第32話 蜜の味
それは涙だった。
翼竜の腹をナイフで掻っ捌いてやろうと腕を突き出した時、突然。
オーラが出たのだ。それは確か。
でも、赤黒いそれはしとしとと悲しげに地面に落ちて、パチリと音を立てると消えてしまう。
「ギヤアァ?!」
自身を刺そうとしている僕に気づいた翼竜はドラゴンへの攻撃をやめ、標的を僕に変える。
嘘だろ。どうしたんだよ、大事な時なのに。こんなのあんまりだ。今翼竜に攻撃されたら、何もできずに死ぬ。
お願い、お願いだから、前みたいに勢いのあるオーラを。
「何をしているサザナミ! 殺されるぞ!」
盾の向こうからドラゴンの必死な声が。
僕だって原因が分かるならとっくに直してる。でもナイフは僕の思い通りになってはくれないんだ。ずっと泣いている。まるで血の涙だ。
「どうしたの……? どうしたんだよ……」
僕がうろたえているのを翼竜は見逃さず、爪を僕の顔面目がけて突き立てて来る。
いきなり迫ってくる尖ったものに心臓を止めかけながらもすれすれで避け、頬と耳が切れる程度で済んだ。毛皮も着てるし。……出血はかなりあるが。
一気に視界が血生臭くなる。
「ナイフ……イタチに何かあったのか?」
理由が何であろうと、僕が戦ったら足手まといになるだけだ。物理攻撃が効かない翼竜ならなおさら。
「ふぇ、フェアさん!!」
「ななんだいサザナミクン! 怪我でもした?!」
苦肉の策でフェアを頼ることにしよう、なんて思っていたのだが……。
「ごめん、ジブンも結構ピンチでさ! あと少しだけ持ちこたえてくれたまえ!」
「……!」
フェアはまた別のオバケと戦っていたのだ。巨大な薄紫色のピューマの耳に、カタツムリに似たぐるぐる巻きの殻がついているのが特徴的。
このオバケもナオが呼び出したのか?
「はは……。サザナミはお荷物確定かな? まあ仕方ないね」
これまた嘲笑うように言われたものだから、やっぱり腹が立って声の元をたどる。
ナオは、また木の枝に座って戦闘をぼんやりと眺めていた。
「……」
腹が立っても、正論は正論なのだから何も言い返せない。そうモヤモヤしている間にも、翼竜は僕を殺そうと翼を広げ、もじゃもじゃごとかっさらって地面に突き落とす。
「ぐぅ……」
体を鷲掴みにされて鈍痛がひどい。ナイフを当てる暇などあるわけがなかった。
「グギャァ!!」
「……何でそっちからはダメージ入るのに僕からは入らないんだよ……」
悔しいの一言。こんな奴、丸焦げになっちゃえばいいのに。
「悔しい? 悔しいよねぇ」
甘ったるい声が耳元をくすぐる。
「……?」
え? 今すごい近くで聞こえて、
「『僕が足を引っ張ってる』って、思っちゃうよねぇ?」
うつ伏せの状態から、むくりと起き上がる。枯れ葉だらけの地面に血がにじんでいた。
そして目線をもう少し上に移すと、顔を
怖い――。
「へへ……。やっぱり殺す前にこの顔を見ないと、ねぇ?」
ナオは白く細い指で僕の顎をクイ、と押す。もっとその顔を見せろというように。
抵抗しようとも思えなかった。ほんの少し動いただけでひねりつぶされる。体が動かなかったのだ。
僕を殺そうと思えばいつだって殺せる。この男は。でも、殺さない。それはなぜか。
「僕は出来る限り痛めつけて、苦しませながら殺したいんだぁ。だってその方がいい顔するでしょう? 作業みたいに殺すよりよっぽど楽しいし、すごくゾクゾクするからねぇ」
こういうことだ。人の苦しむ姿に快楽を見出す、相容れないオバケ。
「痛めつけるって、もう十分やったじゃ」
「さっきのは僕の呼び出したオバケがやったことでしょう? 次は僕の番だよ」
笑う。口角をつりあげて狂気的に笑う。
そして、一言となえる。
「サンラセン」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます