第53話 分かんない
※ラエル2の回想の続きとなります
「せんぱーい、僕ですよー、スギモトですー。聞こえてますー?」
「聞こえてますよねー? 寒いんで開けてもらっていいですかー?」
「え、聞こえてますよね?! 寝てる?! いやインターホン出たってことは起きてますよね?!」
インターホン越しに後輩を見る。開き直ってコンビニで鮭とばと唐揚げを買った自分を責めたい。後輩が家に来ることは分かっていたが、いざ来られると胃がキリキリする。
あまり散らかってはいない部屋も、人様が来るということで少し片づけた。スマホばかりで埃をかぶっていたテレビもつけてみた。今までとは違う「二人分」のコップも用意した。
人が家に来るのは自分でいられないのと同じで、ものすごく労力がかかるし、不快だ。……でも、彼女と一緒にいた時は……。
……。
「先輩?! ここ何階だか分かってます?! 10階! このマンション、階段駆け上がって来たんですよ僕! お願いだからいれてくださいーー」
どうしてこうもあんたは付きまとう。まだ振られて間もないのは分かってる。でも一刻も早く記憶から葬り去りたい。
今までの思い出が全部嘘だったのなら。愛し合っていると思い込んでいただけなのなら。あんたが僕を裏で面倒だと思っていたのなら。街中を二人で歩いたことも、ご飯を食べたのも、アレも、これも。偽物なら。
僕は何を目的に生きていけばいい?
「……今開けるよ」
「わぁありがとうございます! 先輩信じてましたよ!」
出所の分からない煙のような思いをインターホンのボタンに込め、玄関の鍵を開ける。いや、開けてしまった。
「ありがとうございますありがとうございます先輩一生ついていきます寒かったんですよーーー」
「……僕のせいだよねそれ、ごめん」
「全然です! 先輩と飲めるだけで気分爆あがりですから!」
「そっか」
扉を開けるや否や僕に飛び込んできた後輩、スギモト。僕が言葉を返す暇すら惜しんでマシンガントークを続ける。
「それでですね、僕酒のつまみにと思って鮭とば買って来たんですよー! 今夜は飲んだくれましょー!」
「……鮭とば……」
鮭とばが二倍になった。しょっぱいから少しでいいのに。
「ん? 先輩どうかしました?」
「あ、いや、なんでも。とりあえずあがって」
「はい! お望みのままに!!」
別に望んじゃいないんだが。やっぱり後輩とは何もかもがかみ合わない。相変わらず声がでかい。疲れる。非常に疲れる。でも僕は後輩と飲むことを選んだ。
「うわぁ、辺り一面先輩の匂いがするー」
「……しれっと気持ち悪いこと言わないでくれる?」
「えっ、これって気持ち悪い判定なんですか?! いい匂いだからいいんじゃ」
「自分の匂いをあーだこーだ言われたくないでしょ」
リビングの空気を胸いっぱいに吸いこむ後輩。自分の家の匂いは分からないものだが、こう言葉にされるとぞわぞわする。
一応リビングの中央には小テーブルと青いカーペットが敷いてあるから、そこに座って飲むことにする。
「酒持って来た?」
「もちのろんです。僕のお気に入りのやつですよ」
あぐらをかいて手に提げてきた袋をごそごそとあさり、よく見る缶ビールを手に得意げな後輩。なるほど、僕の冷蔵庫にあるものをあげなくても済むわけだ。
「よかった。ただ酒をやるところだった」
「ななな、僕が自分の分を持ってこないとでも?!」
「普通にあり得るから」
とっとと酔っぱらってしまいたいので、早速僕も缶ビールを開け、一口腹に流し込んだ。
うまい。そう思うことにする。
「おお、先輩いい飲みっぷりですね! 僕もいただきます!」
後輩も重い一口。僕はそこそこ酒に強いからいいが、後輩はすぐに赤くなるから無理はしないでほしい。送り届けるのが面倒になる。
「はーー、うまいっすね! 僕久しぶりの酒なんですごい新鮮って感じです!」
「つぶれないように注意だけはしておいてよ。泊まらせるのも嫌だし」
「もちの! ろん! です!」
そう言いながらまたグビグビ飲み始める後輩。駄目かもしれない。
「はあ……」
「あ、というか先輩」
既に顔がほんのり赤くなっているように見える後輩が、声のトーンはそのままに尋ねた。
「さっき電話した時、元気なかったっすよね? 何か、あったんすか」
「…………」
後輩の視線には、何ら悪意はこもっていない。純粋に僕を心配してくれているのが分かる。そもそも裏表を作れないだろう。
それでも、この沈黙が僕を突き刺す。
「まあぶっちゃけ、何かあったのは分かってるんですけど、ね」
「……そう。でもきっと君が思うよりくだらないことだよ」
人生の一部でしかない、ちっぽけなこと。そう自分にも言い聞かせているのに、どんどん泥沼に引きずり込まれていく。自分でも見たくない感情ばかりが押し寄せて来る。
あんたを失えば、僕はどうすれば?
何をすればいい?
どうやって生きればいい?
「……先輩」
後輩の声がこわばる。
「僕、くだらない話大好きなんで。きかせてもらえますか」
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