベリ・スラザーラは、その隊にノルセン・ホランクが加わったことを知ると激怒し、ザユリアイに書状を送ったが、彼女は相手にしなかった(読まずに破り捨てたとも)。


※5 戦わずに降る豪族もいた

 ノルセン・ホランクひとりの武勇ではなく、各地の仲間が、各個に撃破されるのを見て降服したと考えるのが妥当であろう。

 ザユリアイはノルセンの武功を大げさに広め、味方の士気高揚、敵の士気低下を図った形跡がある。

 過大に伝えられたノルセンの活躍には、デウアルト本国も、美しい妻を持つ男をのぞいて熱狂したとのこと。


※6 遠西州へ移送したが

 モテア・オルバンの死による、長官の交代時に、それまでイルコア州が集めていた人質を返すように、豪族たちから要求があった。

 度重なるデウアルト国の進攻により、豪族に対する威信を損ねていたイルコア州は、その要望に従うしかなった。そうしなければ、豪族たちのほこさきが自分たちに向いたり、デウアルト国への寝返りを誘発したりする可能性があった。

 しかしながら、豪族たちは自らが起こした争いにより、ようやく取り戻した人質を、今度はデウアルト国へ差し出さねばならなくなった。

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