塩と土と(五)

 中央前方では、金蛇軍の猛攻がすさまじく、瞬く間に、きりで材木に穴を開けるように、テモ・コレの軍は幾度も突破されたが、彼も歴戦のいくさびとであったから、そのたびに態勢を立て直し、かんに敵と戦った。


 それに比べて、中央後方の本陣では、側近たちが完全に浮き足立ち、机の上の地図を眺めながら、くだらない議論をつづけていた。

 しかし、じいさん[オヴァルテン・マウロ]だけはいつものように冷静だった。

 しょうに坐り、右の親指の爪を噛みながら、戦況にいらっていた鉄仮面に後ろから近づき、「ザユリアイ・グブリエラ……。みな、混乱している。中央と右翼はまだいい。それよりも左翼だ。敵になってわかったが、レヌ・スロの指揮能力は卓越している。こちらの左翼が危ない。地形的に見て、左翼の崩壊は全軍のそれと同じだ」と抑揚なく言った。

 それを受けて、鉄仮面はしばらく思案したのち、「先の軍務監どの。私自らが救援に出向きます。ここの指揮はお任せします。……長い間、お世話になりました。このいくさが終わったら、お約束通り、隠居なされてください」と告げると、じいさんは「ご武運を」とだけ答え、側近たちに指示を出し始めた。


 鉄仮面がいくさ場の南側に到着してみると、じいさんが読んだとおり、左翼は悲惨な状況に陥っていた。

 これは命をかけねばならぬと、鉄仮面が古参兵に守られながら、指揮をっていると、仮面に鉛玉が当たり、彼女は落馬した。しかし、ふたりの兵が身を支えてくれたので、鉄仮面は地面に落ちることはなかった。

 鉄仮面はふたりの腕を振りほどいて立ち上がると、「私を殺す気か。突っ立てないで何とかしろ」とむちゃなことを周りに向かって叫んだ。

 ゾオジ[・ゴレアーナ]どのとも、小ウアスサとも連絡が取れない中で、鉄仮面を囲むように守っていた古参兵が一人、また一人と倒れていった。


 鉄仮面はもはやここまでと思い、自裁することにした。自分のウストレリになしてきたことを振り返って、生きたまま捕らえられてはどんな目に会わされるのかわからなかった。

 ふしぎなもので、極限状態にあった鉄仮面の耳の中に、カラウディウ・エギラの歌声が響き始めた。

 鉄仮面はとなりにいた古参兵のひとりに、「いくさびとは、立ったまま死ぬものだったな」と問うた。すると、彼は涙を流しながら、小さくうなづいた。


 鉄仮面が「くにがたき」を抜いて、その刃を自分の首筋に当て、「父上……」とつぶやいた時、変事が起きた。

 うしろから、エギラの声をさえぎって、鉄仮面を呼ぶ声が聞こえた。

 鉄仮面が振り返ってみると、そこには、白馬にまたがった騎兵の群れが目に入った。遠い近北州で、北の老人[ハエルヌン・ブランクーレ]の護衛を務めているはずのはったいであった。

 ひとりだけ黒い馬に乗っていたオドリアーナ[・ホアビアーヌ]が鉄仮面に駆け寄り、馬上から「……ご老人の下知で参上いたしました。ご命令を」と、余計なことは言わずに指示を求めてきた。

 まずいところを見られた鉄仮面が、「国仇」を鞘にしまってから、「とりあえず、前方の敵を何とかしてくれ」と言った時のことだった。

 さらにいくさ場に変事が生じた。


 北の方から七州[デウアルト]兵の歓喜の声が、津波のように押し寄せてきた。

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