交わる言葉、交わらない言葉(二)
公女[ハランシスク・スラザーラ]とは、
女官長のタレセ・サレが茶を
鉄仮面は、人と会って緊張することなど、何年ぶりだろうと思いながら、うわさ通りに
権威とはこういう顔をしているのだなと鉄仮面は思った。
タレセ・サレが去ると、公女が話の口火を切った。
「ファルエール・ヴェルヴェルヴァの首……。まだ、オウジェーニエ[・スラザーラ]の墓前に
「申し訳ありません。最善は尽くしておりますが……」
「あの男から、デウアルトの宝刀とやらを与えられたのだろう?」
「なかなか、使い勝手がわるく……」
「私にはな、鉄仮面。スウラ・クルバハラとやらの首で、オウジェーニエの魂が救われるとは思えない。そのクルバハラとやらが、オウジェーニエを殺したわけではないからな」
公女の言に、「なるほど、あなたさまはご納得なされないかもしれない。しかし……」と言いながら、鉄仮面は持参した箱から、塩漬けにされたクルバハラの首を机の上に置いた。それを顔色変えず、じっと公女は見つめた。
「多くの者たちは納得するでしょう。この首を手に入れるまでに、万を超える七州[デウアルト]人が傷ついているのです。あなたさまもご納得されてはいかがですか。大人……、いや、失礼。お立場ある人間なのですから」
しばらく首をながめていた公女が、視線を鉄仮面に移した。
「私とて、鉄仮面の言いたいことがわからぬわけではない。似たようなことをお
首を箱に戻しながら、「ご自身を客観的にご覧になられているのならば、世間の動きもそのように見ていただきたいですな」と鉄仮面は口にした。
それから仮面を外すと、次のように公女へ言った。
「わたくしはグブリエラ家の当主として、もう五年余りも、いくさ場でどんぱちさせられています。もういい加減、嫌になりました。これ以上、ヴェルヴェルヴァの首を求めるのならば、ハランシスク・スラザーラ、あなたさまがおやりになればいい」
鉄仮面の言葉を受けても、公女は顔色一つ変えなかった。
「おまえの家にはおまえの家の務めというものがあるのだろう。そういうことではないのか?」
「では、あなたさまには、スラザーラ家の当主としての責務があると、わたくしは愚考いたしますが……。あなたさまは、ご自身の言葉に、七州を動かす、これほどの力があるとは思っておられなかったのではないのですか。あなたさまは、大サレの死後も、彼に言われていたことを守っておられればよかったのです」
どうにか鉄仮面が怒りを抑えつつ話し終えたところ、まだ、「しかし、それでは、オウジェーニエの魂が……」と公女が口にしたので、鉄仮面は、「死んだ人間の魂など、二の次ではないのですか。わたくし個人は、この世は生きている者のために、生きようとしている者のためにあると考えております。……あなたさまのように、半分死んでいる方にはお分かりいただけぬかもしれませんが」と怒鳴った。
長い沈黙の後、公女が目を
「民はもう、ヴェルヴェルヴァの首を求めてはいないのか?」
「いくさが長引きすぎました。多くの七州人が倒れました。七州人だけではありません。貧しいながらにも平穏な暮らしをしていた、イルコアの民も苦労しております」
「そうか……。しかしな」と、まだ、ヴェルヴェルヴァの首にこだわっている公女に対して、鉄仮面はひとつの提案をした。
「この館の中に閉じこもっておられるから、わからぬのです。一度、イルコアに来られてはいかがですか。その荒れ果てた土地と、苦痛の表情を浮かべている民を見ても、それでも、まだ、ヴェルヴェルヴァの首にこだわられるのならば、わかりました、グブリエラ家の当主として、役目を続けましょう」
そのように鉄仮面が言うと、長い思案の末に、公女は首を縦に傾けた。
「ところで、あの男はどう思っているのだろうな?」
「さあ。あなたさまが始められたいくさです。先の近北公[ハエルヌン・スラザーラ]は関係ないかと……」
「私がいくさをやめると言えば、それで済む話なのか?」
「済ませてみせます。……追認で十分かと」
力を込めて言った鉄仮面に対して、公女は懐疑的な目を向けた。
「私はな、鉄仮面。あの男がやめろと言えば、無理にいくさをつづける気はないぞ。あの男の許可を得て、始めたいくさだしな」
「……わかりました。お考えを聞いてまいります、念のために(※1)」と鉄仮面が応じると、「そうしてくれるか」と公女が言った。
話がようやく一段落すると、それまで無表情だった公女がはじめて、口端を少し上げて、「おまえは父親に似ていないな」と言った。
鉄仮面がどういう意味かたずねたところ、「聡明だということだよ」と、言葉が返って来た。
「しかし、権力とは恐ろしいものだな。父上もあの男も、そして私も愚かなことだ。まあ、お従姉さまが東部州に戻られたのだ。世の中はよくなるだろうよ」
「その、先の東州公や近西公[ケイカ・ノテ]も、わたくしと同じ意見だということをお忘れなく」
上のように鉄仮面が言うと、「そうか」とだけ、公女は応じた。
別れ際、鉄仮面が、「いまは何の本を書かれているのですか」と公女にたずねると、「長い内乱期について調べている」と答えが返って来た。
「私が生まれたとき、七州がどのような状況だったのか知りたいのだ。そうすれば、自分の生まれて来た意味がわかるような気がする。人の生に意味があるのならばな。鉄仮面もいまのいくさについて、書いてみてはどうだ?」
「弟に読ませるための覚書は残そうと考えています(※2)」
「そうか。書き終わったら、ぜひ、読ませてくれないか?」
「別に構いませんよ。あなたさまが出て来ないところだけならば」
そのように鉄仮面が口にすると、「何だ。悪口でも書いてあるのか」と再度、公女が微笑を浮かべた。
「この私が書くものですよ、いろいろな人間の悪態ばかりです。人間ができていないものですから」と鉄仮面が、仮面をつけながら言うと、また、「そうか」とのみ返事があった。
会見での説得がむずかしいと感じた鉄仮面は、イルコアに呼ぶことで、公女の心変わりを望んだ。
その時の判断としては、まちがった選択ではなかったが、結果から言えば、大いに裏目に出た。ごり押しでも何でも、その場で公女を説き伏せるべきであった。しかし、所詮人間である鉄仮面には仕方のない話であった。
※1 念のために
ザユリアイとしては、話を複雑にしないために、ハランシスク・スラザーラとのみ交渉して、事の決着をつけようとした形跡がある。ハエルヌン・スラザーラおよびオイルタン・サレ、執政官トオドジエ・コルネイアには、ハランシスクの裁定をもって、事後報告で済ませようとした。
行動が活発的な時期のザユリアイならば、上の三者の同意を得て、外堀を埋めてから、ハランシスクに話を持ち込んだかもしれない。
※2 弟に読ませるための覚書は残そうと考えています
本書『イルコア戦記』のことを指している。
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