第52話 生前の記憶
ごめん、もう無理
快楽と狂気が混じりあった表情でハナタを見つめるラエル2。そして突如彼の脳内に響くこの声。足先まで凍り付いてしまうほど、冷たい。
じゃあね。今までありがとう
ラエル2の目が見開かれる。
「……もう俺は死んでるんだよ……。どうだっていいんだよぉ……」
「何か言いましたか? 楽しくしてくれるのでしょう?」
聞こえてくる声に頭を抱えうずくまるラエル2。不安をあおるように旋回を続けるハナタ。相変わらず暴風は止まない。
「どうしたラエル2! 烏人間とっちめてやろうぜ!」
「……やめろ、やめろやめろ……。もう終わったことだ、どうでもいい。だからもう喋るな、黙れ、黙れ黙れ……」
「? 本当に大丈夫か?」
未だ立ち上がれないベアボウが声をかけても、ラエル2には届かない。ずっと彼にしか聞こえない声に怯えている。頭を掻きむしって、過呼吸にもなってきた。
「やめろ! 僕の記憶にいつまでも住み込むのは!! いい加減消えてなくなっちまえ!! なあ!」
「ラエル2、どうしちまったんだよ?」
「クスリの副作用か何かですかねぇ。それか、ただ単にその記憶が彼にとって大事なものなのか……」
立ち上がったばかりのラエル2はまた小さく縮こまり、肩を震わせた。
彼の頭によぎる、生前の記憶。
彼にとっては思いだしたくもない、封じ込めてきたものだ。
「ごめん、もう無理。……じゃあね、今までありがとう」
恋人たちが冬のイルミネーションを見て騒ぐ中、僕はただ去る背中を見つめていた。不思議と激情は湧かなくて。心の内は凪いでいて。とても静かだった。
左手には、渡そうと思っていたお菓子の袋が乾いた風に吹かれていた。普段は自分から外に出ない僕が、わざわざ街に出た。誰かのために物を買った。喜んで欲しいと願った。
でも、その「誰か」はもう、どこかに行ってしまった。別の男を見つけたのかもしれないし、一人旅に出たのかもしれない。
今更どちらでもいい。
僕は、恋人に振られたのだから。
すぐに家に帰る気にもならなくて、近くのベンチに腰掛け、イルミネーションを眺めていた。二人で見た時はあれほど綺麗に見えたのに、まぶしいとしか感じなくなった。
しょうもないことだと分かっているのに、世界の彩度がいくらか落ちたようだ。人の表情がうまく見えない。何も頭に入ってこない。脳みそが暗幕に覆われた感覚。まだ酒は飲んでいないのに。
〈あ、先輩、もしもーし。聞こえてるなら返事くださーい〉
そんな時にかかってきたのが、仕事の後輩からの電話だった。
「……タイミング最悪だよ、君」
〈え? 僕何かやらかしました?! すみません先輩! 今時間がないならいいんですけど〉
出なければよかった。そもそもこの後輩は僕とは正反対の人種だ。いつも明るくて、はきはきしてて、声がでかい。そして空気を読むことを知らない。
「ん……いや、君が何かしたわけじゃない。僕個人の問題だ」
〈ほっ。よかったです。じゃなくて! 先輩元気ないですよ!? 心配です!〉
「……生気がないのはいつものことだし、ちょっとしたことさ。明日には治ってる」
できるだけいつもの声で応答するように心がけたが、もう遅かった。
〈先輩! これから先輩の家行きますからね! 酒でも飲んで元気になりましょう!〉
「えっ」
〈ていうか! 家行っていいすかって言うために電話したんですからね! 汚いなら掃除しておいてください!〉
「え、さすがに急すぎ」
そこで電話は切れた。あの馬鹿正直な後輩だ。本当に僕の家に来るだろう。今まで何度か招いたことはあったが、ろくなことがない。第一、人が家に来るのはとてつもなく疲れる。
「……何でそういう思考回路になるかな」
ベンチから立ち上がり、近くのコンビニに足を運んだ。後輩が来るのは仕方がない。飲むなら酒のつまみになるものを買わないと。
ずっと、ずっと僕を掴んで離さない、彼女の顔を忘れられるように。
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