第54話 先輩には僕がついてますよ!

 長いため息をつく。家に来られたときから、このことを話さなければいけないのは薄々感じていた。もしかしたら、わだかまったこの気持ちを発散したいと無意識に思っていたのかもしれない。


「……くだらない話、か。君は相当な物好きみたいだ」

「くだらない話ができる人こそ大切な人って言いますもん、僕は至って普通ですよ!」

「まあ、そうかもね」


 もう一度酒で喉を潤し、たまりにたまった息を吐く。まだ酔ってない。変なことは言わない。大丈夫。少し話をするだけだ。


「……………………別れたんだよね、多分」


 力のない笑いがこぼれる。現実を受け止められない自分が笑えてくる。


 体が熱い。熱い。あつい。


 堪えられない。こんなことで悩む自分が。恥ずかしくて。情けなくて。どうにもならなくて。どうしようもできなくて。


「……え、え、え?! 先輩彼女なんていたんですか?!」

「言ってなかったけどね」

「全然話聞かないんですもん!! びっくりもしますよさすがに!! すみません驚かせていただきます!!」


 そんな僕の心情は気にせず、彼女の存在自体に驚き立ち上がる後輩。他の人に自分から話すことは無かったから、知らないのも無理はない。想定はしていた。


「別れちゃったから元気なかったってことっすよね? えー、先輩熱愛ですねー、まあ男ですしねー、でも何か意外です!」

「君ね……。もうちょっと話し方ってもんがあるでしょ」

「す、すいません」


 そうは言うものの、変に同情されるよりかは全然気が楽だ。後輩には僕の話を笑い飛ばせるような、そんな人であってほしい。


「平たく言えば失恋。それだけさ。こんなことで立ち止まっていちゃあこの先、生きていかれない。……」


 でも。


 声はかすれて、空気を揺らすだけだった。


 僕の大切な人は彼女しかいなかった。両親は幼い頃に離婚して、話をよく聞いてくれていた母もつい最近病気で死んだばかりだ。人付き合いもうまくできなくて、心を許せる人なんているわけがなかった。


 ずっと孤独なのに、それを全部嘘にしてきた。人生こんなもんだと言い聞かせ続けた。


 そんな僕にできた大切な人が、彼女だった。彼女だけだった。彼女の可愛らしい仕草が、幸せそうな寝顔が、そして後ろ姿でさえも、何よりも輝いて見えた。


「社会人になってから再会した高校の同級生だったし、当時は他人としか思ってなかったお互いのことも、話した。やることも、やった。今思ったら、すごく幸せだった」


 うまく言葉が紡げない。もう戻れないのだと、生きる意味を失ったのだと、声に出す度に喉の奥が締め付けられる様だ。


「大げさでもなんでもない、僕は彼女のために生きていた。それ以外に生きる理由がなかった」

「……先輩、」

「僕にはもう、生きる道しるべが残されていない」


 くらくらする。頭がはたらかない。もう酔ったのか。なんでもいいか。


「今はただ会社の金のために『操作』されているだけだよ、僕は」

「先輩、だめです、」

「正直どうだっていいんだ、この人生。辛い」


 立ち上がる。目がくらむ。真っ直ぐ立てない。どうしよう、どうしよう、これからどうやって生きていこう。いきたくない。行きたくない。生きたくない。


「生きる意味なんて、僕だって知ったこっちゃないっすよ! そういうのって気づいたら見つかってるもんじゃないんですか?!」

「そう思ってここまで来たけど、見つからないからこうなってるんだよ」


 後輩も慌てて立ち上がる。僕が歩く方向を阻止してくる。うっとうしい。


「ねぇ、そこよけて」

「……だめです、絶対どきません!」


 テーブルのすぐ横にあるベランダ。10階からは夜景がよく見える。そこに出ようというのに、後輩は頑なに窓の前をどかない。


「せせ、先輩、酔ってるだけかもしれないんすけど、怖いですよ、はい、怖いんです! どこかに行ってしまいそうで、外には出せません!」

「何なの、君」


 どうしようもない怒りがわいた。どうして楽にさせてくれない。どうしてこれ以上苦痛を味わわせようとする。


 どうして死なせてくれない。


「邪魔だよ、後輩君」


 本能的にズボンのポケットに入れておいたカッターを振るう。後輩のタートルネックが裂かれた。


「ぎゃあ?! 斬られた?! 先輩! どうしちゃったんですか?!」

「ね、よけて」


 腕で強引に後輩を移動させると、それ以上僕を止めることはしなかった。次は首が裂かれるかもしれないのだ、当然ではある。


 窓を開けてベランダに出ると、真っ暗な空間に人々の灯が浮かんでいた。


 最期に考える。


 僕は何をするために生きてきた。何を生きがいにしてきた。


 悔しいけど、全部、あんただ。


 少なくとも僕は、それが本心だと思ったんだ。


 本心だと、思ったんだ。


「             」


 そらに浮かぶ前、ベランダからこちらに手を伸ばす後輩が、何か言っていたような気がした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ラエル2!」


 肩を震わせてうずくまっていたラエル2に、ベアボウが大声で呼びかける。そう、暴風が吹き荒れる戦闘の真っ最中だ。


「……何、べあ、ぼう」

「あのなぁ、お前が死ぬ前に何経験したか分かんねぇけどよ、これだけは言える」


 ラエル2の記憶が呼び起されている間、ベアボウもラエル2から発される言葉をところどころ聞いていた。いいことではないのは確かだったのだ。


 ベアボウが豪快にラエル2の背中を叩く。そして笑う。


「お前にはオレがついてるんだぜ、ってことな」

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